C12 長月 九月

長月は陰暦の九月の異称で、別名、寝覚月・夜長月・月見月などと呼ばれます。
陰暦九月は新暦の八月で、八月十五日を仲秋・十五夜といい、今も行われるお月見の行事は、農業の節目にイモやススキを備えた信仰の名残です。

新暦の九月はそのまま長月となり、季節も秋の盛りを差しています。 猛暑もすぎて心地よい涼風に深い眠りに誘われる秋の夜長月…そこから長月と略されて呼ばれるようになったという説が定着しています。

易の八卦は兌=沢011の卦、十二支は酉、五行は金を配します。 八卦の兌に心をつけると悦びとなり、九月は黄金色に輝く稲穂がたわわに熟す収穫の季節を迎え、豊年を悦び、氏神様に実りを奉納して祝う秋祭りの季節です。

兌換券というように、兌はお金に変わるもの、心が悦ぶもので、悦びは一年の努力の結晶である実りであり、様々な努力が形(結晶・金)となる悦びを示します。

「一攫千金は一朝一夕にならず」で、稲穂の刈取りは猫の手も借りたいほどに、皆が総出で一気に収穫して値千金となりますが、その悦びは日々の努力の積み重ねがもたらすもので、一朝一夕にはかないません。

一攫の「攫」は「さらう・つかむ」で、一つかみで千金を手に入れると解されていますが、収穫の時期はもたもたしていると、せっかくの実りが腐ってしまいますから、総勢で一気に刈り取ることをいい、「濡れ手に粟」のように努力もせずに手に入るものではないと理解することが自然で、易の「兌」の意味にも合います。

九月の十二支「酉」に「氵=水」で「酒」となり、熟した米ときれいな水を熟成した「酒」は、一年の収穫を祝い、神様に捧げる「お神酒」であることから、お酒はお祝いごと、うれしい時に飲むのがやはり自然なのですね。

「悲しい酒」はあまり体にもよくありませんし、一年の一区切りの節目に「悦びの酒」を味わうため、日々努力を積み重ねて励みましょうということなのでしょうか…

C11 葉月・八月

女郎花(オミナエシ)月ともいわれ、朝晩には涼風も立ち、秋の始まりを示す立秋から暑さの終わる処暑を迎える月。

旧暦は七月ですが、葉月は旧暦八月の異称であることから、季節は現在の九月頃。残暑厳しい日も、上着の欲しい日もあり、また台風も到来するなど気候はまだ土用の変化期が影響します。

十二支は申、八卦は坤=地の陽で五行は土から金に移り、花芽に実が宿る結実の時。

草木の結実する時期は根も枯渇が進み、根幹の衰退現象が増してくることから、果断という文字通り身(実)を切るような省きの実践が必要になります。

以前TVで見た桃農家の話ですが、一つの花芽に三つの実がつくのを、良い実を育てるために、あえて二つの実を切るのだそうです。文字通り辛い果断の作業ですね。

易は八月に天地否111000の卦を配します。

天地否は下卦が陰の地000、上卦が陽の天111となり、天は上に、地は下にと天地離反して和合しないため否運を呼ぶとされます。

そこで上は辛くとも身を切って根幹の枯渇を食い止めなければなりません。

陰陽・天地が逆転して錯綜すれば地天泰000111、安泰の卦となります。

しかし上が私利私欲に走れば下は困窮するばかり。下の人たちは不平不満がたまり、徒党を組んで団交に挑むことを示し、上下が対立する図式です。

易は苦しくとも初心を変えず、一貫し努力すればやがて報われるといい、堅実な積み重ねを吉として、低きに流れ徒党を組む者は否運を招くとありますが、上下の立場が違えば思うことも逆になります。

