E34易経を読むー32〔63〕水火既済・有終、終息〔64〕火水未済・流転始まる

〔63〕水火既済(すいかきせい)010.101完結し有終を飾る・終息し火を消す

既済は既に済むであり、六十四卦の中で唯一陰陽が正しい位置に収まり完結した象形です。

有終の美を飾り終わることが目的なら、まさにその時が来たのです。

これを維持し守り抜くことで順調な状況が続きます。しかし易はたゆまぬ変化を説き、ことが全て成就して得た安寧も、時の経過と共に新たな混乱の種が芽生えます。

苦難を乗り越えてたどり着いた理想的な平和ですが、完成は崩壊の始まりでもあり、満つれば欠ける道理を免れません。より長くこの平和を守るために、欲望を抑え現状維持に努めることが大切です。

互卦・錯卦・綜卦の全てが新たな始まりを示す火水未済です。火を落として一日の安息を得ても、再び火をおこして朝の活動の時を迎えます。

そこで賢人は、安寧を長く保つために、災いが降りかからぬよう予防することに努めるのです。

 

〔64〕火水未済(かすいみせい)101.010新たなる流転の始まり、火をおこす

未済は未だ済まずであり、止まぬ変化を解く易は、完結しても終わることがありません。

事の終わりは新たな始まりを招き、終息も変化の中の一つの現象と捉えます。

朝が来ればまた困難(水)を乗り越え、光(火)を求めて活動が始まり、大願を成就した後も、新たな混乱や災禍が兆してくるでしょう。

一旦終息を向かえた状況では、発生した問題を一気に解決することは容易ではありません。

一つ一つ丁寧に対処し、柔軟に対応してゆくことが大切です。

新たな流転の始まりでも、成就した経験をもつ人々は、一致協力して乗り越えていくすべを知っています。その気概さえあれば、再び万物を創生する天の力を得ることができるでしょう。

互卦・錯卦・綜卦の全てが水火既済であり、その平和の経験を忘れることなく、また新たな変化に向かって進んでいくのです。

そこで賢人は、何が起きても慎重に分別し見極めて、安寧を持続するために適切に対処することを心がけるのです。

 

〔解説〕

既済と未済の二つの卦は六十四卦を巡る旅の終結と新たな始まりを示します。

易は止むことの無い変化を解き、人も生ある限り変化していきます。

そしてかぎりない変化は、陽気を増して進化と発展を生み、極まれば陰気が増して終息へ向かいます。行き過ぎた進化や発展はさまざまな淘汰の現象を生み、賢明な人々は勇気をもって自らの手で省きを行います。

季節のように変化は繰り返し、経験や体験は同じ過ちを繰り返さない知恵を授けます。

繁栄し富める時も慢心せず、貧しく窮しても希望を捨てず、時には果敢に進み、あるいはじっと耐えて待つことを、易はさまざまな例え話を用い、その時や立場に応じる対処法を示しています。

喉元を過ぎると熱さを忘れるというのは、常に戒めの言葉ですが、別の意味で苦しさを忘れることは生きるための救いにもなります。

六十四卦の陰陽の爻の組み合わせは、各々数式のように文物を発明し、制度を編みだすカギとなり、哲学や思想を育み、人の生き方を示す指針となってきました。

そこに共通するのは限りなく生命を尊ぶ思想です。

終わりに…

「易経を読む」は、昨年の9月から訥々と書き始めて、終了までちょうど一年かかりました。有終の美とは言えませんが、私もようやく水火既済を迎えました。
またこの瞬間から火水未済へと転じていくことでしょう。

