C7 卯月 四月

別名、卯の花月・花残り月、鳥月ともいい、卯の文字は柳を表し若い枝葉が長く伸びて成長し、春の風に吹かれて枝と枝がこすれあって自己主張を始めているようにも見えます。又、桜も散り、葉桜にちらほらと花残る月というのも季節感がよく表れています。雁は北の国に旅立ち、代わりに燕が飛来して可愛いヒナを育てる姿があちこちに見られ、鳥たちの活動が活発になることから鳥月とも…
ヒナは生長しやがて親の手を離れ大空へ飛び立って行きますが、四月は人間の世界も職場や学校などで、巣立ちのようなピカピカの一年生の姿が見られますね。
易は巽=風の卦を配して、春から初夏へ移行する春の土用の季節で、十二支は辰の月。上昇に向かい未知への期待と希望に胸ふくらませ、心身に活気が満ちる半面、様々な淘汰の現象期でもあります。子供たちも小学校から中学、また高校へと進むことで、新鮮な刺激を受けると同時に、得意不得意や身体的な違いなどが気になりだし、比較したり優劣を気にしたりするようになります。
精神や心の発達が著しい思春期は、些細なことで傷つき悩みを深めますが、多くは自分の個性を自覚して、自分の方向を見出し潔くかじ取りをしていきます。自ら選び個性の開花を目指しても、ふるい落とされて悔しさを味わうこともあるでしょう。上に進むほどふるいの目は大きくなり、新たな人生の淘汰を経験することにもなります。
植木屋さんは良い花を咲かせるために、枝葉をチョキチョキと剪定しますが、切り落とされた枝葉はどうなるのでしょうか。
易に「余った水は田畑に回せ」という言葉があります。余った水を無駄に流してしまうのではなく、田畑に回せば作物を育てる役に立つ…ということで、無駄や無用と思って切り捨てるのではなく、他に生かす道をつくることが大切と説いています。まして私利私欲や自己中心に他を切り捨てることは、君子の行いではないということなんですね。
四月は、新たな始まりを経験する人たちが沢山います。比較や優劣などに悩まず、色々な刺激を前向きに受けて早く自分の個性に気づき、長所を生かし延ばせる方向へ果敢に進んでいってほしいと願います。

C6 弥生 三月

弥生の名称は[木草弥生い(いやおい)茂る月]が詰まって「弥生・やよい」となったという説や、いくつかの説が伝えられますが、いずれもうららかな春の日差しを浴びて草木がすくすくと生長する様子を表しています。桜月・花見月・桃月ともいい、三月は色とりどりの花が咲く春の盛りです。
易の八卦は「震=雷」を置き、文字通り春雷に大地が震え、春の雨は一斉に草木を成長させます。三月の十二支は「卯」。卯は自然界の生長を示す要素で、五行の生命を表す「木」に太陽を表す「日」が加わり「東」となります。東は朝日の昇る方位で、草木は朝日を浴びてすくすくと生長します。同様に春の到来を教える春雷は春雨を降らして草木を生長させ、暖かな日差しに包まれ活発な生命活動を示します。二十四節気は虫たちが地上に這い出し活動を始める「啓蟄3/6頃」と、太陽が黄道上の春分点を通過する「春分3/21頃」を配して、季節は「仲春」。春分は昼夜の長さがほぼ等しく、この日を境にだんだん昼の時間が長くなります。
今年も各地の桜の開花予報が出され、いよいよ日本の春の盛りが訪れますね。

C5 如月(きさらぎ)二月

梅見月・雪解月・初花月ともいい、2月3日の節分は冬と春の境目で翌日が立春です。古代中国では三正といわれる夏殷周の暦の歴史があり、周の時代は冬至の月である子月が正月、殷の時代には丑月が正月、夏の時代は立春に近い寅月が正月でした。中国では漢の時代以降、夏王朝の寅月正月・2月正月(春節)が定着しています。日本では節分の頃を旧正月といい、つい近年まで2月の寅月が正月でした。
明治維新後の間もない明治5年、旧暦〔太陰太陽暦〕から新暦〔太陽暦〕へ、世界の大半の国で使われているグレゴリオ暦を採用する大改革がありました。
日本人は西洋化などの時代の流れを柔順に受け入れる中で、伝統を大事に継承していく、大らかでも動じない素晴らしい性質をもっています。
正月・節分・建国記念の日・バレンタインデー・ひな祭・花祭り・五月の節句・ハロウイン・クリスマス…大らかに受け入れても一つに染まらない、西洋人には理解し難いかもしれませんが、日本人が誇るべき多神教的な特質と思えます。
さて2月は立春とはいえ、現実にはとても寒くて雪も降ります。でも雪割草が可憐な花を開き、梅の香りも漂う梅見月・初花月です。雪解け水の流れ出す音など厳しい寒さの中に自然は確実に春の兆しを知らせてくれます。冬の土用は1月~2月で陰から陽に転じ、2月の寅月は、生命の〔木=春〕を生じる易の要素です。暖かな春の盛りも間もなくですね。

