F-3易の言葉 虎の尾を踏む〔天沢履10〕

 

もし本物の虎の尾を踏んだら、それは恐ろしく危険であることから、「虎の尾を踏む」とは世の中の様々な危険の例えであり、虎は偉大な先人でもあります。

「履」は履行で実行、実践することです。何かを実行する時に失敗のリスクがともなうことは当然ありますが、危険や失敗を恐れて実行できなくては発展もしません。

若い時は無鉄砲に勢いだけで進んでしまいがちですが、危険に遭遇したとき、どうすれば命を取られず思いを全うできるのか…

そこで「天沢履」は、危険の多い世の中で思いを遂げるために、まず目上の言葉を素直に聴き、先人・先輩の経験に学ぶ心構えが大切だとしています。

世の中の秩序や礼儀を無視して猪突猛進すれば、危険に遭遇しても捨て置かれることが多いでしょう。

日頃から秩序や礼犧を忘れず、力量に応じて着実に進めば、例え危険に遭遇しても、「虎の尾を踏んでも食われず」となります。

封建的な思想下で虎の尾を踏むことは、「命の危険」そのものでした。

目上や先人(虎)を軽く見て、うっかり虎の尾を踏んで食われないように、無礼を戒め、分をわきまえることは、危険を回避するための大切な処世術といえます。

時代が変わっても、無法地帯でもない限り社会は秩序の中に成り立ちます。

「虎の尾を踏むも食われず」と先人の経験から得た教訓は、心に留めておきたい言葉です。

余談ですが、さまざまなブログのコメント欄にひどい言葉で批判をする人をみかけます。
自由な表現や言いたいことが言えることは素晴らしいことですが、最低の礼儀があるのではないかと感じます。

例えば、ジジイ・ババア・ガキ・ブス・くそバカ・死ね・消えろ…などなど、ただうっぷん晴らしをするのならともかく、他人事でもひどいなーと思います。
怒りや憤りを表現するのは大切と思いますが、こんなひどい言葉で批判された方は、耳を塞ぎ目を塞ぎ無視するしかなくなるでしょう。

言葉は人の思いを伝える手段であり時には武器にもなります。

若い人の言葉が社会を担う実力者に届くように願いますが、このような表現ではなく、言葉を大事にそして雄弁に、心の怒りや憤りを表現し、また提案などしてほしいなと思うのですが…

 

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