四つの卦を同時に読む読み方は私が理解するための工夫でした。また解釈や解説も私の感じたままですので、当然異論もおありかと思います。

お読みいただいた皆様には感謝と同時に、ご意見やご感想などお聞かせいただければ幸いです。

keizan7@gmail.com 啓山・易学塾

代表 松山 怜佳

E33-易経を読む-31〔61〕風沢中孚.・誠意誠実は通じる〔62〕雷山小過・分相応に

61〕風沢中孚(ふうたくちゅうふ)110.011誠意誠実に行えば通じる

中孚は中に孚(誠)ありで、誠実さに満ち溢れていること。

内面に徳があり虚心である人が、誠実に人を導いていく象形です。

孚は親鳥が「孵化」させようと卵を温める様子で、同じように愛情と誠意をもって行えば、必ず人に活力と喜びを与えるだろうと説きます。

風が沢に吹きわたり、草や木が風になびく様子であり、そよ風が優しく吹きそそぎ、少女は髪をなびかせ風に身を任せて悦ぶ姿も連想します。

誠意誠実を尽くせば危機を脱して何事も成就することを説き、また利害や損得ではなく、心で結ばれた深い愛情を象徴する卦です。

互卦は〔27〕の山雷頤で、養心養生を促し、そして綜卦は次の雷山小過で、分を知る謙虚さを説いています。

賢人はこの卦を見て、常に心を養い、誠実に温情をもってものごとを決着することの大切さを知るのです。

 

62〕雷山小過(らいさんしょうか)001.100日常を守り分を守る

小過は少な過ぎることで、〔28〕沢風大過と対になる卦です。

発展の勢いは少なく、自己中心な小人は多くなり、内部に分裂の危機が潜んでいるため、発展を願い大事に挑む時ではありません。日々のことを丁寧に処理して、野心を抱かず分を守り、穏やかな繁栄を持続することが大切だと説いています。

山上の雷雲は暗転の兆候です。また大きな音を立てて飛ぶ鳥は狙われるように、上昇を望むのは時勢に逆らう行為であるといいます。

反対にある卦が風沢中孚で、孵化したヒナを守ることが雷山小過に課せられた責任とも読めます。

互卦は沢風大過で、野心を抱かず抱え過ぎるなと警告します。

分限を知り、分を守り、器に合うように生きることで繁栄を持続することが小過の教えです。

そこで賢人は、時勢に則し、行動を慎み、人の悲しみに同調し、節約に励み、災いを招かないように計らうのです。

 

〔解説〕

いよいよ、易経の旅も後二卦を残すのみで、最終章に近づきました。

終息の勢いは益々強くなり、野望は叶わず、大きなことを成す勢いもありません。

この二つの卦は、穏やかな終息の時を迎えるために成すべきことは、誠意と愛情をもって孵化を促す親鳥のように、次世代へつなぐものを慈しみ守り、また分を守って多すぎる荷を降ろし、安定を持続することに努めることだと説いています。

陽極まれば陰に転じ、陰極まれば陽に転じる易の巡りから、人は発展の勢いがある時には野心をもち、大いに働き動くことが必要ですが、終息へ向かい、いよいよ陰が極まる時期は、野心を抱かず、守るものを明確にして、備えることを促します。

そのために風を読み、雲行きを読んで変化を察知し、分を守り、耐乏生活や避難の時に備え、敵を作らず、恨みを買わず、誤解を招かないよう、慎重に行動することの大切さを説いています。

夜の闇も冬の寒さも、心通う愛情に包まれ、必要な備えがあれば平和で穏やかに過ごせます。志や野望もまた、日が昇り春が来れば大いに発展させる時が来ます。

言い古された言葉ですが、改めて大切なことだと思いました。

 

 

 

E32易経を読む-30〔59〕風水渙・離散、離反を防ぐ〔60〕水沢節・節度を保つ

59〕風水渙(ふうすいかん)110.010 大いなる船出は離散・離反を防ぐ

渙は散る意味であり、帆を張り進む船を見て、衆人は外に向かって大いに飛躍する力強さを感じ、心を一つにして離散や離反をすることがありません。

民が離散離反することを最も恐れるのは支配者である王で、常に民の心が離れないように霊廟に祀り祈ります。

渙は水の上を帆が風を受けて走る象形です。風は外に向かって発展する力を表し、大事業がなされる力強さを感じさせます。民はその風景に国の安定を見て、心安らかに過ごすことができるのです。

