F-8易の言葉 「咸臨丸」

咸臨丸は江戸幕府がオランダに依頼して建造した蒸気機関を積載した軍艦につけられた名前です。咸臨丸は1860年に遣米使節団の随行艦として日本初の太平洋横断を果たしたことで歴史に名を残しましたが、幕末から明治維新のころに活躍した勝海舟がこの使節団を率いた艦長でした。

勝海舟以下九十余名の遣米団には通訳に中浜万次郎(後にジョン万次郎)や慶応義塾を創設した福沢諭吉がおりました。
この咸臨丸の名は勝海舟が易の言葉から名づけたと伝え聞きます。

咸臨は咸応=感応し臨む意味で、易経の19番目の地沢臨000.011の初爻にある「咸臨す。貞なれば吉なり」から、上下が心を一つにして正道に臨むという思いでつけたのか、また易経31番の沢山咸011.100の説く、新世界に…「感応し恋する思い」もあったのではないかと思えます。

咸臨丸が地沢臨と沢山咸から一字ずつ取ったのか、地沢臨の「咸臨す」から取ったものかは分かりませんが、この遣米団に随行できた福沢諭吉は、これからは英語の時代だと気づいて早くに学んでいたため、実地に体験できると大喜びしたそうです。

それは仙台藩から武器を買うよう預かった大金を、全て原書の購入に充ててしまったほどで、膨大な書物を持ち帰り自身の塾生に原書を用いて熱心に授業を行ったそうです。

勝海舟や福沢諭吉等が米国で様々に啓発され大志を抱き帰国したすぐ後、1868年に起こった戊辰戦争をきっかけに、三百年に亘る江戸幕府は終焉を迎え、時代は大きな革命期「明治維新」へと移行していきます。

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