F-2易の言葉 需要と訴訟

需要 〔5水天需010.111

需の意味は待つことで、待望するほどの要求から「需要」という言葉が生まれました。

需に水=氵(さんずい)がつくと濡れる(ぬれる)となり、潤すに通じます。

潤うことは生命の成長に不可欠です。

そこで、待ち望む物や状況は、心身を濡らす(潤す)ようでなくては「需要」とはいえません。

物心ついた子供は、成長過程で色々な要求をするようになります。伸び盛りの頃は心身を潤す経験を大いにさせたいのですが、その要求をすぐに叶えるのではなく、待つこともとても大事です。
我慢を知ることで待ち望む強い気持ちが育ち、また本当に待望するものかを見極めることができます。

需要と供給のバランスは経済活動の基本ですが、需要を見極めず溢れるほどの供給過多になることも、求めても望んでも要求が叶わないことも、どちらもアンバランスで平和で健全な社会とは言えないでしょう。

 

訴訟 〔6天水訟111.010

訟は誠実に行っても他に妨害されてやむを得ず争う状態で、「訴訟」の語源です。

世の中には誠実に生きていても、理不尽な被害や妨害に苦しむことがあります。

もし不服に対して争う時は公正な仲裁者をたてることが賢明で、まして弱い立場の個人が争えば、さらに惨めな結果になることが多いのは昔も今も同じです。

不当不服を公正な仲裁者に委ねることは現代の訴訟の原型です。
しかし大きな犠牲を払って最後まで争うことは、一時的な満足に過ぎないだろうとも述べています。

真の協調と親和へ向かうために、争うよりは反省点を示して折り合う道を探り、そのために公正な仲裁者が必要なのだと説きます。

争うような状況でも、時を待ち、機を待つことが、弱い者が命を守るための賢明な方法であったのでしょう。そして苦難を乗り越えるために支え合える家族や同志はとても大切です。

易の言葉の多くは命を守る道を説きます。
権力が正義であるなら、その力に対して白黒つけることは命を危険にさらし、争いは手段として好ましくないとします。

封建的な時代背景もありますが、現代にも通じるものを感じます。

そして訴訟には公正な仲裁者が不可欠であること、時間がかかることは今も同じと思えます。

F易の言葉-1万物資生 -2啓蒙

F-1 〔万物資生〕易経2坤為地

坤為地000.000の卦辞に〔万物資生・万物資(と)りて生ず〕とあります。

陰が極まる坤は大いなる天の陽気(精)を受けて、あらゆるものを抱き包容して育み、生命の形を生み出す大地のはたらきです。

女性が男性の精(陽)気を得て生命を育み生み出すように、対極にある陰陽は対立しながらも共に力を合わせ(統一して)生命を生み出します。

〔資生〕は受け身であり、消極の極みである陰(女性)の強い生命力を示す言葉です。

「資生」は有名な化粧品メーカーの社名の由来にもなっています。

 

F-2易の言葉 〔啓蒙〕易経4山水蒙

山水蒙100010は蒙昧を啓く道を説いています。

山の下に湧く泉の水は細く頼りないのですが、この泉はやがて大河の源流となる可能性を秘めています。

山水蒙の卦は、暗く蒙昧な世界を示しますが、蒙昧を啓くことは知性の革命の源流となることから、知的な世界に携わる人には道を示す吉卦といえます。

また蒙昧を啓くには、良き指導者を自ら求めていくことだと説いています。

師はその教えを疑う者に教えず、弟は教えを疑うような師に付かずが,逆説的ですが真の師弟関係であるといいます。

誰を師とするか、自ら求めてこそ啓蒙されるもので、師となる人にも、師を求める時にも重要なポイントが示されています。