C4 睦月 一月

一月は正月、初月、祝月とも呼ばれます。初月とは文字通り一年の始まりの月。元旦の元も源や始めを意味しています。八卦では新暦一月は艮=山。艮も元や始まりで草木に例えれば土の中の種子が発芽し養分を吸収して成長するための根を表します。根は草木の根本ですね。

十二支では丑の月で丑の源字は紐です。丑は紐で占めるように固く頑強で、寒さに耐えて春を待つ強い意志と忍耐強さを象徴します。強固な意志で動じないために、一年の計を元旦に立てることは理にかないますが、丑は決めたらテコでも動かないのがモットーですから、コロコロ変わるような願掛けはご利益は期待できないかもしれません。

限界まで耐えて機が来たら一気に地上に芽を出す発動への限界点の一月は、年末に立てた願いを胸に秘め、新たな一年のスタートを切るとても重要な月といえます。

易の六十四卦は一月に地沢臨000011を当てます。臨は咸臨丸(江戸末期、勝海舟ら九十余名の遣米使節団を乗せて初の太平洋横断を果たした軍艦)の名前にも用いられました。新たな未来を切り開くために希望に燃えた冒険の旅を象徴する名前です。

新年の初日は全ての人の心の闇に光をあて、希望に燃える人の前途を照らします。

元旦は過去の辛苦をリセットして、皆が新たな幸せや繁栄に向かい一斉にスタートできる大切な一年の始まり。全ての命を愛しみ、幸あれと照らす元旦の御来光です。ぜひ拝みたいと思いつつ、早起きできない年が多いので、毎年ほどほどの安泰であれば文句は言えません。

C3 十二月 師走

十二月は一年が極まる「極月」ともいい、一年のけじめに追われ、年越しの準備にも追われるきぜわしい時期です。師走については諸説ありますが、暦事典によると普段落ち着いている師匠といえども趨走(すうそう・忙しく走る)するので、師趨・しすう→しわす→師走となったという説と、師は法師で、十二月は法師を迎えて経を読んでもらう風習があり、法師が馳せ走るので、略して師走る→師走となった説があります。他にもいくつかの説がありますが、実際に普段どっしりと構えている師たる人もそうしてはいられない時期であることは納得できます。また師が走るほど忙しいなら有難いことですね。

易の十二月は八卦の坎=水で子の月。水は生物の源、生命を育む力で、植物に例えると土の中の「種子」を表します。十二支の子も文字通り子で人間の種子です。種子は秋に収穫された実の種であり、そのDNAを伝えて春に芽を出す次世代の命で、種子が途絶えるとその種は滅びます。

日本の野生のトキ(鴇)は1981年に絶滅を確認されましたが、外国から持ち込まれたつがいのトキが佐渡の自然に戻されて繁殖に成功したそうですね~。トキは学名も「ニッポニアーニッポン」という日本の美しい鳥です。巣の中でヒナが動く様子を映像で見ましたが、佐渡の皆さんが温かく見守っていらっしゃる姿が素敵でした。無事にニッポニア―ニッポンという種がたくましく復活を遂げてくれることを心からお祈りしたいと思いました。新暦の冬至は十二月・子の月で易経の地雷復000001という卦を配します。下に一陽が復活する意味で、一陽来復という四字熟語の語源になっています。新たな生命の発祥を示し、発展の兆しが芽生えることにも通じます。初心や夢や本心の願いなども一陽ですね…

十二月は新年を迎える年越しの月。種を次世代に残すことがとても大事なように、一年励み働いた収穫の種子となるものを、それぞれが来年につなげるための大事な年替わりなのですね。いろいろ身辺ごとを整理してすっきりし、住居を掃き清め、神棚や仏壇を整え、お飾りをして新年を迎える準備が日常の仕事に重なりますから、それは忙しいのは当然なのでしょう。

私の記憶では大晦日から一夜明けた元旦は静寂に包まれていたように思います。商店は全て戸を閉めて、お年玉をもらっても何も買えませんでしたし、元旦は神仏へのお賽銭以外にお金を使うと一年貧乏すると教えられました。いまだに極力守っていますがこの点はあまりご利益を実感できたとはいえませんが、まずまず元気ですので感謝です。

お節料理もお祝い膳ですが、普段炊事で忙しい女性たちが正月くらいのんびりできるように、三が日はお雑煮しか煮炊きしないのだとも聞かされ、儀礼の年始客も元旦は訪問しないものと教えられました。

子供たちにも新しい装いが何かしら用意され、何か凛とした静寂に包まれた元旦の朝を懐かしく思います。時代が進んでも節目の伝統行事を子供や孫たちに伝えていくことは、種を残すことに似て大事なことなのではと思う師走の一日です。