C11 葉月・八月

女郎花(オミナエシ)月ともいわれ、朝晩には涼風も立ち、秋の始まりを示す立秋から暑さの終わる処暑を迎える月。

旧暦は七月ですが、葉月は旧暦八月の異称であることから、季節は現在の九月頃。残暑厳しい日も、上着の欲しい日もあり、また台風も到来するなど気候はまだ土用の変化期が影響します。

十二支は申、八卦は坤=地の陽で五行は土から金に移り、花芽に実が宿る結実の時。

草木の結実する時期は根も枯渇が進み、根幹の衰退現象が増してくることから、果断という文字通り身(実)を切るような省きの実践が必要になります。

以前TVで見た桃農家の話ですが、一つの花芽に三つの実がつくのを、良い実を育てるために、あえて二つの実を切るのだそうです。文字通り辛い果断の作業ですね。

易は八月に天地否111000の卦を配します。

天地否は下卦が陰の地000、上卦が陽の天111となり、天は上に、地は下にと天地離反して和合しないため否運を呼ぶとされます。

そこで上は辛くとも身を切って根幹の枯渇を食い止めなければなりません。

陰陽・天地が逆転して錯綜すれば地天泰000111、安泰の卦となります。

しかし上が私利私欲に走れば下は困窮するばかり。下の人たちは不平不満がたまり、徒党を組んで団交に挑むことを示し、上下が対立する図式です。

易は苦しくとも初心を変えず、一貫し努力すればやがて報われるといい、堅実な積み重ねを吉として、低きに流れ徒党を組む者は否運を招くとありますが、上下の立場が違えば思うことも逆になります。

大事なのは共に根幹を守るために、熟成した思考を持つこと。

上が果断の辛さを実行し、下はそれを見て辛抱我慢することで安泰となるのですが…

いつの世も既得権益にしがみつき果断などできない人は多く、下々の民の不満も無くならず、安泰となるのはなかなか難しそうです。

辛抱努力もせずに、上に媚びて甘い汁を吸う者は論外ですが、逆境でも継続は力と信じて誠実に努力する人達が、報われる世の中であってほしいものと願います。

 

 

C10 文月 七月

七夕月、常夏月ともいわれる新暦の文月・七月は、旧暦では六月ですが、旧暦の七月の異称が文月ですので、季節は現在の八月の気候です。牽牛と織姫の七夕伝説から各地で七夕祭りが行われていますが、七夕は中国から伝わった行事で、日本の風習ではなかったといわれます。

そこで文月の由来ですが、万葉集に七月をふみづきと詠んだ句があり、ふみつき→文月となったという説と、稲の穂が含む月「穂含月・ほふみつき」「含月・ふくみつき」から「ふみつき・文月」となったという説があります。 七月の十二支は未、易の八卦は坤=地の夏の土用を示します。易の六十四卦でいえば天山遯(てんざんとん)にマッチします。

遯という文字から連想するのは隠遁・遁走・遯面(とんずら)です。未は曖昧・蒙昧などの文字にもあり、はっきりしない、道理に暗い、また遯は現状から逃げる、現場を離れる、深入りしないなどの無責任なイメージがあります。しかし、天山遯は大変奥の深い卦で、社会が道理から外れている蒙昧期や、人間関係や仕事の倦怠期をやり過ごし乗り切る、賢者の知恵でもあるのです。

蒙昧な社会や統治者に道理を説いたところで迫害され敵視されるだけなので、関わらず一時逃れるところから賢者の知恵というのですが、昔のように山深くに隠遁生活はできないまでも、避暑に行く、一人旅をするなども「遯」の実践です。もっと簡単なのは昼寝です。蒸し暑い日差しを避けて木陰で涼むのも小さな遯です。この一時の遯の実践により生命力がよみがえり、打開するための明暗も浮かびます。

日曜日を安息日としたのも、いわば遯の実践で、自然に取り入れてきたのですね。馬車馬のように働くことも、一生懸命休みも取らず働くのも、心身を壊したり、意欲を長続きさせるのも限度があります。
とことん嫌になる前に少し遯をするだけで現状を見直すことはよくあることです。

