〔27〕山雷頤(さんらい・い)100001 欲望を加減して真の養生に励む
頤は「あご」で、噛み砕くことから養うという意味があります。
易の卦100001を見ると両側の陽の間に陰が四つあります。陽は上あごと下あごを表して口の中の食べ物をよく噛むことを示します。噛む時は上あごは止まり(山)、下あごが動き(雷)ますので、「山雷頤」は食物や物ごとはよく噛む、噛みしめることで人を養う力となることを説きます。そこで頤は「養う・養生」を表します。
頤の文字が使われた世界文化遺産に登録された中国の名園「頤和園」は、元々は皇帝の居所として造られたもので、皇帝の養生所ともいえますね。
頤=あごは口にあり、食べることは人を養うエネルギーとなり、学問や様々な経験をすることは人の精神を養う力となりますが、そのためには、何事も早呑みこみせず良く噛みしめ、噛み砕き、味わうことが大切です。
食べたい欲望のまま食べ、絶え間なく動き、際限なく欲望をかなえようとすればどうなるでしょうか…
病は口から入り、災いは口から出るという言葉があり、口が慎み深くきれいであれば災いを避けられるということで、賢人は欲望を加減して健全な生を養うため、言語を慎み飲食を節制するとあります。
人が心身共に健康に生きるために必要なもの、健全に生きるために必要なことを考えることは大切です。よく噛まず早く食いすると満腹の加減がわからなくなり、よく噛み腹に収まるのを待つと、食べ過ぎになり難いのも本当です。
養生は生を養うこと、生命にエネルギーを与えることですから、食べるだけでなく、止まる・考える・休む・眠るなどは全てが養生の時間で、腹に収めるための時間です。
また人の欲望は発展の原動力ですが、一旦腹に収め、よく吟味し見極めて欲望を加減をしないと、多くの問題を抱え過ぎてバランスを崩す厄介な事態になると、次の沢風大過(たくふうたいか)の卦が示します。
〔28〕沢風大過(たくふう・たいか)011110 荷が重すぎてゆき詰まる・欲望を省く
易の卦011110を見ると、山雷頤とは逆に両側に陰があり中に陽が四つで、大過は発展した問題(陽)が多すぎて支える力が弱い(陰)象形です。大過は濁流(沢)に沈む木(風)を表しています。
積み荷や定員がオーバーして沈みかけている船や、細い柱に似合わない重く立派な屋根瓦を乗せて柱がゆがんでいる家や、老人が少女をめとるようなサスペンスな状況を想像してください。
どれも身の丈に合わず・身の程を知らずアンバランスで四苦八苦しそうです。
そうならないように、前の山雷頤は欲望を加減するために養生の大切さを説きました。気付いたときにはあとの祭りですが、船が沈んでも、家が崩壊しても大変なことになります。
こんな時にどうすればよいのか…
沢風大過は、アンバランスを生じて危険な状態に気付き、乗り切るための知恵を説きます。
互卦の乾為天(乾為天・111111)は陽気が満ちて発展しすぎた状態で、満つれば欠けることを暗示し、急ぎ対処しないと危ないと警告しています。
起きてしまった状態を緩和することが急務で、食べ過ぎなら一日断食をする、草木なら枝葉の剪定や害虫の駆除などでしのげますが、人は一度つかんだ栄光や利権に執着するので省くことは容易ではありません。
例えば荷重オーバーの船なら、損害を受けても積み荷を捨てて人命を救うことが大切なはずです。人だけなら皆が極力荷物を捨てて船を軽くします。これを迷い誤ることは恐ろしいことで、目先の私利私欲が勝って現状に固執するようなら、船もろとも沈み、家もろとも崩壊します。
こうなる前に勇猛果敢に毅然として欲望を捨てること、放棄することが最善の解決策なのだと説きます。
アンバランスな状況は他にもあります。会社なら上と下をつなぐはずの中間が力をもち過ぎて行き詰まる。また組織が複雑に膨らみ過ぎて上の意志が末端に伝わらないなど、上はかじ取りに四苦八苦し、下は苦しみ喘ぐ状態を生みます。一度得た栄光や築いたものを失うことは実を切るように辛く難しい問題ですが、その欲望を自ら省くことができれば、最悪の状態を回避することができると教えます。
賢人は、毅然として失うことを恐れず、栄光を捨てることに悩まないとあります。 奥深い言葉です。