長月は陰暦の九月の異称で、別名、寝覚月・夜長月・月見月などと呼ばれます。
陰暦九月は新暦の八月で、八月十五日を仲秋・十五夜といい、今も行われるお月見の行事は、農業の節目にイモやススキを備えた信仰の名残です。
新暦の九月はそのまま長月となり、季節も秋の盛りを差しています。 猛暑もすぎて心地よい涼風に深い眠りに誘われる秋の夜長月…そこから長月と略されて呼ばれるようになったという説が定着しています。
易の八卦は兌=沢011の卦、十二支は酉、五行は金を配します。 八卦の兌に心をつけると悦びとなり、九月は黄金色に輝く稲穂がたわわに熟す収穫の季節を迎え、豊年を悦び、氏神様に実りを奉納して祝う秋祭りの季節です。
兌換券というように、兌はお金に変わるもの、心が悦ぶもので、悦びは一年の努力の結晶である実りであり、様々な努力が形(結晶・金)となる悦びを示します。
「一攫千金は一朝一夕にならず」で、稲穂の刈取りは猫の手も借りたいほどに、皆が総出で一気に収穫して値千金となりますが、その悦びは日々の努力の積み重ねがもたらすもので、一朝一夕にはかないません。
一攫の「攫」は「さらう・つかむ」で、一つかみで千金を手に入れると解されていますが、収穫の時期はもたもたしていると、せっかくの実りが腐ってしまいますから、総勢で一気に刈り取ることをいい、「濡れ手に粟」のように努力もせずに手に入るものではないと理解することが自然で、易の「兌」の意味にも合います。
九月の十二支「酉」に「氵=水」で「酒」となり、熟した米ときれいな水を熟成した「酒」は、一年の収穫を祝い、神様に捧げる「お神酒」であることから、お酒はお祝いごと、うれしい時に飲むのがやはり自然なのですね。
「悲しい酒」はあまり体にもよくありませんし、一年の一区切りの節目に「悦びの酒」を味わうため、日々努力を積み重ねて励みましょうということなのでしょうか…