C2 十一月・霜月

十一月は霜月。霜が降りて冬が訪れてくることを実感する時期です。雪待月ともいいますが、雪の季節に備え急ぎ冬支度を整えて待つという意味のようです。十二支では亥の月。冬が近い不安から気ぜわしく備えを急ぎ、ひたむきに働く姿を示し、人の亥の性質にも似ています。十月は戌で豊穣の実りを示しますが、亥は蔵に保存された収穫・米俵を象徴します。保存する性の亥は一途に大事なものを守る特性があり、それは次世代に残す大事な生命の核となるものです。「核」は生命を表す「木」に「亥」と書き、春にまく種を残すことの大切さを教えます。収穫を終えた十一月の大地は荒涼としています。ミレーの有名な絵画に「晩鐘」と「落穂拾い」があります。晩鐘は収穫を終えた農民が敬虔に感謝の祈りをささげ、落穂拾いは一粒の落穂も残さぬよう拾う農民の姿ですが、とても亥の月のイメージに合います。易では「坤為地」という全てが陰の卦になり、啓山式に表せば000・000となります。陽気(1)が全く無いということは表面的には発展の動きのない世界です。でも環境に従い耐え忍び、地中の生命の冬籠りを助け育む「母なる大地」を示す、包容と慈悲の卦でもあります。

そのような観点から十一月は冬支度の月で、易は豊かさに慢心せず、人生の冬に備え余力を蓄えることが大切と教えます。

C1  十月・神無月

神無月のいわれですが、多神教の日本は八百万(やおよろず)の神が全国におります。十月はこの神様が一斉に乾=天の国「出雲」に集結して、神が不在となるため「神無月」となり、反対に出雲の国は「神有(在)月」となるのだというのが通説です。その他、縁結びの相談に神が集まるという説や、新米を醸成した神酒とともに神に供える十月の神嘗祭(かんなめさい)にちなみ、神嘗月(かんなめづき)が神無月になったという説など諸説あります。また八百万の神々は何をしに出雲へ行くかというと、八百万の神々は時には怒り、邪神にもなりますから、天高く秋空の広がる十月は、邪心邪悪を天に吸収してもらい浄化するために、天の国出雲にゆくのだろうと、昔、今は亡き師匠から聞いた話を面白く思います。

易で説けば、十月は十二支では戌の月です。戌は十干の戊で、五行では土の要素になり、季節は秋の土用です。易の八卦では「乾=天」にあり、天の卦は天人地の三爻すべてが陽(1)の卦で、啓山式に表わせば天は(111)となります。戌の字は茂る意味があり、秋に茂り実った稲穂は斧(鎌)で刈り取られて、収穫は蔵に収められます。蔵が湿気ていたら作物は腐ってしまいますから、天を表す乾は乾燥の世界を表します。そこで諸説ありますが、十月は豊穣を表し、収穫を天の神に感謝してお供えする神嘗祭に由縁するという説を取るのが自然かもしれません。