仁は人の優れた徳を表す「仁・義・礼・智・信」の五徳の一つです。
仁は他を慈しむ心で、他人に対する愛情や思いやりを示す言葉ですが、これを行うにはまず自分に打ち克つことが求められるという厳しい見方があります。 思いやりや真心なら自分にもあるから、仁徳の実践はしているといいたいのですが、真に他を慈しむには、自分の欲望を捨て去ることが必要といいます。
二つあれば容易に一つを他人にあげられますが、一つしかないときはどうでしょうか。一つしかないものの究極は「自分」であり「命」です。
仁の文字は人に二と書きます。人は他と自分、男と女、親と子であり陰陽の二の関係で成り立つのが人だという見方もできます。また二の中に人を書くと「天」になります。
仁の核となる性質は陰性で、種子の内部にある核(胚乳)や胎児も仁です。天にいただいた自分の中の他の命というような意味ですが、そこで女性を表す陰性の仁は「母性」なんですね。慈母観音というように、他を慈しむ慈愛の情感は陰性の最高の美徳といえますがそれは母性であるといいます。 一つしかない自分の命に代えて子を守る母性愛は、他を慈しむ仁の美徳の象徴です。
欲望は発展の原動力で陽性であり男性を表しますが、男性の中にも陰性があり母性があります。陰性は欲望を内省して省く力や守る力ですが、さらに自分の欲望を捨てて他への慈愛に至る陰性を母性と表します。
易は陰陽が互いに調和することで健全な創造活動が行われることを説き、陰陽の健全な働きが続く限り無限に循環する生命の原理です。
陽と陰の互いに相待ち引き合う関係を男女でいえば、女性の陰徳・慈愛の心を育てるのは男性であり、また女性の慈愛に守られ育まれて健全な男性が育つといえます。
近ごろも子供の虐待や育児放棄や果ては子殺しなどのニュースに接するたび、陰陽が調和して生まれる母性の希薄さに胸が傷み、負の連鎖を心配してしまいます。 大きな陽性は世の中の発展の力ですが、そこに暮らす人々が慈しまれていなければ、他を思いやることも健全な人の情感も育たなくなるのでしょうか。