〔33〕天山遯(てんざんとん)111100 賢者は避難して危機を乗り切る
豚は逃れ(遁れ)隠れることで、即ち「隠遁」です。逆風に逆らわず、離れて客観的に眺めることで道を開くという賢者の知恵ですが、他に「逃げる・遯ずらする」という意味もあります。責任を回避するという点でこちらは少し情けない結末ですが、形勢不利なとき、新たな勢力が台頭して主流が入れ替わる時は、例え正しい事でも流れに逆らって強引に行えば、自分の首が飛ぶ危険が生じます。
古代から現代まで体制に逆らう時は命がけです。しかし多くの人々が体制の善悪を決めかねる時に、正面から逆らってもうまくいくことはないでしょう。
そこで賢人は潔く表舞台から退いて、難を逃れ力を蓄積して大勢の変化を待つのです。
衰運の時には波風立てずに渦中を離れるのが賢明であり、離れることで健全な心身を育て、善悪を見極め、力を蓄えることができます。
「離れるとよく見える」と私たちも言うことがありますね。
茂る木の下で見上げても木の全容は見えませんが、離れて見ると全体がよく見え、また悪いところ良いところ、問題点や改善点が見えるものです。
さらに離れることで人の本質や信頼関係を確かめることができます。
「遯」の意味はとても重要で、表面的には放棄して逃れることですが、単に逃げる「遯ずら」と区別して、現状を逃れることで問題点や善悪を見極め、人を見直し、再生する機会を得るのだととらえます。
普通の日常でも愛情や好き嫌いにかかわらず、夫婦、家族、親子、また学校や会社などの人間関係に疲れを感じることがあります。一時離れる、一人になることは、日常生活の倦怠期を乗り切る知恵といえます。 そこで人は、休みを取る、旅をする、避暑に行く、自分の部屋を持つ、趣味に没頭する、喫茶店でお茶を飲むなど、小さな小さな「遯」を無意識に実践して心身を再生しているのでしょう。
〔34〕雷天大壮(らいてんたいそう)001111 勢いだけで動けば行き詰まる
大壮は大いに壮んと書き、下から陽気が伸び栄えて上の陰気を付きあげる勢いを表しています。天に雷鳴がとどろきますが未だ雨は降らずの象形で、勢いはあるけれどまだ地を潤すほどの力がないことを示します。草木なら茎がグングン伸びて、人なら背丈がグングン伸びる成長期ですが、茎が伸びても花や実がつくのはまだ先で、背丈が一人前になっても経験知識が未熟という状況なので半人前の勢いといえます。
そこで大壮は、その発展の勢いを内面に向けて、自分磨きに励むことを説きます。
「自分」とは「自由」と「分別・分限・分際」であり、分を知ることは自分は社会の一部分であることを知ることです。
自分を知るために知識や教養も大事ですが、大事なのは命を尊いと思う謙虚な心を養うことだと説いています。自分や他の命は天から頂いた命で、その天命に礼を尽くすことを「礼儀」といい、人が正しく礼の心(大)をもてば真の勢い(壮)となるのだと教えます。
若い時は意欲や勢いだけで動きがちで、経験もなく社会の秩序や人間関係の機微を知らずに突っ走って蔓草に足を取られ紆余曲折する危うさがあり、下手をすれば命を失うぞと戒めます。
大壮の卦を例える話があります。ようやく角が生えた若い牡鹿は早く一人前の男と認められたいと望み、親たちが軽々と安全地帯の柵を乗り越え広い草原を走る姿を見て、自分だってと勢い込んで突っ走ります。飛ぶ練習も危険に対処するすべも知らず、あげくに飛びそこなって柵に角が絡まり身動きが取れなくなってしまいます。もし野生であれば飢えて死んでしまうでしょう。
そこで賢人は自他ともに命を尊ぶことが礼の基本であると悟り、礼を外さないことを第一に行動したのです。
逸る意欲を内面に向けて謙虚に礼(命の大切さ)を学ぶことは、経験と知識の未熟さを補う大きな力となります。
若い時に命を大切にする心が根付くと、慈み守る心が育ち、賢明な判断力が養われ、やがて人の上に立つ人物に成長するだろうと互卦・錯卦が示します。
〔解説〕
天山遯と雷天大壮は対照的な動きを示します。「遯・とん」は勢いを抑えて危機を回避する大人の知恵ですが、「大壮・だいそう」は逆に若さの勢いに任せて突っ走り危機を招きます
発展している状況で、誤りを指摘しても危機感を持てませんが、現場を離れて客観的に見ると、大事なもの、問題点や改善点、真に信じられる人か否かなどを見極めることができます。自分の志や信念や本心を確認することもできるでしょう。
隠遁は地位や名誉や報酬を捨てることでなかなか勇気のいることです。それに表面的には現場や責任から逃避する「遯ずら」と似た行為です。
賢者の隠遁は、志や信念を曲げないためにあえて避難し退くことで、命を大切にする「礼の心」に叶い、自分や周囲の命を無駄にしないためする賢人の知恵なのです。
大壮は少年期や青年期の勢いで、熱意や意欲だけで飛び出せば、若い命を無駄にすることがあると戒め、命を尊ぶ礼の心を磨くことを諭します。
私たちの日常でも小さな遯をすることで円満を保ち、また互いの良さを再認識することがあります。夫婦や親子や恋人にも倦怠期が訪れるもので、そんなときは、あえて離れる時間が必要なのでしょう。
離れてなお一層、変わらない信頼や愛情を確認することができるなら、遯はまさに賢者の知恵といえます。元々信頼がなければ離れる勇気は持てないのではと思うのですが…
一度離れたら最後、二度といやだと思うなら、さっさと遯ずらすればよいので、それもはっきりして良いのかもしれません。