A13 易は数学

陽を1、陰を0で爻を表すと、陰陽の卦を表す易の展開図では、太極①は両義=陰陽(0・1)を生じ、陰陽は四象(11・01・10・00)を生じ、四象は万物=八卦(111・011・101・001,110・010・100・000)を生じます。

八卦は天人地を表す三爻の卦で、以後一爻ずつ陰陽が変化して四爻・五爻・六爻と展開し、八卦×八卦=六十四卦へと展開します。 陰陽・天地は六回の変化のどの段階においても左右に純粋な陰陽の状態で展開して、陰陽が混在することはありません。
111→1111→11111→111111(乾為天)、000→0000→00000→000000(坤為地)となり、その間に六十二卦の陰陽が混じりあう卦が生じます。 易経はこの天地の卦を含む六十四卦を用いて、その象形や爻の変化を読み、人の社会に起こりうるあらゆる問題や現象を解き明かそうとするものです。 さらに長い時間の中で、時代の聖人・賢人たちにより哲学的道徳的な意味が加えられ、やがて帝王学へと発展していきました。

しかし易経と易の展開図の並びとは異なる並び順で説かれています。 易の展開図で太極から陰陽が生じて発展する卦は、陰と陽のグループの同位置にある卦の陰と陽が真逆になった象形です。 例えば陽のグループの000001は陰のグループの111110と陰陽が逆転した対照の関係です。このような陰陽逆転した卦を「錯卦」といいます。
二つの卦を一組としてドラマが展開する易経では、多くは上下・天地を逆転した卦の組み合わせで、例えば011111(沢天夬)111110(天風姤)のように180度ひっくり返した卦の組み合わせで語られます。このような天地逆転した卦を「綜卦」といいます。中にはいくつか錯卦の組み合わせもありますが、大半が綜卦です。
このことから易経は、天から見れば、地から見ればという、天の道理、地の道理を基準に物事の道理を説いていることが推測できます。 しかし、易の陰陽の展開図は整然と左右に陰陽逆転した錯卦の関係で展開していますので、易経を活用するにははこの両方の「錯綜」した関係を加えて読み解くことがとても重要と思います。

元々易は、数学であるという見方があります。論理的数学というのでしょうか、その証拠に易の展開図の数の変化を表すと下記のような表になります。
易の三角形、または八卦の行列と呼ばれる下記の数列は、両端はすべて陽のみ、陰のみで展開し、純粋な数1で表します。 陰陽両義は1・1、四象は陰陽の1・1の間に1+1=2(01・10)、さらに八卦は1・1の間に陽の1+2=3(011・101・001)、陰の1+2=3(100・010・110)が生じて1+3+3+1=8になります。 そして六十四卦は1+6+15+20+15+6+1=64 という数列で表せます。
驚くことに、この数の展開は数学の基本であり、遺伝学・生物学・組み合わせ論・物理学・ゲーム理論‥等々の基礎となる二項定理と同じなのです。 はたして数学の歴史と易の歴史を遡るとどちらが先であったのでしょう。

[易の三角形・八卦の行列]

 陽    ①  太極 ①         陰
 1  1  両義 1+1=2
1    2 1  四象1+2+1=4
1         3     3 1 八卦1+3+3+1=8
1     4    6      4 1  十六
1       5        10       10      5 1 三十二
1   6      15 20        15  6 1 六十四卦

 

最下段の六十四卦は左右の1(乾為天111111)・1(坤為地000000)の間に、陰陽逆転した錯卦で6(六つの陽卦)・6(六つの陰卦),15(十五の陽卦)・15(十五の陰卦)、中央に20(陰陽成立初期の二十卦)が生じます。中央の若い卦から左右に進むほど熟成した卦という見方もできます。

以下は私の推論ですが…古代シュメールやそれ以前の先史の頃に、このような数や数式を用いる高度な文明があり、その仕組みや知識を伝えられた中国古代の伏犠などの聖人により、陰陽の符号が作られ、さらに漢字を用いて易として体系化して活用されてきたのではないか…様々な世界の古代文明に共通する数の一致はその証ではないか…と想像は果てしなく広がっていきます。

易経は人の生きる世界を網羅して深遠で広大ですが、その内容は誰にでもあてはまるものです。 さらに数列で表す易の展開図はさらに簡易な法則です。 このように易を数学でとらえると、あらゆる科学の世界に共通する理論となり、知らずに私たちの日常に生かされており、当たり前のように使われているのです。

