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啓山易ブログ
A9 易経余話 潜竜について
易経は乾=天の卦から始まります。六爻の全てが陽111111で成り立つ偉大な天の創造の働きを示す卦で、次の坤為地000000と共に、六十四卦では別格の役割を担う卦です。
そこで今回は111111の右の1(初爻)の潜竜についてのお話です。
これは竜が潜っている状態で、竜に例える賢人は表だって社会的な活動をしてはならない。
力のある陽竜も今は下に潜んで力を蓄えて時を待つのだ。というような解釈です。
卦を詳しく解説した『文言伝』の訳文に「潜竜とはどういう意味か」と先生に問う師弟の問答があります。
以下は要約ですが、先生曰く、「竜のように極めて優れた徳を備えながら、世間から隠れている人のことを言うのだよ。その人はことさら世俗の悪い風習を変えようともせず、自分の名声を高めようともしない。世間から隠れていても、認められなくても不平不満もない。世間に出て活動するのが楽しい時は、出て徳業を行い、そうすると煩わしいときは世間から去る。そのように志がしっかりとして変えさせようもない。そんな人を潜竜というのだよ」と…
そこで「うーん」と考えてしまいました。
極めて優れているのでもないのに表に出たがり、
世俗の悪い風習には抵抗なく染まり、徳がないのに名声は欲しがる。
認められないと不満を言い、しゃしゃり出て周囲を辟易とさせ、去ってほしいのに容易に去らない人、
世間に結構いそうだなと思ってしまいました。
私自身も未熟な過去の記憶に思い当たることがあり、首をすくめてしまいます。
若ければまだしもそれなりに影響力のある人がこれではちょっと困りますね。
潜竜は、やがて天にも昇る竜のような素質を秘めて、まだ世に出ない若い人にも例えられます。
潜竜との出会いを楽しみに、ことさら名声を望まず、出番があれば誠心誠意働くことを楽しみ、不平不満を言わないことだけはせめて実行しなくては…と、そんなことを思ってしまった潜竜の爻辞です。
訳文引用『中国古典文学大系(平凡社)赤塚忠訳』
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C8 皐月 五月
早月・菖蒲月・早苗月ともいい、新暦の季節は初夏。五月雨(さみだれ)は、『五月雨を集めて早し最上川』と芭蕉の句にも詠まれ、旧暦の五月は梅雨時です。
田畑が雨で潤い、いよいよ田植えの季節が来たことから早苗月といい、早苗月が詰まって早月(さつき)となったというのが定説です。
万葉集や日本書紀では五月をさつきと読ませていて、皐月の字を当てはめたのは後世になってからと伝えられます。
五月晴れは快晴に恵まれた行楽シーズンのようなイメージですが、本来は梅雨の晴れ間の澄み渡った青空が五月晴れです。五月五日は端午の節句。月の端(はじめ)の午の日に、男子の出生を祝い邪気を払う行事が始まり、その日は菖蒲湯に浸かり夏衣装に衣替えをしました。一説に、昔は幼子が育ちにくかったため、無事三歳(数え五歳)を迎えた端午の日に、天に感謝するお祝いとして家門に昇りを立て、供え物をしたことが今の鯉のぼりになったという話も伝わっています。五日に定着したのは三世紀ごろで、相当古くからの習わしだったのですね。それだけ当時は男子が貴重だったのでしょう。
易の八卦は「巽=風」の卦を配して、十二支は巳(み)の月で二十四節気は「立夏」。五行は火で、火が生じる熱のような意味があります。
巳は蛇に例えられ、巳の性質は、筋道を大事に粘り強く誠実ですがこだわりや思い込みが強く、しつこさ執念深さに例えられます。蛇は東洋では神聖な生き物として扱われ、日本の氏神信仰にも深く根付いていますが、崇り神にもなりますね。