ということで、猛暑の夏を乗り切るために、賢く大らかに、小さな「遯」を日常に取り入れ、ゆったりと過ごす時間を持ってみませんか。

(ブログの更新ができず、七月・文月が遅れてしまい申し訳ありません)

A13 易は数学

陽を1、陰を0で爻を表すと、陰陽の卦を表す易の展開図では、太極①は両義=陰陽(0・1)を生じ、陰陽は四象(11・01・10・00)を生じ、四象は万物=八卦(111・011・101・001,110・010・100・000)を生じます。

八卦は天人地を表す三爻の卦で、以後一爻ずつ陰陽が変化して四爻・五爻・六爻と展開し、八卦×八卦=六十四卦へと展開します。 陰陽・天地は六回の変化のどの段階においても左右に純粋な陰陽の状態で展開して、陰陽が混在することはありません。
111→1111→11111→111111(乾為天)、000→0000→00000→000000(坤為地)となり、その間に六十二卦の陰陽が混じりあう卦が生じます。 易経はこの天地の卦を含む六十四卦を用いて、その象形や爻の変化を読み、人の社会に起こりうるあらゆる問題や現象を解き明かそうとするものです。 さらに長い時間の中で、時代の聖人・賢人たちにより哲学的道徳的な意味が加えられ、やがて帝王学へと発展していきました。

しかし易経と易の展開図の並びとは異なる並び順で説かれています。 易の展開図で太極から陰陽が生じて発展する卦は、陰と陽のグループの同位置にある卦の陰と陽が真逆になった象形です。 例えば陽のグループの000001は陰のグループの111110と陰陽が逆転した対照の関係です。このような陰陽逆転した卦を「錯卦」といいます。
二つの卦を一組としてドラマが展開する易経では、多くは上下・天地を逆転した卦の組み合わせで、例えば011111(沢天夬)111110(天風姤)のように180度ひっくり返した卦の組み合わせで語られます。このような天地逆転した卦を「綜卦」といいます。中にはいくつか錯卦の組み合わせもありますが、大半が綜卦です。
このことから易経は、天から見れば、地から見ればという、天の道理、地の道理を基準に物事の道理を説いていることが推測できます。 しかし、易の陰陽の展開図は整然と左右に陰陽逆転した錯卦の関係で展開していますので、易経を活用するにははこの両方の「錯綜」した関係を加えて読み解くことがとても重要と思います。

元々易は、数学であるという見方があります。論理的数学というのでしょうか、その証拠に易の展開図の数の変化を表すと下記のような表になります。
易の三角形、または八卦の行列と呼ばれる下記の数列は、両端はすべて陽のみ、陰のみで展開し、純粋な数1で表します。 陰陽両義は1・1、四象は陰陽の1・1の間に1+1=2(01・10)、さらに八卦は1・1の間に陽の1+2=3(011・101・001)、陰の1+2=3(100・010・110)が生じて1+3+3+1=8になります。 そして六十四卦は1+6+15+20+15+6+1=64 という数列で表せます。
驚くことに、この数の展開は数学の基本であり、遺伝学・生物学・組み合わせ論・物理学・ゲーム理論‥等々の基礎となる二項定理と同じなのです。 はたして数学の歴史と易の歴史を遡るとどちらが先であったのでしょう。

[易の三角形・八卦の行列]

 陽    ①  太極 ①         陰
 1  1  両義 1+1=2
1    2 1  四象1+2+1=4
1         3     3 1 八卦1+3+3+1=8
1     4    6      4 1  十六
1       5        10       10      5 1 三十二
1   6      15 20        15  6 1 六十四卦

 

最下段の六十四卦は左右の1(乾為天111111)・1(坤為地000000)の間に、陰陽逆転した錯卦で6(六つの陽卦)・6(六つの陰卦),15(十五の陽卦)・15(十五の陰卦)、中央に20(陰陽成立初期の二十卦)が生じます。中央の若い卦から左右に進むほど熟成した卦という見方もできます。

