講座案内を中心にした新しいホームぺページができました。
URL
https://keizanjuku.net/
こちらでも啓山易ブログや干支歴をご覧になれます。
ご利用ください。
啓山易学塾
講座案内を中心にした新しいホームぺページができました。
URL
https://keizanjuku.net/
こちらでも啓山易ブログや干支歴をご覧になれます。
ご利用ください。
啓山易学塾
現在啓山易学塾の発信システムを改良するため、新たなブログの更新などお休していましたが、心新たに6月からスタートいたします。
その① ZOOMによる無料勉強会を開始します。
◎テーマ『易でよみとく才能と人生』を購入していただいた読者へのサービス講座
・単行本または電子書籍を購入された方に、使い方をレクチャーします。
・あなたの生まれ日の三つの干支数が示す素質の見方、強みの生かし方、
弱みの改善の仕方、日常を活性する生命リズムの生かし方をお教えしま
す。
◆参加ご希望の方には、日程とZOOMのURLをお送りいたしますので、下記メールに
参加希望と書いて返信してください。 締め切りは5月25日です。
6月は3日・5日・7日を予定しています。各クラス数名で実施しますので早めに申
し込みをお願いいたします
keizanjuku@gmail.com
◆本をこれから購入される方へ
単行本は1940円 kindle版は1550円で購入できます。
(現在Amazonに在庫アリ)
◆参加特典
1 松山怜佳の個別相談を、おひとり一回無料で受けられます。
2 この本は長くご利用いただける内容のため、令和元号入り20年間の干支暦PDFを差し上げます
5月25日『易でよみとく才能と人生』が電子書籍として出版されました
電子版は目次の読みたいところをクリックすると、瞬時に開けるよう工夫されています。
ご自分や身近の方の干支数のところに付箋を付けておくと、とても便利に使えると思います。
定価は1620円です。キンドルやタブレット、PCなどにダウンロードしていただけば、
持ち歩きが可能になり、いつでも必要なところを読むことができます。
書籍版と共々よろしくお願いいたします。
ご挨拶文書 ⇦ここをクリックしてください。このたびの本の内容をご覧いただけます。
『易でよみとく才能と人生」…自分だけの「生命の木」の育て方…
<目次>
序章 この本の使い方
第一章 干支と易でよみとく自分だけの「生命の木」の育て方
1.干支数に宿る易のことば
2.種子の名前は天性・六曜星
3.日の干支数(日数)は種子から伸びる根の性質
4.年の干支数(年数)は根につながる幹の性質
5.月の干支数(月数)は樹木の外観となる枝の性質
第二章 啓山易学とは
新たな易の考え方による啓山易学の初めての本です。自分だけの詳細な性質の見方を、一本の木に例えて表しています。たった一つの「生命の木」の種子や根や幹、そして枝にはどんな花が咲き実が付くのでしょうか?
折に触れ、必要なところを読んでいただけるよう、マニュアル化していますので、長く傍らに置いてご利用いただける内容となっています。
啓山易学の考え方は第二章に理論編にまとめていますので、お読みいただけるとうれしいです。
松山怜佳
始皇帝は12年という短い在位期間の間に、皇帝を補佐する最高位の丞相であった李斯(りし)の意見を重用して、厳しく冷酷な法に基づく支配を強め、人々を恐怖で従わせて権力を一手に掌握することに懸命でした。次々と改革として行った中に暴挙として歴史に語り継がれる「焚書坑儒/ふんしょこうじゅ」があります。
焚書は医学・農学・卜占の書以外の書物を全て燃き尽くしたこと。
坑儒は方士(学識者)四百六十余人を、法に反する罪と称して生き埋めにしたことです。
それは戦乱の時代には諸子百家として各地を遊説した学識者が、天下を統一した今は国を乱す根元になるという理由で、思想の弾圧と言論統制として行われた、いわゆる「愚民政策」でした。
一説に医学・農学・卜占の書を各二冊、計六冊をもって万事の尺度としたことから、秦は全ての測りの基本が六尺であったといいます。六尺は一間・180センチとして現代も普通に使われています。
また始皇帝は不老不死を切望して、東方の海上にある蓬莱山には仙人が住み、不老不死の妙薬を持つという、方士の徐市(じょふつ)の話を信じ、無垢の男女の童児数千人と多くの財宝に五穀の種を持たせ、送り出したと記されています。
日本では徐市=徐福とされています。徐福が数千人を従えて当時の日本に上陸したという徐福伝説が、九州や出雲や紀州また関東にあります。個人的には、古代日本の成り立ちと共に興味深く思っています。
長い歴史の中で、権力を掌握すると、都合の悪い書物や記録の焚書が行われたことは当然あり得たことです。近代中国でも現代の焚書坑儒といわれる出来事がありました。中国最古の歴史書という史記も、漢の武帝という強大な権力者の下で書かれた書物であり、その言葉は背景にある支配体制の影響がないとは言えません。
司馬遷(しばせん)はありのまま自由に書けたのだろうかと考え、歴史を深読みすると色々推考してしまいます。秦の後の漢の成立以降が史記の大半を占めますが、私はここで史記の言葉を終了しようと思います。
日本書紀や古事記も含め古代の歴史書は、その言葉の裏に秘められた事実を想像し、推論をしながら読むのは楽しい事です。真実でも虚実でもそれが歴史であり、何より当時の人々が私たちと同様に生きて、喜び怒り哀しみ楽しんだ人生があったことは確かな事と思います。
史記の言葉は徳間書店の史記全八巻の訳文を参考にいたしました。他にも北方健三先生やコミックでは横山光輝先生の史記全集などが読みやすいのではと思います。
史記の言葉をお読みいただきありがとうございました。
また新たなテーマで書いてまいりますので、よろしくお願いいたします。