G-7史記の言葉 人材を選ぶ五つのポイント

古代中国の春秋戦国時代(BC770 ~BC220頃)は、血縁で結ばれた氏族や貴族に変わり、有能な官僚が政治の表舞台で活躍するようになった革命的な時代でした。

彼らの多くは有力者の食客となり、直接君主に結び付く道を探り、理想の実現のために貴族勢力と命がけの闘争を繰り広げる一匹狼でした。

その一人、魏の文候に仕え、やがて王の片腕となった李克(りこく)のお話です。

李克は孔子の高弟である子夏に学び、慣習に習う過去の政治から、文章に表した法律を制定して政治を行い、法治主義の先駆者となった人物の一人です。

ある時、魏の君主・文候は誰を宰相に登用するべきかと李克に意見を求めました。

「李克先生は、貧しい家には良妻が必要で、乱れた国には名宰相が必要だと教えてくれました。宰相の候補者は魏成子(ぎせいし)と翟璜(てきこう)の二人しか考えられないが、どちらを選ぶべきでしょうか?」という文候の問いかけに、李克は「卑しい身分の者がおえら方の事に口は出すな、身内のもめごとに他人は口を出すなと言います。私は身分も低く、まして他人ですからお応えできません」と応じます。

そして文候自ら考えるべきだと、人物を鑑定する五つのポイントを説きました。

①   不遇のとき、誰と親しくしていたか。

②   富裕なとき、誰に与えたか。

③   高位についたとき、誰を登用したか。

④   窮地におちいったとき、不正を行わなかったか。

⑤   貧乏したとき、貪り取らなかったか。

以上の五条件に照らして申し分ない人物を選べばよろしいと伝えました。

文候は納得し、すぐに心が決まりました。選んだのは弟でもある魏成子でした。

一方の翟璜(てきこう)は李克を文候に推挙した人でしたので、これを聞き激高して李克に詰め寄りますが、このとき李克は、「私を推挙したのは派閥でも作り高位に付くつもりでしたか?私はあなたと魏成子の二人のどちらが良いかと聞かれ、人物鑑定の五つの要点を指摘しただけです。この条件に当てはめれば魏成子になると思っていました」と応じます。

さらに「魏成子は俸禄の9割を人に与え、残りの1割で生活し、その結果、東方から、卜子夏(ぼくしか)・田子方(でんしほう)・段干木(だんかんぼく)の三人の人材を迎えました。この三人はわが君文候が師と仰ぐ方々です。あなたが推挙した私を含めた何人もの方は文候の臣下として仕えていることを考えれば、どちらが上か自ずと明らかではないですか」

翟璜(てきこう)は、それを聞き、後ずさりして李克に再拝し、失礼を詫びて李克に弟子入りを願ったというお話です。

貧乏な家にこそ良妻が必要で、乱れる国には名宰相が必要、という李克の教えもさることながら、派閥を作って出世する気などないと言い切る、一匹狼を貫く李克の人物鑑定法は現代でも大いに参考になります。

貧しい時も高潔で、貧富に左右されない優れた人達が周囲にいる。

豊かな時には私財を有能な人材のために役立てる。

高位についた時、私利私欲や派閥に偏らず有能な人を登用する。

こんな人達に世の中を動かしてもらえたらと思います。

これは二千数百年前の話しですが、今毎日の報道を見る限り、窮地に陥らなくても、不正は行われ、貧乏でなくても貪り取り、人は同じ過ちを繰り返すばかりで、文明の進化と人の資質の進化は比例しないものだと痛感します。

 

参考・引用文献 徳間書店発行 『史記Ⅱ』

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