A11 易経の成立について

A11 易経の成立について

易」は「変化=変わる」意味で、その語源はトカゲを横から見た形から生まれた文字で、日と勿で頭と足と尾を表すとあります。ある種のトカゲは一日十二回色を変えるので十二時虫といわれ、そこから「易」=「変化」という意味を持つようになりました。

古代の原始社「会では、重大なことを決めるときに神意を問うことが共通の現象としてありました。その神意を問い神の意志を伝える特殊な能力をもつ人、いわゆるシャーマンは絶大な権威を持っていたと思われます。時には王自身でもあったでしょう。

古代中国では神意を問う人を、巫(ふ)・祝といい、主として亀卜(きぼく)や蓍筮(しぜい)により神意を媒介したといいます。紀元前13世紀ごろの殷王朝の時代に盛んに行われていたのが亀卜です。亀の甲羅や動物の骨に穴をあけ、裏面から火で焼くと「卜型」のひび割れができます。それを「兆(うらかた)」といい、その形や光沢から吉凶を判断して口で伝えたことから、卜が兆の象形文字となり、「占」という卜と口を合わせた会意文字が生まれました。

蓍筮の起源も古く、紀元前11世紀ころの周王朝時代に発展した「占法」です。

蓍(し)という、千年経つと一本から300本の茎を生じるという長寿の多年草の茎を用いて行うもので、後に筮竹を用いる易占に変化していきます。

蓍筮は陰陽を符号(爻)で表し、数理を基本とするために、亀卜の神秘性から離れて論理的に発展していきます。さらに天文や暦の知識が飛躍的に発展し、季節や気候などの自然現象の中に一定の法則があることを知るようになりました。

陰陽の組み合わせにより万物万象を表す「八卦」が、六十四卦へ拡大され、次第に蓍筮の卦や爻の変化の結果は言語に表わされ解説されるようなっていきました。多くの賢人が活躍した春秋・戦国時代から秦、漢の時代に亘り、長い年月をかけて統一的な解釈がなされ、次第に哲学書の体裁を整えるようになります。これらの易の解説書や注釈を「易伝」といい、十種あることから「十翼」といいます。このようにして完成していったものが「周易」で、漢の時代以降儒教の経典とされて後、元になる易とは区別して『易経』と呼ばれるようになりました。易経は八卦を組み合わせた六十四卦と、各々の六爻の陰陽の変化を解説した「十翼」により、多くの人に読み継がれ活用されて、あらゆる文明の礎となっていきました。特に王など時代の統治者の必読の書とされ、今日でも各界のリーダーには学ぶことの多い優れた哲学書でもあり、二千年のロングセラーの書といえます。私は未来を背負う若い方にこそ知ってほしいと思うのですが… 十翼など易経は「伏犠」「周の文王」「孔子」という、三聖人の作というのが伝説ですが、このような成立過程からも「不確か」というのが今日では定説です。

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