E26易経を読む-24〔47〕沢水困・臥薪嘗胆 〔48〕水風井・清水(志)が蘇える

〔47〕沢水困(たくすいこん)011.010 臥薪嘗胆・志を保つ

困は困難を表し、□の中の木が周囲を塞がれて苦しみ悩む状況です。

易経は困の卦を四大難卦の一つに数えています。
四大難卦は、生みの苦しみ「水雷屯(ちゅん)」、往く手を塞がれる苦しみ「水山蹇(けん)」、全てをご破算にする苦しみ「坎為水(かんいすい)」、干上がる苦しみ「沢水困」の四つを指します。

沼沢(011)に水(010)がなく干からびるような苦しみは、生物には耐えがたい苦難です
天に祈るばかりで成すすべもない状況ですが、易は昇れば昇るほど新たな困難にぶつかるものだから、その危難も受け入れ、困苦の中にも志を失わず繁栄の道を見失わないことだと説きます。

そこで臥薪嘗胆(がしんしょうたん)して志を果たした越王・勾践(こうせん)の話が思い出されます。

紀元前470年頃の中国・春秋時代、越王・勾践に父王を討たれ屍を取られた呉王・夫差は、毎夜薪(たきぎ)の上に寝てその痛みで復讐を忘れず、後に越を降伏させ、越王・勾践と妻を奴婢として仕えさせました。
越王・勾践は耐えがたい屈辱的な日々を過ごす中で、熊の胆を嘗め、その苦さで国の再興の志と屈辱を忘れぬようにしたという話が伝わっています。
やがて越王は呉王の信用を得るほどになって越に戻り、その後呉を滅ぼし積年の恨みを晴らしたのですが、互いに宿敵となった二人の王が薪に寝、胆を嘗め、苦難に耐えて志を成し遂げたことから、「臥薪嘗胆」という言葉が生まれました。

越の民も王の帰還を信じて共に耐えて時を待ちました。互卦の風火家人は信じて耐えて待つことで困難を克服する時が来ることを説いています。そのためには心の奥の清らかな泉を掘りおこし、清冽な志を立てることだと綜卦の水風井が示します。

そこで賢人は干上がるような苦難のときこそ、身命をかけて志を立て貫いていくのです。

〔48〕水風井(すいふうせい)010.11 清らかな水を湛える泉・井戸の効用

井は井戸のことで、釣瓶(風=木)で清らかな水を汲み上げる象形です。水は渇きを癒し、作物を育て、干上がる苦しみを解消します。
汲めども尽きない井戸は静かにたたずむ活力の源。水場である井戸の周囲に人の集落ができてくることから、市井(しせい)という言葉が生まれました。

干上がった時に井戸を掘り起こすことは、行き詰まった時に、心の奥深くの清らかな生命の泉を掘り起こし、志を打ち立てていくことと同じです。

井戸は欠かせない水場で誰にも開放されていますが、普段は当たり前でありがたさを忘れがちです。
でも日頃の整備を怠ると釣瓶が壊れて水が汲めなくなり、さらに水が濁り詰まって人々が去っていくことになり、焦り慌てることになります。
そこで井戸は時々底をさらい、釣瓶を常に点検し、さらに石を積み整備すれば、水が濁り詰まることもなくなります。

もし枯渇するような困苦に陥ったときは、新たな井戸を掘るように、自己を掘り下げていくことで、生命の泉を掘り起こす境地に達するのだと説きます。
そして水が詰まらず濁らず腐らぬように対処すれば、良い水場に人が集まるように、自ずと繁栄に導かれていくでしょう。

発展や繁栄の時も新陳代謝が大切で、上下が噛み合うように積極果敢に障害を排除することを錯卦の火雷噬嗑(からいぜいこう)が示します。
又内部の嫉みや妬みによるいざこざは困難に至る遠因にもなるので、日常を丁寧に積み重ねて、同じ志に向かう道筋を整えることだと互卦の火沢暌(かたくけい)が注意を促します。

そこで賢人は常日ごろから人々(民)をねぎらい、励まし、助けるのです。

 

〔解説〕

前回は繁栄と発展の二つの卦のお話でした。今回は一転して、四大難卦の一つ干上がる苦しみ「沢水困」と、濁って詰まった井戸を蘇らすように、生命の泉を掘り起こす「水風井」の二つです。

どちらも苦しい時こそ、清らかな心で強く志を貫くことが大切だと説いています。

水は生命の維持に欠かせず、水場に人は集まり、水場は繁栄をもたらします。でも水場のありがたみを忘れ整備を怠ると、水は濁り干上がって慌てふためくことになります。

人の世界も繁栄に胡坐をかくと内部から腐敗が始まることは同じです。

そこで日ごろから水が濁らないように点検整備し、同様に初心を忘れて内部が背きあわないように、志に沿い日常を丁寧に積み重ねることが大切です。

上昇や発展の時にも次々に新たな苦難は訪れます。困難な時も志を忘れず、良い時も慢心せず、自分の内面も含め内部の新陳代謝を心がけること。そして常に下の人に心を配り、励まし、助けることが、いざという時の備えになるのですね。

 

 

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