A7 伝説の神「三皇・五帝」と易の「三才・五行」は同じ?

「三皇・五帝」は中国古代の伝説上の賢帝であり、聖人とされ崇められています。

前漢(前202~8)の武帝の時代、歴史家の司馬遷が編纂した『史記』には、秦の政王(前259~210)が六国を滅ぼして中国全土を統一した時、三皇の皇と五帝の帝をとり、初めて皇帝の称号を定めたとあり、秦王、政は自ら「始皇帝」となりました。

伝説の三皇は伏犠・女媧・神農ですが、天皇・人皇・地皇という説もあります。

伏犠は八卦を創り河図を公表したと伝えられ易の始祖といわれます。伏犠の妻である三皇の一人女媧と共に描かれた人頭蛇身の下半身をからめた絵があり、聖なる男女の婚姻を示し婚姻の礼を定めたとして永く信仰されてきました。また庖犠という別名があり、火を使い料理することを教えたことから、現在でも宮廷料理を司る旧宮家に包丁の儀式が伝えられ、料理人の神と崇められています。伏犠と女媧が人間の創造主であるというアダムとイブのような設定もあり、八卦や河図に関しても諸説あることから、後世にその偉業を称えて創世記の聖人としたものではと思えます。神農も薬草を発見しお茶を創った人物として、農業や薬の神と崇められています。

黄帝や尭帝・舜帝などの五帝についても聖人伝説が残されていますが、易の要素でいえば、三皇は天皇・人皇・地皇であり、五帝は木帝・土帝・金帝・火帝・水帝を示していると捉えられます。三皇は天人地の三才を示し、五帝は木火土金水の五行を示すものなら、農業の暦とも重なる一年運を表すものです。木が金に変化する過程に土があり、変化を加減するのが水と火の働きです。天地に万物(人)が生じる五行の変化を示すものが三皇五帝となり、古代の国の命運を担う万物の礎として崇められ、後世、相応しい聖人があてられたのではないかなと思っています。

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