大事なのは共に根幹を守るために、熟成した思考を持つこと。

上が果断の辛さを実行し、下はそれを見て辛抱我慢することで安泰となるのですが…

いつの世も既得権益にしがみつき果断などできない人は多く、下々の民の不満も無くならず、安泰となるのはなかなか難しそうです。

辛抱努力もせずに、上に媚びて甘い汁を吸う者は論外ですが、逆境でも継続は力と信じて誠実に努力する人達が、報われる世の中であってほしいものと願います。

 

 

C10 文月 七月

七夕月、常夏月ともいわれる新暦の文月・七月は、旧暦では六月ですが、旧暦の七月の異称が文月ですので、季節は現在の八月の気候です。牽牛と織姫の七夕伝説から各地で七夕祭りが行われていますが、七夕は中国から伝わった行事で、日本の風習ではなかったといわれます。

そこで文月の由来ですが、万葉集に七月をふみづきと詠んだ句があり、ふみつき→文月となったという説と、稲の穂が含む月「穂含月・ほふみつき」「含月・ふくみつき」から「ふみつき・文月」となったという説があります。 七月の十二支は未、易の八卦は坤=地の夏の土用を示します。易の六十四卦でいえば天山遯(てんざんとん)にマッチします。

遯という文字から連想するのは隠遁・遁走・遯面(とんずら)です。未は曖昧・蒙昧などの文字にもあり、はっきりしない、道理に暗い、また遯は現状から逃げる、現場を離れる、深入りしないなどの無責任なイメージがあります。しかし、天山遯は大変奥の深い卦で、社会が道理から外れている蒙昧期や、人間関係や仕事の倦怠期をやり過ごし乗り切る、賢者の知恵でもあるのです。

蒙昧な社会や統治者に道理を説いたところで迫害され敵視されるだけなので、関わらず一時逃れるところから賢者の知恵というのですが、昔のように山深くに隠遁生活はできないまでも、避暑に行く、一人旅をするなども「遯」の実践です。もっと簡単なのは昼寝です。蒸し暑い日差しを避けて木陰で涼むのも小さな遯です。この一時の遯の実践により生命力がよみがえり、打開するための明暗も浮かびます。

日曜日を安息日としたのも、いわば遯の実践で、自然に取り入れてきたのですね。馬車馬のように働くことも、一生懸命休みも取らず働くのも、心身を壊したり、意欲を長続きさせるのも限度があります。
とことん嫌になる前に少し遯をするだけで現状を見直すことはよくあることです。

ということで、猛暑の夏を乗り切るために、賢く大らかに、小さな「遯」を日常に取り入れ、ゆったりと過ごす時間を持ってみませんか。

(ブログの更新ができず、七月・文月が遅れてしまい申し訳ありません)

C9 水無月 六月

水無月は旧暦六月の異称で、文字通りなら水の無い月ですが、現在の新暦六月は旧暦では五月に当たり各地で梅雨入りする季節です。そこで旧暦の水無月は現在の七月で酷暑の季節ですから水無月というのも納得できます。

他にも田に並々と水を張る季節という意味で水張り月というのが水月となり、ミナヅキと発音されて水無月という字を当てたという説があり、これもうなづけます。旧暦と新暦の季節のずれがありますので、現実には大雨が降ることの多い現代の六月は水無月より水月(ミズヅキ→ミナヅキ)説の方がぴったりするようにも思えます。

太陽が黄道上の最北点、北回帰線の真上を通過する夏至(6月21日)は、昼の時間が最も長くなる真夏の到来です。夏は黄金色に熟した麦の収穫期で、冷たいビール(麦酒)が定番です。秋は米の収穫期で、日本酒(米酒)は冬の熱燗が定番ということで、ビールは体を冷やす夏のお酒といえます。日本では宴会の始まりにビールで乾杯というのが多いですが、宴の終わりに冷たいビールを飲むと、酔いが少し冷めてシャキッ!とするように思うのは私だけでしょうか…