現実はもはや船に乗せる野望も物品もないのですが、それでも毎日帆を上げて船を走らせる光景を民に見せることは重要でした。

豊かさを享受して満ち足りても、それを持続することは大変難しい事です。

満ちれば欠ける道理があり、四季のように季節も移り変わります。

国や家長の力の衰退は、民の離反や内政の分裂あるいは一家離散を招く脅威です。
王も宰相も家長も、賢人たちはそれぞれに守ることの重みをかみしめ、気を引き締めて適切な事業を行い、この危難を克服し目的を果たす努力をするのです。

 

60〕水沢節(すいたくせつ)010.011 規律や節度を保ち誘惑を退ける

節は節制・節操・節約・節度の意味で、それを守ることの大切さを説きます。

原理や原則に固執すれば行き詰まり、苦難を乗り越えられない時節です。

苦難苦節を乗り越えるためには、現状に逆らわず悦んで(沢)危難(水)を受け入れ、立場を守り中庸(節度)を守り、偏らず正しく事を行なうことが大切です。

苦節の時こそ誘惑に負けないよう、心の中に道徳心を芽生えさせることが求められ、一人一人の誠実な心から道徳的な発展が生まれると説いています。

物事を良く噛みしめ見極めて、旅人のように郷に入れば郷に従い、節度を保つことが、流浪の人生を食い止めるのです。

終息の勢いは止められなくても、皆が心正しく安らかにいれば、その速度は緩やかに訪れ、共感して静かに終息の時を迎えるでしょう。

そこで賢人は、日々の生活を規律正しくし、いかに過ごすべきかを話し合い、節制し節度を保つ努力をするのです。

 

〔解説〕

六十四卦の旅も終盤に近づいています。日が沈むのを止められないように、終息への勢いは止めようもなく、逆らうより悦んで受け入れることだと説きます。ただ日が沈む前に少しでも余力を残し、人々の混乱を防ぐことに努めることが重要です。

風水渙の卦は一見平和で発展の勢いがあり、民衆は日々の不安がなく安らかにみえます。

実際は船に人も荷も無くまた野望もなく、船がいつも通り進む姿は民への安心アピールでもあり、子供たちに心配をかけない親心なのです。

人々が不安におびえて混乱しないよう、賢人は吟味熟慮してやれることを選び、人々に苦難を強いることなく志を果たす努力をしてきました。

十分に与えられる時は、民衆は離反しませんが、苦しい時は不安から誘惑の声に打ち勝つことは難しいのは当然で、不安が限界に達すれば民は離反し、一家離散もありえます。
そうなれば国は亡び、家も亡びます。

苦節を共にするには、上下の深い共感と信頼が不可欠で、上は自ら率先して模範を示し、人々が誘惑に負けないよう丁寧に話し合い、一人一人の心に道徳心が芽生えるよう導きます。

苦しい時こそ心を一つに質素倹約し、節度を保って乗り越えることを水沢節の卦は説いています。

今隣国が大変心配されますが、体制批判を恐れるのは、まさに人々の状況が危機的であることを示すのではないでしょうか…

日没も季節の変化も止めようもなく、静かに受け入れて備えることが大切だと二つの卦が示します。

闇を越えれば又日は昇り、冬が過ぎれば温かな春が来るのです。夜の支度、冬の支度のために身も心も充実させる備えの時を示します。

賢明な指導者は、時期を読み正しく方向を読むことがとても重要だと改めて思いました。

 

 

 

 

E31易経を読む-29〔57〕巽為風・柔軟な風〔58〕兌為沢・語り合い和合する

57〕巽為風(そんいふう)110.110そよ風のように柔順、柔軟に。

「巽」は「風」で、巽為風は風が二つ重なる卦。巽は巳と共にあると書くように、仲の良い夫婦のように、心が通じ合う人と人の関係にも通じます。

そよ風は優しく枝葉をそよがせ、人のほほを撫でて吹く心地よい風です。人なら謙遜の姿に例えられるでしょう。

物に当たっても柔軟によけて吹き過ぎる風は、争うことなく物事を柔軟に采配する優れた指導者の姿です。このような人に従っていくなら、行く先は順調に開けていくのだと説いています。
心地良いそよ風の吹く巽が示す南東は、順調に進展し活気を生むとされ、商売人に好まれる方位です。

