G-1史記の言葉『史記』と著者「司馬遷」G-2禹王伝説・自ら先頭に立ち働く指導者の姿勢

G-1史記の言葉 『史記』と著者「司馬遷」

『史記』は古代中国の最初の歴史書です。

紀元前200年頃、古代中国初の統一国家であった「秦」が滅び、農民出身の劉邦(りゅうほう)が「漢」を建国しました。(紀元前202年~前87を前漢・紀元25~220を後漢という)

『史記』は前漢の時代、強大な漢帝国を築いた七代「武帝」の時世(在位・前141~前87)に書かれました。著者である「司馬遷(しばせん)」は武帝に過酷な運命を課せられてもなお、歴史の真実を書き残す事業に人生をかけた人物です。

司馬遷は一貫して人間を通して歴史を描いたことから、『史記』は「紀伝体」という形式を初めて用いた歴史書となりました。

五部・百三十巻に及ぶ大部な書物ですが、現代語訳が色々出版されており、わたくしが読んだ徳間書店発行の『史記』全八巻も物語のように大変読みやすく書かれています。

二千年に亘る古代中国の歴史に重要な活躍した人物の生き様やその言葉は、今を生きる私たちも大いに啓蒙される英知や諦観に溢れ、また指針となるものが多くあります。日常の中にも浸透している言葉も多く、改めて史記の言葉であったことを知る驚きもありました。

著者の司馬遷は、史官の長である太史令という家系に生まれ、その役職に就いていました。史官とは周の時代に設けられた官職ですが、忠実に事実を記録し、事実を厳格に見る目を持ち、批判も恐れない厳しさで役職を担う人々でした。

権力者からは都合の悪い事実を曲げて記録せよと要求がありますが、史官は殺されても従わなかったというエピソードが紹介されています。

司馬遷も太史令だった父の跡を継いだ時に、遺言である過去二千年の歴史を書き記す大事業に取り組み、史官としても厳しい覚悟をして仕事をしていましたが、ある時に、真実を述べて武帝の怒りを買い死罪を言い渡されます。

しかし歴史を書き記すという大事業も道半ばでは潔く死ぬこともできず、生き恥をさらす覚悟で宮刑(男根を切り落とす刑)を願い出て死罪を逃れます。

その後武帝が病床に伏したときに恩赦となり、今度は宮刑を受けた宦官であり史官であることを都合のよい理由に、男子禁制の武帝の寝所に仕えることを命じられます。生死を翻弄される虚しさを抱きながらも武帝に仕え、また全国に調査に出かけ、多くの古文書を読み、歴史書の完成に粉骨砕身したと伝えられます。そして『史記』の完成を見るとまもなくこの世を去りました。

『史記』の現代語訳の冒頭から司馬遷の生き様に驚き感嘆し、一気に史記の世界にのめりこんだことを思い出します。ブログ『史記の言葉』を楽しんでいただければと思います。

G-2史記の言葉  禹王伝説・自ら先頭に立ち働く指導者の姿勢

≪十三年間家にも寄らず≫

「禹は舜王の命を受けて治水事業に全身全霊でとりくんだ。その働きぶりは、13年間家に帰らず、たとえ家の前を通りかかっても寄ることがなかったほどだった。

自分の生活を質素に、宿舎を簡素にして、その分を治水工事の費用に回した。常に定規とコンパスや測定器を放さず、いつでも測量ができる態勢を取った。

そしてついに全土に堤防を築き、道路を通し、土地を開拓して大事業を成し遂げた。

さらに人々に稲作を教え、食べ物の流通をはかり、諸国の生活水準の格差を是正した…舜王はこの功績を認めて禹に王位を禅譲した。」

禹は中国最古の王朝といわれる夏王朝の開祖である。…というお話です。

13年間家に寄らず…ということが立派というのではなく、質素倹約に努め、誠心誠意、粉骨砕身して人々のために率先して働くという、上に立つ者の理想の姿を示している例えなのです。

 

 

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