若葉が繁り夏の華麗な花の蕾が膨らみ、瑞々しく生気溢れる季節ですが、虫たちには格好の餌ともなるため害虫駆除が必要な頃です。
人も五月病といい、新年度を意欲に満ちてスタートした若者が、自己の思いとは違う現実に直面したり、未来の道筋を見通して虚しくなってしまうなど心の病が心配されます。情熱が純粋なほどもろく傷つきやすいものですが、青年期は自己愛が強いのが当然で、個性の違いや能力の違いに気付くと自信を失ったり自信過剰にもなります。心が成長するための過渡期でもあり、良い師や仲間や友を得ることがとても大切で、助け合い他を思いやる心も磨かれていきます。
そこで巳は「養心・養生」の時を示し、十二支は六番目の真ん中の折り返しに巳を置きます。五(巳)月の消長卦は陽気ばかりの乾為天111111で最高の卦ですが、満れば欠けるようにもろく傷つきやすいのです。強風や害虫に負けずに花を咲かせる草木のように、弱点を修正し改善するために心身の中休みをとり、今後の方向を確立して道筋を整える大切な一年の節目です。
連休には心と体に栄養と休養を十分とって英気を吸収しましょう。
行楽や旅行もとてもよいですが疲労困憊しては休養になりませんね。普段できないような読書や芸術やスポーツに親しむなども良い過ごし方と思います。
B19 陰陽の相対的はたらき〔中・中庸〕
陽極まれば陰を生じ、陰極まれば陽を生じて進化衰退していく循環が、無限に繰り返されているのが自然界です。
明と暗、昼と夜、寒暖などの陰陽の変化は季節を生じますが、人にも季節のような生命力の変化があります。生命力を元気とすると、動き続ければ元気は明らかに衰退します。そのため一定の安息とエネルギーを補給する静の時を必要とします。人が眠るのは元気を維持するための健全なはたらきです。
このような動と静のはたらきも相対的な陰陽の関係です。
天地・昼夜・動静・明暗・寒暖・発展衰退・分化統一・発動終息……
など万物万象は互いにぶつかり合い引き合って時の流れの中で変化し、進化衰退し循環する陰陽の相対的な関係です。
易は相対的な陰陽が生み出す健全な有様を〔中〕という言葉で表します。
時には陰が勝り、時には陽が勝りますが、自然のはたらきはその時々に新たな進化と次の生命を生むための絶妙な中の実現を行っています。
真中でも折半でもない〔中〕とは、易が探究し続けた〔中庸〕の世界でもあります。
陰陽の変化による無限の循環は中の実現の連鎖といえるでしょう。
種→根→芽→茎(間引き)→枝葉(剪定)→花→花枯れる→結実(果断)→完熟→落下(次世代の種)→葉枯れる→土に還る→次世代の種育む…この一つ一つが健全な中の実現です。
中庸を人の世界に表現するのは難しいのですが、私は、その時々に応じ建設的な進展を促し、新たな命につなげる「実現」の世界と考えます。次世代の命を生む陰陽の発展的なバランスは、決して折衷や折半ではありません。
生命の存続のための実現でなければ中とは言えず、もし支配者が目先の私利私欲に従えば確実に滅亡を速める実現になるでしょう。
発展と繁栄を極めても必ず衰退する時が来ます。そこで繁栄を永続するために賢人はさまざまな策を講じてきました。
『中庸』という書物が著され、王の学問の筆頭に位置付けられたのもそのためと思います。
古代から不足や抑圧に苦しむ人々は変化を望み、多くの戦いや革命をして発展してきました。半面ひとたび繁栄をつかむと変化を望まず、かの始皇帝の詔書にも「始皇帝の世は千万世に続く」とあり、永久に繁栄が続くことを望みます。でも相対する関係がある以上、必ず亡ぶ時が来ることを歴史が証明しています。
現代でも既得権益を永続したい人たちは変化を望みません。しかし勇敢かつ賢明に変化の時を受け入れ対処しなければ、その繁栄は衰退へ加速するのが道理です。そしていつの時代も、相対する不足と抑圧に苦しむ多くの人々(民)がおり、変化を望んでいることも確かでしょう。