優しく平等に接する優れた指導者には、皆喜んで従う一見平和な状況です。でも内部に女同士の妬みや嫉みのような揉め事が生まれることを、互卦の火沢暌(かたくけい)が警告します。

柔順なそよ風は、一変して屋根を吹き飛ばすような強い突風・大風にもなります。
兄嫁と小姑の勢力争いのような身内のいざこざが、進展の足を引っ張るような状況ではとても大事業はできないでしょう。内部の安定はとても重要です。

そこで賢人は、常に謙虚に事を行い、何ごとにも冷静に、慌てず恐れず、和合と親睦を心がけるのです。

 

58〕兌為沢(だいたく)011.011誠実に語りあい親しみ和合する。

「兌」は「説」であり「悦」を示します。言葉で語り合うことは心が喜び、親しみ和合することにつながります。沢は少女を表しますが、二人の少女が楽しそうに語り合う様子は、見ている者も思わず微笑んでしまうように心が和むものです。

人は、悦び、楽しく暮らすことがとても大切で、正しく事を行い、自然な悦びの心を貫き保つことは天命に適い、やがて人と人の心が通い合い、皆悦び、親しく和合するだろうと説いています。

「沢」はまた言語の力を示し、言葉は人と人をつなぐ潤滑油です。でも誠意や誠実な心がなければ、その言葉は逆に不信と不和を招くことにもなります。言葉はもろ刃の剣になるものです。

互卦の風火家人(ふうかかじん)は、心から信じ、親しみ、寄り添い合える家族の象形です。このような家族は強い味方であり、外敵に対しての強い守りの力となるでしょう。家人は家族であり、切磋琢磨して結ばれた同志でもあります。

悦び楽しみ集う状況が永遠に続くことはなくても、心を一つにして支え合える家族や同志がいれば、艱難辛苦をじっと耐えていく力となり、現状を守るために無欲無心の強い心が生まれるのです。

そのような同志ともいえる関係は、共に学び鍛えあい、向上を目指す中で生まれるのだと説きます。

そこで賢人は友と集い語り合い、共に志を立て、向上するために真剣に学び心を磨きあうのです。

 

〔解説〕

巽為風(そんいふう)と兌為沢(だいたく)は、真の和合の道へ導く指導者の資質と共に、心が通じ合う、真の同志・家族の大切さを説いています。

また人が和合するために言葉の力は大変重要で、また逆に人を傷つけ不和を招くこともあり、言葉はもろ刃の剣でもあります。

柔軟な風は、争いを嫌う謙虚で公平な指導者の姿であり、そのような人の導く未来は、人々が悦び、親しみ、語り合って和合する、美しい社会となるでしょう。そのような人と人が心を通じ合い、信頼し合うために、語り合う言葉の力はとても大切です。しかし、その言葉に誠意誠実や真実の思いがなければ、逆に不信や不和を招く力ともなります。

また真に信頼し合う関係は、真剣に学び、誠実に語り合い、様々に切磋琢磨する中で生まれ、それはどんな時も支え合う、強い信頼のきずなで結ばれた家族と重なります。

兌為沢の賢人の言葉の原文訳は「君子以て朋友講習す」で、今は当たり前に使われている「講習」という言葉の語源です。

「講習」とは、友と集い、学び、心を磨き、切磋琢磨して、共に向上を目指すことで、そこに真の友・家族ともいえる心が育っていくのですね。

遊び友達も悪くはないですが、楽しい時だけの友達では、艱難辛苦の時に、守り支え合うことは期待できないでしょう。

若い方たちには、真剣に語り合い、鍛え学びあって、良き友情を育んでほしいと心から思います。

 

