E28易経を読む-26〔51〕震為雷・鳴動に慌てず〔52〕艮為山・泰然と動ぜず

51〕震為雷(しんいらい)001.001鳴動に慌てないよう修養を積む

震は雷鳴を表して、いよいよ陽気が発動する状況です。そこで震は伸展成長する勢いを示します。雷雲が現れ雷鳴がとどろくと人々は驚き恐れますが、雷雲が通りすぎてしまえば、何ごともなく笑い合えるものだといっています。

また春雷は春の生命の活動を促すサインでもあり、雷鳴の響きと共に冬眠していた地中の虫たちがぞろぞろと地上に這い出してくる「啓蟄」の季節です。

革命の後の安定を示す〔50〕火風鼎(かふうてい)の後を受けて、恐れおののくような変動も、過ぎてしまえばまた平穏が訪れると続けます。

震の卦の象伝には、雷は確かに恐ろしいので、その時はお金や財物など気にせずまず命の安全に心をくだけ…財物などは七日経てば戻る(七日は六爻がまた繰り返すこと)とあります。

右往左往して家にお金や財産を取りに戻るようでは命も守れず、身命も全うできない。また財物に執着すれば身動きが取れなくなる。七日経てば戻るとは、逆風に逆らわず順風を待てば自ずと戻ってくるものだということでしょう。

これは君子たるものは危険が及ぶ時こそ、冷静に大事を見極めて行動せよという「中庸」の姿勢に通じます。、

そこで賢人は常に起こるだろう変動のたびに恐れおののきうろたえないよう、日頃から戒め慎み内面の修養を怠らないのです。

 

52〕艮為山(ごんいさん)100.100 泰然自若して動ぜず・無私無欲

震為雷から一転して、艮は止なりで、動かず留まる事です。

その留まり方は、例えその人の背後にいても顔を合わせず、庭先に赴くことがあっても会おうとしないと徹底しています。

ただ動かないのではなく、留まる時は何があっても動かず、行くべき時が来たら果敢に突き進むことで、常に時に応じ目的に応じていれば、必ず光明がさすだろうとあります。

「艮」は泰然自若、冷静沈着で安易に動かない。もし軽率に動くならば、「山」が行く手を塞ぐことになり全てが滞るだろうと説いています。

物事が容易に進まない状態である時に、たとえ孤独でも焦らず、耐えて現状を守り抜く姿であり、それは私欲を捨てた無私の行為、無心の働きでしかないのです。艮に徹すればやがて雪が解けて春が訪れ、会いたい人と会い、共に和やかに語り合う悦びの時が来るだろうと、錯卦綜卦が示しています。

そこで賢人は動きようのない山を見て、冷静沈着に自分の立場を考え、分を越えた欲望を戒め現状の守りに努めるのです。

 

〔解説〕

発動を示す震為雷と静止を示す艮為山は対照的な卦です。

古代から春雷は春を知らせ春の種まきシーズンの到来を示しますが、秋はまた雷光を受けて稲が結実すると信じられていました。そこで稲光、稲妻という情緒のある言葉が生まれたのですね。

雷は陽気・動の発動を示して力強い生命力を示しますが、同時に雷による被害もあり、雷神は稲妻(夫)であると同時に荒ぶる神ともなることを知って、古代から人々は敬虔に信仰していたのでしょう。

波乱の時は難を避け身命を守ることが大切で、お金や財宝などに執着しないこと。財物などはまた時が来れば取り戻すことができると説いています。

また艮為山は、どうにも動きようのない困難や力を前にした時は、泰然自若として動かず、無私無欲に徹して身命を守り抜くことだと説きます。

どちらも私欲との向き合い方に学びがあり、今やるべきこと、何が大事かを見極めることで、次の好機に臨むための道が開けるのだと思います。

お金や財物に執着せずまず命を守るために行動する…

困難な状況にいる時は、私欲を捨て分を守り、じっと好機の到来を待つ…

どちらも中庸に通じる君子の徳を説くものですが、普通人は、家が燃える危険があれば、うろたえて大事な物を取りに戻るかもしれませんし、会いたいと思い願う人が目の前にいたら声をかけてしまうかもしれません。

とっさに大事を見極め、どう動くかはとても難しく、君子の道はそう簡単ではありませね。

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