十二支では午の月、易の八卦は離=火、五行も火の陽で燃え上がる炎を示し、午(馬)は華やかに堂々と競い合う姿で、競馬界はダービーに燃え上がります。午に木は杵となり、草木の開花現象を表し、杵でつく祝い餅は一家のお祝い事である「内祝い」の象徴です。 十二支の北の極=子と南の極=午を結ぶ線を子午線といい、時刻は午が昼の12時で、午の前を「午前」、午の後を「午後」といい、夜中の0時に始まり0時に終わる一日の時間の中心です。

地球の南北を結び中央を通過する子午線に、一日の中心の時を示す午の刻。 午の中央・中心ということを人生に例えると、天に輝く太陽が頭上に降り注ぐ、華やかな成功と満たされた生活に到達した状況です。易経の「火天大有(101111)」は同じような状況を説く卦ですが、満つれば欠けるのが道理であり、日はやがて沈むことを知って慢心を戒めることも説いています。

とはいえ、六月は夏の陽の光を浴びて、まずは願いの成就に向かって元気に活動できると午月らしくてよいですね。

C8 皐月 五月

早月・菖蒲月・早苗月ともいい、新暦の季節は初夏。五月雨(さみだれ)は、『五月雨を集めて早し最上川』と芭蕉の句にも詠まれ、旧暦の五月は梅雨時です。
田畑が雨で潤い、いよいよ田植えの季節が来たことから早苗月といい、早苗月が詰まって早月(さつき)となったというのが定説です。
万葉集や日本書紀では五月をさつきと読ませていて、皐月の字を当てはめたのは後世になってからと伝えられます。

五月晴れは快晴に恵まれた行楽シーズンのようなイメージですが、本来は梅雨の晴れ間の澄み渡った青空が五月晴れです。五月五日は端午の節句。月の端(はじめ)の午の日に、男子の出生を祝い邪気を払う行事が始まり、その日は菖蒲湯に浸かり夏衣装に衣替えをしました。一説に、昔は幼子が育ちにくかったため、無事三歳(数え五歳)を迎えた端午の日に、天に感謝するお祝いとして家門に昇りを立て、供え物をしたことが今の鯉のぼりになったという話も伝わっています。五日に定着したのは三世紀ごろで、相当古くからの習わしだったのですね。それだけ当時は男子が貴重だったのでしょう。

易の八卦は「巽=風」の卦を配して、十二支は巳(み)の月で二十四節気は「立夏」。五行は火で、火が生じる熱のような意味があります。
巳は蛇に例えられ、巳の性質は、筋道を大事に粘り強く誠実ですがこだわりや思い込みが強く、しつこさ執念深さに例えられます。蛇は東洋では神聖な生き物として扱われ、日本の氏神信仰にも深く根付いていますが、崇り神にもなりますね。
若葉が繁り夏の華麗な花の蕾が膨らみ、瑞々しく生気溢れる季節ですが、虫たちには格好の餌ともなるため害虫駆除が必要な頃です。
人も五月病といい、新年度を意欲に満ちてスタートした若者が、自己の思いとは違う現実に直面したり、未来の道筋を見通して虚しくなってしまうなど心の病が心配されます。情熱が純粋なほどもろく傷つきやすいものですが、青年期は自己愛が強いのが当然で、個性の違いや能力の違いに気付くと自信を失ったり自信過剰にもなります。心が成長するための過渡期でもあり、良い師や仲間や友を得ることがとても大切で、助け合い他を思いやる心も磨かれていきます。
そこで巳は「養心・養生」の時を示し、十二支は六番目の真ん中の折り返しに巳を置きます。五(巳)月の消長卦は陽気ばかりの乾為天111111で最高の卦ですが、満れば欠けるようにもろく傷つきやすいのです。強風や害虫に負けずに花を咲かせる草木のように、弱点を修正し改善するために心身の中休みをとり、今後の方向を確立して道筋を整える大切な一年の節目です。
連休には心と体に栄養と休養を十分とって英気を吸収しましょう。
行楽や旅行もとてもよいですが疲労困憊しては休養になりませんね。普段できないような読書や芸術やスポーツに親しむなども良い過ごし方と思います。