E-30 易経を読む-28〔55〕雷火豊 豊かさの中の衰兆〔56〕火山旅 人生は希求の旅

55〕雷火豊(らいかほう)001.101 豊かさの中の衰兆

豊は文字通り「豊かさ」を示し、その繁栄は盛大で、まるで王者のように満ち足りている状況です。まさに日が中天にありますが、これ以後は徐々に日が傾いていく状況です。

満ちれば欠けるのは自然の摂理で、天地は四季の移り変わりに従い、消長・盛衰していくものです。

繁栄に至るまでの苦労と努力の成果は、それを守るだけでも相当のエネルギーを必要とするでしょう。体力も消耗しているはずで、このようなときは、現状を守り、土台を固めていくことが大切です。
まして、さらなる拡張拡大や新規の事業に挑むことは厳しく戒めることとしています。

震=雷と離=火は仲睦まじい中年の男女の姿ですが、そろそろ衰えが始まる年代です。火(101)の上の雷(001)とは、やがて変動が起こることを示します。

互卦の「沢風大過」は荷を積み過ぎて傾きかかけた船を示します。因果を説く錯卦の水沢節は、節度・節制・節操で、中庸の大切さを説いています。

そこで賢人は、繁栄の時にこそ様々な問題や争いの種となることを洞察し、規則やルールの中で「公正」を基準にして、賢明に対処し解決をしておくのです。

 

6〕火山旅(かざんりょ)101.100 人生は希求の旅

旅は文字通り旅のことですが、山(100)の上の火(101)が示すのは、日が山頂にあるうちに、安全を確保することを警告しています。例えば日のあるうちに宿をとらないと危ないぞということでしょう。

旅が今のように楽しみや慰安となったのはまだ最近のことです。

古代の旅は、新天地を求め、また現状の発展をめざし、また窮地を逃れるために、まさに命がけの覚悟で「水杯を交わし」臨んだものと思います。

現代と違い、見知らぬ土地、未知の人々の中で過ごす不安は想像を絶するものだったでしょう。そのような不安な状況は人生の中でも起こります。転居や転職などもその一つです。

人生は希求の旅であるといい、様々な変化と出会いの中で、夢と希望を求めて時を経ていく、我々の人生に重なります。

時には流浪し流転する苦難もあり、良い人に出会い、良い場に行き着き、人生を大いに進化発展させることもあります。

旅に目的があるように、人生の旅も理想や志を忘れずに保って行けば、困難を乗り越える力となるでしょう。

「郷に入っては郷に従え」という格言がありますが、これはまさに旅における戒めです。

錯卦の「水沢節」も節度・節操を守り節制し、原則に固執せず柔軟に状況や立場に応じ、正しい道を求めなさいという「中庸」の道の教えで、互卦はバランスを崩して船が傾くことを警告する沢風大過です。

そこで賢人は、内には信念や理想を守り、外には行動や言動に注意し、時を読み、場に応じて速やかに明快に対処するのです。

 

〔解説〕

雷火豊は、豊かさや繁栄に満たされている時を衰兆の始まりと捉え、変化変動に備えておくことを説き、火山旅は長く険しい人生の旅を無事に生きぬくための教えが説かれています。

共に注意すべきこととして、限りない欲望がバランスを崩し、船を沈め、屋台骨を傾ける原因になることを、互卦の沢風大過が警告をしています。

易の説く現代は山頂からの下りが始まっている時期です。大きな国や組織も、小さな個人も、抱え過ぎた荷の整理をする時期と思われます。欲望は発展の原動力ですが、果てしない欲望はすべてを崩壊させる原因にもなります。

苦労を乗り越え発展へ努力する時があり、無理無駄を果敢に省いて終息へ向かう時があります。
また新規の挑戦や拡大拡張をする時期と、現状を見直し果敢に果断して、再生から結実へ歩む時期があります。

現状を正しく見て、時に応じて節制や節度を重視し、再生へ向かい、次世代に残すものを見極める時が来ているのではないでしょうか。