G-9史記の言葉 始皇帝の名の由来

紀元前221年に六国を制圧して全土を統一した「秦」の初代の王は「始皇帝」としてその名を歴史に残しました。

皇帝の称号や、皇帝自らを「朕・ちん」と言うようになったのは始皇帝が始めです。史記には皇帝の名の由来について次のように記されています。

天下を統一した秦王は、最高の官位である丞相(じょうしょう)等に「私が統一を望んだわけではないが、諸国の王が約束を守らなかったために、仕方なく討伐した結果平定するに至った。いたらぬ身ながら六国の王を討ち、天下に太平を開くことができたのは祖先の加護によるものだ。この功績を後世に伝えるために、この際、王の称号を改める必要がある」と述べました。

そこで高官である丞相の王綰(おうわん)や李斯(りし)、馮劫(ふうきょう)の三人は協議して秦王に進言します。

「かの五帝と称される方も、その領土は千里四方に過ぎず、周囲は諸侯や蛮族が多数存在しても統制することはできませんでした。五帝以前の太古には、三皇と称される天皇・地皇・秦皇が君臨されていました。その中で最も尊い存在は秦皇と言われています。そこで秦王は秦皇と尊称を変え、王命を制、王令を詔(しょう・みことのり)と改称し、天子である王の自称を朕(ちん)となされてはいかがでしょうか」…

これを聞いた秦王は「では秦皇の皇と五帝の帝を合わせて「皇帝」とすることにしよう。その他の事は皆の案の通りで良い」と応えました。そして「朕は最初の皇帝になるので「始皇帝」と称することにする。朕の後は順次二世、三世と称して千万年の後、まで無窮に伝えるものとしよう」…

このようにして始皇帝が誕生し、以後二千年、中国を統一した王たちは皇帝を名乗り、自らを朕と称するようになりました。

これが史記に書かれている皇帝の称号が誕生した由来です。

後世の研究者の異説ですが、始皇帝は2メートル近い大男であったといい、現中国の西方の地域の人であることから、黄色人種ではなく白人種ではなかったかと推論し、また三皇の皇の文字は古代にはなかったという論点から、白人の王から白と王の合成した皇の文字ができたのでは、という説を読んだことがあります。

今からおよそ2100年前に書かれた史記ですが、史記の訳者は始皇帝の称号について「秦王が合理主義者でまた尊大な面の両極端をもつ人物であったことを物がたる」と記しています。始皇帝は在位11年、以後三世合わせてわずか15年で秦は滅亡してしまいます。

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