以下は私の推論ですが…古代シュメールやそれ以前の先史の頃に、このような数や数式を用いる高度な文明があり、その仕組みや知識を伝えられた中国古代の伏犠などの聖人により、陰陽の符号が作られ、さらに漢字を用いて易として体系化して活用されてきたのではないか…様々な世界の古代文明に共通する数の一致はその証ではないか…と想像は果てしなく広がっていきます。

易経は人の生きる世界を網羅して深遠で広大ですが、その内容は誰にでもあてはまるものです。 さらに数列で表す易の展開図はさらに簡易な法則です。 このように易を数学でとらえると、あらゆる科学の世界に共通する理論となり、知らずに私たちの日常に生かされており、当たり前のように使われているのです。

易経は一つの卦(本卦)を読むのではなく、一組のニ卦とそれぞれの錯卦・綜卦さらに中を読む互卦(次回)を加えて、立体的なドラマのように読み解くことで、とてもわかりやすく、面白く読めます。またさまざまな状況に応じる知恵として、過去、原因、現状の問題点、未来の指針などを知ることができます。

本来易経は占断・占筮の書とされていますが、その解説書である繋辞伝にさえ『易経を知る者は占わず』とあります。易経は、過去、現状、心の在り方を振り返り、本質に気づき、身近に起こりうるあらゆる問題への想像力を発展させて、未来をより良い方向へ導く指針となるでしょう。ぜひ一生に一度は易を知る機会を求め、またドラマのように立体的に読むことで易経に親しんでいただけたらと思います。 次回…易経の読み方について。

A12 易経は八卦の組み合わせ

八卦の元になるのは陰陽の符号(爻)です。対照的な陰陽を三つずつ組み合せると八(二の三乗)となります。これを八卦といい、三爻を天人地に置いて、あらゆる自然現象を当てはめています。易経はこの八卦(三爻)を重ねて万物万象の複雑な現象を解く根拠としています。易は八卦を小成卦、八卦×八卦=六十四卦を大成卦といい、易経は大成六十四卦(六爻)の卦の象形を、人が体験するであろうあらゆる出来事、現象について身近な例えを用いて説いています。

 

易の解説書である繋辞上伝には、「根元である太極から両義(陰陽)が生まれ、両義から四象が生まれ、四象から八卦が生まれる…」とあります。

宇宙自然界の根元を易は太極と表します。太極は限りない0~限りなく∞の世界であり万物万象の根元的世界の象徴です。太極は陰陽(天地)を生みとありますが、太極は陰陽の関係で成り立っているという見方もできます。四象は身近に表せば四季のように、天地・陰陽が生み出す四つのもの・現象と考えてください。天地陰陽の働きは自然の変化を生み、万物を創造し、生命の世界を生み出します。陽(天)を生命の世界とすれば陰(地)は物体の世界となり、陽の働きは肉体を育て陰の働きはそれを受けて心を育てます。

易経は八卦の成立を天地の働きと関連するものとして、太極から八卦に発展する陰陽の関係に自然現象を当てはめ、人間世界を表現しました。(陽1・陰0)

両義 四象 八卦 自然現象とその働き。
太 

(陽1)天男創造 (老陽 11)
動的な命
乾=天 111 無限の天・創造するはたらき
兌=沢 011 生命を潤す沢・水を湛えた窪み
(少陰 01)
静的な命
離=火 101 空気中に燃えるもの・炎・太陽
震=雷 001 大地に轟く雷鳴・地下の生命
(陰0)地女形成 (少陽 10)
動的な物
巽=風 110 天地の間に介在する無形のもの
坎=水 010 地の中を流れる水・育むもの
(老陰 00)
静的な物
艮=山 100 山の頂・限界点・動かざるもの
坤=地 000 有限の大地・形成するはたらき

 

陽の極まる乾は剛(陽)なる天で、人なら男(父)となり、陰の極まる坤は柔(陰)の極まる地で、人なら女(母)となり、陰陽は生命(子)を生み、育み、形成する働きとしました。大極から展開する陰陽の形を図に表すと三角形になります。