易経は一つの卦(本卦)を読むのではなく、一組のニ卦とそれぞれの錯卦・綜卦さらに中を読む互卦(次回)を加えて、立体的なドラマのように読み解くことで、とてもわかりやすく、面白く読めます。またさまざまな状況に応じる知恵として、過去、原因、現状の問題点、未来の指針などを知ることができます。

本来易経は占断・占筮の書とされていますが、その解説書である繋辞伝にさえ『易経を知る者は占わず』とあります。易経は、過去、現状、心の在り方を振り返り、本質に気づき、身近に起こりうるあらゆる問題への想像力を発展させて、未来をより良い方向へ導く指針となるでしょう。ぜひ一生に一度は易を知る機会を求め、またドラマのように立体的に読むことで易経に親しんでいただけたらと思います。 次回…易経の読み方について。

A12 易経は八卦の組み合わせ

八卦の元になるのは陰陽の符号(爻)です。対照的な陰陽を三つずつ組み合せると八(二の三乗)となります。これを八卦といい、三爻を天人地に置いて、あらゆる自然現象を当てはめています。易経はこの八卦(三爻)を重ねて万物万象の複雑な現象を解く根拠としています。易は八卦を小成卦、八卦×八卦=六十四卦を大成卦といい、易経は大成六十四卦(六爻)の卦の象形を、人が体験するであろうあらゆる出来事、現象について身近な例えを用いて説いています。

 

易の解説書である繋辞上伝には、「根元である太極から両義(陰陽)が生まれ、両義から四象が生まれ、四象から八卦が生まれる…」とあります。

宇宙自然界の根元を易は太極と表します。太極は限りない0~限りなく∞の世界であり万物万象の根元的世界の象徴です。太極は陰陽(天地)を生みとありますが、太極は陰陽の関係で成り立っているという見方もできます。四象は身近に表せば四季のように、天地・陰陽が生み出す四つのもの・現象と考えてください。天地陰陽の働きは自然の変化を生み、万物を創造し、生命の世界を生み出します。陽(天)を生命の世界とすれば陰(地)は物体の世界となり、陽の働きは肉体を育て陰の働きはそれを受けて心を育てます。

易経は八卦の成立を天地の働きと関連するものとして、太極から八卦に発展する陰陽の関係に自然現象を当てはめ、人間世界を表現しました。(陽1・陰0)

両義 四象 八卦 自然現象とその働き。
太 

(陽1)天男創造 (老陽 11)
動的な命
乾=天 111 無限の天・創造するはたらき
兌=沢 011 生命を潤す沢・水を湛えた窪み
(少陰 01)
静的な命
離=火 101 空気中に燃えるもの・炎・太陽
震=雷 001 大地に轟く雷鳴・地下の生命
(陰0)地女形成 (少陽 10)
動的な物
巽=風 110 天地の間に介在する無形のもの
坎=水 010 地の中を流れる水・育むもの
(老陰 00)
静的な物
艮=山 100 山の頂・限界点・動かざるもの
坤=地 000 有限の大地・形成するはたらき

 

陽の極まる乾は剛(陽)なる天で、人なら男(父)となり、陰の極まる坤は柔(陰)の極まる地で、人なら女(母)となり、陰陽は生命(子)を生み、育み、形成する働きとしました。大極から展開する陰陽の形を図に表すと三角形になります。

三角形に展開する陰陽の数列は、数学の基礎である二項定理と同じです。

二項定理は物理学・天文学・生物学・コンピューター理論・ゲーム理論etc..etc

あらゆる分野の発展の基礎となっていますが、易を数で表せばまさに同じ理論なのです
(数列については次回の機会に記します)

易経を創った賢人たちは、自然界の仕組みを解く数の易に哲学的解釈を加えて、人が理解し体得して生かせるように教本に著わしたようにも思えます。

繋辞伝のはじめに「乾(天)は易(やすらか)さをもってものを治め、坤(地)は簡(おおらか)さをもってものを治める。」とあり、このような万物を生み治める天地の働きは、易簡=簡易であると記しています。

陰陽・天地の働き自体はとても自然でやすらかで大らかなものなのです。

易の説くものは万物の無限の発展の法則ですから、その働きが健全に続く限り人の生きる世界は続くといえるのですが、易の成立でも記しましたが、徳の少ない小人がこの世界を支配すれば、自然の働きを壊し間違いなく滅びを早めることになるということなのだと思います。

