A3 メソポタミアと古代日本の類似点ー1

『消えたシュメール王朝と古代日本の謎』(岩田明著・学習研究社発行)をご紹介します。東洋の古代史に関心を深め、様々な書物を読んでいたころ出会った本です。それ以前に最古の文字といわれる中国・殷の象形文字(甲骨文字)より古い時代に、楔形文字があり、その発祥がシュメール文明にあるという知識がありました。紀元前七千年~三千年の間繁栄したシュメール文明は、数々の遺跡や遺物が発見発掘されて、実在が確認されていますが、シュメール人の多くは王朝が滅んだ後、忽然と消息を絶った謎の民族でもあります。シュメール人はメソポタミアの先住民ではなく、中央アジア、現在のチベット北側の崑崙(こんろん)山系の高地に住むクメル族であり、その民を統括していたスメル族がルーツです。そのスメル族の「スメル七賢人」が船でメソポタミアに渡り、農業・造船・医学などの高度な知識を先住民に教え、シュメール文明の基礎を作ったという、シュメール文字の解読による創世記伝説が残されています。

スメルは「尊い人」という意味で、日本の天皇・皇尊も「スメラミコト」と読むことも興味深いですね。ちなみにシュメール王朝の遺跡に残る王家の紋は十六弁菊花紋です。

岩田明氏は三井造船の航海士という経歴を持ち、各国を回り、世界中で文化や生活習慣に日本人と類似する人々を見て、探求するうちにシュメール文明に至ったそうです。そしてシュメール文明にある文字・言語・様々な風習・風俗・地名などに古代日本との類似点を発見し、深く探究して著したのが冒頭の書です。

A2 2013年(癸巳・みずのとみ)もあと三ヵ月

2013年も残すところ三ヵ月となりました。早くもお節料理のパンフレットが店頭に飾られ、やりきれていないことの多さを考えると、少々気持ちが落ち着かなくなります。

10月は毎年、元旦の新聞に掲載する原稿の納入期日が参ります。毎年もうそんな時期なのだなあと感慨にふけるのですが、前年に書く翌年の「今年の干支の運勢」を読んでみると、改めて年の干支はその年の傾向をよく示していると思えます。

2011年の辛卯(かのとう)の年は、噴火や地面の陥没や洪水などの災害を心配し、卯の国日本には辛い一年がくるなどと書きました。引き続き2012年の壬辰(みずのえたつ)の年は激震が走ることを示し、国のリーダーが変わる大きな変革期であること、そして今年2013年は人々が心の支えを求めていること、確かな筋道が示されなければ一揆すら起こりかねない状況と書き、ネット犯罪の多様化と、水産物の問題が深刻になること、水に流された後の大地に守るものが明確に示され、確かな測りとなる道筋が見えてくるなどと書きました。

あと三月を残し、守るものを明確にして確かな道筋が示されたのか、よく観察しつつ、来年の甲午(きのえうま)を読み説かなくてはと思います。甲午は表面的に明るく華やかな話題が多くなりそうですが、まだ根幹の勢いは強くありません。確かにオリンピックの招致など表面的には明るい話題ではありますが…

 

 A1 人生は「七転び八起」何度目かの復活の日

 

DSC_0039

人生には悲喜こもごも色々な出来事がありますが、失意のどん底に陥るような経験をすることもあると思います。振り返れば私もそんな経験が何度かありました。

そのつど何とか乗り越えてきたものの、人生後半になっての挫折はそれなりの実績を築いた後のことで、ダメージも相当深くなります。気持ちが沈み、川底に呼ばれているような弱気も生まれ、自信が崩れていく恐怖や喪失感に苦しみました。

しかし、過去の失意、挫折や喪失などの経験はそのつど学びになっていたことも確かです。失ったものの大半は縁が切れてよかったのだとさえ思えました。とはいえ数年前の喪失感は社会的人生を全否定されたようで、再起への気力が芽生えることも簡単ではありませんでした。

そんなころ書店でぼんやりと本を眺めていて、ふと書棚の上の方に目線を上げたところ、チベット仏教の叡智『心の治癒力』という本が目にとまりました。「なぜ私たちは苦しむのか?」と本の帯にあり、「なぜあなたは苦しいのか?」と自分に問われているように思えました。チベット仏教に伝承される心と身体の癒しについて、対処法、実践法を含め分かりやすく説かれており、ボロボロの精神状態であった私は、ワラをもすがる思いで買って帰りました。

心の治癒力は日々のさまざまな実践から覚醒する…瞑想もその一つですが、朝起きて眠るまで日々何気なくやっていることから心身が癒され覚醒していくことを改めて実感し、また思い出すことができた一冊の本との出会いでした。

絶対失えない、尊いと信じていたものが私の思い込みでもあり、多くの思い違いも理解しました。

それからしばらくは読書三昧の毎日で、ネットの中古本マーケットには相当助けられました。その過程で二十年以上関わってきた易を、もう一度勉強しなおす機会と時間を得ることができたことは幸いでした。もやもやと何かが見えてきそうな状態だった2011年1月26日の明け方ふと目が覚めました。頭の中には数字が浮かんでいます。干支数でした。それから複雑な閏年の計算をしながら十数時間エクセルに干支数を打ち込み、何度かの組み換えで完成したのが年月日の干支数を一度に導く干支暦です。新暦、旧暦、何歴を問わず綿々と続く干支暦ほど正確に日の要素を導くものはないと気付きました。現在仲間の協力を得て紀元前から四千年余りの干支数暦ができました。理屈からいえば紀元前3671年というユダヤ歴元年も容易に干支数に換算できます。

学んだ真理を実践することの大切さを身に染みて実感し、易の叡智を誰でもが実践できる方法を模索していた時でしたが、そこに干支数を用いることに気付いた忘れられない日です。そして干支のもつ意味に改めて感嘆しました。

歴史に残されたさまざまな事象、人物などを干支数に照らして読むと、生き生きとその時代や人がよみがえってきます。もちろん自分自身のこともその弱点を含め改めて納得できました。そして易学三昧の三年余りの日々から得たことは、生ある限り「生きる」ことの価値と生命の尊さを再認識したことでした。

易は万物万象の変化を説いています。この世の何ものも命ある限り留まることなく変化していくもので、滅びに至るのも繁栄に至るのも、大きな時の流れの結果であり、繁栄も挫折も滅亡さえも必ず終息し変化します。

一刻もやまず時は刻まれ、季節が変化するように、易は天地自然界に生きる人も、命ある限り時の変化の中で前進していくことを教えてくれます。人の運命は人生に他なりません。

私も変化を受け止め、静と動を繰り返し生ある限り前進しようと思います。過去を受け入れ、願わくばこれからは少し賢明に…

2013年7月吉日