三角形に展開する陰陽の数列は、数学の基礎である二項定理と同じです。

二項定理は物理学・天文学・生物学・コンピューター理論・ゲーム理論etc..etc

あらゆる分野の発展の基礎となっていますが、易を数で表せばまさに同じ理論なのです
(数列については次回の機会に記します)

易経を創った賢人たちは、自然界の仕組みを解く数の易に哲学的解釈を加えて、人が理解し体得して生かせるように教本に著わしたようにも思えます。

繋辞伝のはじめに「乾(天)は易(やすらか)さをもってものを治め、坤(地)は簡(おおらか)さをもってものを治める。」とあり、このような万物を生み治める天地の働きは、易簡=簡易であると記しています。

陰陽・天地の働き自体はとても自然でやすらかで大らかなものなのです。

易の説くものは万物の無限の発展の法則ですから、その働きが健全に続く限り人の生きる世界は続くといえるのですが、易の成立でも記しましたが、徳の少ない小人がこの世界を支配すれば、自然の働きを壊し間違いなく滅びを早めることになるということなのだと思います。

 

A11 易経の成立について

A11 易経の成立について

易」は「変化=変わる」意味で、その語源はトカゲを横から見た形から生まれた文字で、日と勿で頭と足と尾を表すとあります。ある種のトカゲは一日十二回色を変えるので十二時虫といわれ、そこから「易」=「変化」という意味を持つようになりました。

古代の原始社「会では、重大なことを決めるときに神意を問うことが共通の現象としてありました。その神意を問い神の意志を伝える特殊な能力をもつ人、いわゆるシャーマンは絶大な権威を持っていたと思われます。時には王自身でもあったでしょう。

古代中国では神意を問う人を、巫(ふ)・祝といい、主として亀卜(きぼく)や蓍筮(しぜい)により神意を媒介したといいます。紀元前13世紀ごろの殷王朝の時代に盛んに行われていたのが亀卜です。亀の甲羅や動物の骨に穴をあけ、裏面から火で焼くと「卜型」のひび割れができます。それを「兆(うらかた)」といい、その形や光沢から吉凶を判断して口で伝えたことから、卜が兆の象形文字となり、「占」という卜と口を合わせた会意文字が生まれました。

蓍筮の起源も古く、紀元前11世紀ころの周王朝時代に発展した「占法」です。

蓍(し)という、千年経つと一本から300本の茎を生じるという長寿の多年草の茎を用いて行うもので、後に筮竹を用いる易占に変化していきます。

蓍筮は陰陽を符号(爻)で表し、数理を基本とするために、亀卜の神秘性から離れて論理的に発展していきます。さらに天文や暦の知識が飛躍的に発展し、季節や気候などの自然現象の中に一定の法則があることを知るようになりました。

陰陽の組み合わせにより万物万象を表す「八卦」が、六十四卦へ拡大され、次第に蓍筮の卦や爻の変化の結果は言語に表わされ解説されるようなっていきました。多くの賢人が活躍した春秋・戦国時代から秦、漢の時代に亘り、長い年月をかけて統一的な解釈がなされ、次第に哲学書の体裁を整えるようになります。これらの易の解説書や注釈を「易伝」といい、十種あることから「十翼」といいます。このようにして完成していったものが「周易」で、漢の時代以降儒教の経典とされて後、元になる易とは区別して『易経』と呼ばれるようになりました。易経は八卦を組み合わせた六十四卦と、各々の六爻の陰陽の変化を解説した「十翼」により、多くの人に読み継がれ活用されて、あらゆる文明の礎となっていきました。特に王など時代の統治者の必読の書とされ、今日でも各界のリーダーには学ぶことの多い優れた哲学書でもあり、二千年のロングセラーの書といえます。私は未来を背負う若い方にこそ知ってほしいと思うのですが… 十翼など易経は「伏犠」「周の文王」「孔子」という、三聖人の作というのが伝説ですが、このような成立過程からも「不確か」というのが今日では定説です。