 

A10 陰陽で説く「仁」について

仁は人の優れた徳を表す「仁・義・礼・智・信」の五徳の一つです。
仁は他を慈しむ心で、他人に対する愛情や思いやりを示す言葉ですが、これを行うにはまず自分に打ち克つことが求められるという厳しい見方があります。 思いやりや真心なら自分にもあるから、仁徳の実践はしているといいたいのですが、真に他を慈しむには、自分の欲望を捨て去ることが必要といいます。

二つあれば容易に一つを他人にあげられますが、一つしかないときはどうでしょうか。一つしかないものの究極は「自分」であり「命」です。

仁の文字は人に二と書きます。人は他と自分、男と女、親と子であり陰陽の二の関係で成り立つのが人だという見方もできます。また二の中に人を書くと「天」になります。
仁の核となる性質は陰性で、種子の内部にある核(胚乳)や胎児も仁です。天にいただいた自分の中の他の命というような意味ですが、そこで女性を表す陰性の仁は「母性」なんですね。慈母観音というように、他を慈しむ慈愛の情感は陰性の最高の美徳といえますがそれは母性であるといいます。 一つしかない自分の命に代えて子を守る母性愛は、他を慈しむ仁の美徳の象徴です。

欲望は発展の原動力で陽性であり男性を表しますが、男性の中にも陰性があり母性があります。陰性は欲望を内省して省く力や守る力ですが、さらに自分の欲望を捨てて他への慈愛に至る陰性を母性と表します。
易は陰陽が互いに調和することで健全な創造活動が行われることを説き、陰陽の健全な働きが続く限り無限に循環する生命の原理です。
陽と陰の互いに相待ち引き合う関係を男女でいえば、女性の陰徳・慈愛の心を育てるのは男性であり、また女性の慈愛に守られ育まれて健全な男性が育つといえます。
近ごろも子供の虐待や育児放棄や果ては子殺しなどのニュースに接するたび、陰陽が調和して生まれる母性の希薄さに胸が傷み、負の連鎖を心配してしまいます。 大きな陽性は世の中の発展の力ですが、そこに暮らす人々が慈しまれていなければ、他を思いやることも健全な人の情感も育たなくなるのでしょうか。

A9 易経余話 潜竜について

易経は乾=天の卦から始まります。六爻の全てが陽111111で成り立つ偉大な天の創造の働きを示す卦で、次の坤為地000000と共に、六十四卦では別格の役割を担う卦です。
そこで今回は111111の右の1(初爻)の潜竜についてのお話です。

これは竜が潜っている状態で、竜に例える賢人は表だって社会的な活動をしてはならない。
力のある陽竜も今は下に潜んで力を蓄えて時を待つのだ。というような解釈です。
卦を詳しく解説した『文言伝』の訳文に「潜竜とはどういう意味か」と先生に問う師弟の問答があります。
以下は要約ですが、先生曰く、「竜のように極めて優れた徳を備えながら、世間から隠れている人のことを言うのだよ。その人はことさら世俗の悪い風習を変えようともせず、自分の名声を高めようともしない。世間から隠れていても、認められなくても不平不満もない。世間に出て活動するのが楽しい時は、出て徳業を行い、そうすると煩わしいときは世間から去る。そのように志がしっかりとして変えさせようもない。そんな人を潜竜というのだよ」と…
そこで「うーん」と考えてしまいました。

極めて優れているのでもないのに表に出たがり、
世俗の悪い風習には抵抗なく染まり、徳がないのに名声は欲しがる。
認められないと不満を言い、しゃしゃり出て周囲を辟易とさせ、去ってほしいのに容易に去らない人、
世間に結構いそうだなと思ってしまいました。
私自身も未熟な過去の記憶に思い当たることがあり、首をすくめてしまいます。
若ければまだしもそれなりに影響力のある人がこれではちょっと困りますね。

潜竜は、やがて天にも昇る竜のような素質を秘めて、まだ世に出ない若い人にも例えられます。
潜竜との出会いを楽しみに、ことさら名声を望まず、出番があれば誠心誠意働くことを楽しみ、不平不満を言わないことだけはせめて実行しなくては…と、そんなことを思ってしまった潜竜の爻辞です。

訳文引用『中国古典文学大系(平凡社)赤塚忠訳』