F-4易の言葉 安泰と否運、逆も真なり

〔地天泰000.111〕安泰・泰平〔天地否111.000〕否力・否運

本来の易の並びで重要な位置にある「泰と否」の二つの卦から生まれた言葉、安泰と否運は「逆も真なり」というお話です。

泰はやすらか・ゆたか・やすし・よしなどいくつもの読み方がありますが、ほとんどが良い意味です。地天泰は上が地000、下が天111で、本来上にある天が下に、下にある地が上にと自然界とは逆転した象形です。天地逆転が示すのは「安泰と泰平」の形です。
地は下に天は上に進むため自ずと天地の働きが和合して安泰であるというわけです。

また天は支配層で地は民衆です。否力な民衆を力のある支配層が下から支えているという、まことに理想的な社会の形が見えます。
人でいえば、外には柔順謙虚な賢徳の人で内には能力や意欲を豊かに秘めた理想的な人物となります。そこで泰は安泰であり泰平の世の形であり、理想的な人の姿です。

天地否は逆に天111は上に、地000は下にあり、自然界と同じ形です。しかし否運であるとして易経では凶を示します。しかも否運であり、偽りであると否定しています。理由は天地が離れていき和合しないこと、社会は支配層ばかりが栄え、民衆は貧しくつらい生活です。しかしおよそ民衆は外面ばかり良く内面は貧相で、実力もないのに虚勢を張ると否定し、そのような人々が低きに流れて徒党を組めば否運を招くとなります。

この対照的な二つの卦の真意は何なのか…

易を読むときに、まず互卦を読めといいます。互卦は卦の中身を成す意味が示され、また吉凶を逆転させる注意点が見えます。

泰の互卦は雷沢帰妹001.011で、作為的に、政略的にてっとり早く上位に食い込むような意味で、これを戒めないと安泰が崩れ逆転して天地否になると警告します。支配者が民を支える安泰の中身は、縁故と資力による出世が現実だとみることができます。

逆に否の互卦は風山漸110.100で、着実に実力をつけ内面を磨いていけば、やがて大空をはばたく時が来るといい、否運でも不遇でもコツコツ努力していけばやがて報われ地天泰となると励まします。

天地否は苦しむ民と繁栄を謳歌する支配層が遊離分離する世の中ですが、民が徒党を組むことを否定し、行えば否運となると警告します。苦しくて辛抱我慢して努力して待てば報われるといいます。しかし大人しく待つだけで報われることはないのが多くの現実です。力のある人に近づける道があるなら大いに利用し、立場や環境を得たら誠意誠実に終わりを全うすれば吉となるのが泰の互卦・雷沢帰妹のもう一つの意味です。否の互卦が示す辛抱我慢と修行を続けて風山漸をしても報われるかとも言えません。理想と現実のギャップはいつの世もありますから。

古代から近年まで民衆の暴動や反乱を契機に、反勢力が強大になり政権が転覆することは多々ありました。
団交は否力な民衆ができる最後の抵抗手段だったでしょう。命がけで行う団交は言葉を変えれば一揆です。支配層がこれを恐れるのは革命の火種となるからでしょう。

そこで泰のもう一方の意味、おごる・贅沢なさま・偉そうなさま・大らか過ぎて厳しさがないそして「泰緩=はなはだ緩し」です。泰平が続くと頽廃と腐敗が始まることが多いのも事実です。

しかしいつの世も支配層は安泰を持続するために民衆が柔順で不満を持たないことを願い、否のように公然と不満を表し、まして徒党を組まれることは大変困ることなのです。

そこで民衆が力もないのに虚勢を張り、徒党を組んで低きに流れると否運が来ると警告するのです。

この対照的な二つの易の言葉は、表面的には吉と凶ですが、深読みをすれば、その中身その正体は「逆も真なり」となります。

権力と否力、富裕と貧困などの距離がどんどん開くと、昔なら一揆となるのですが、幸い現代は民主的な団交という手段があります。デモも団交の一つですが、いつの世も民衆の声は革命の火種となり得ます。

易が説く現代は天地否時代です。

安泰の裏に否運ありと読めば、天と地の距離がこれ以上開かないよう願い、また否運の裏に安泰ありと願うばかりです。

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