E19 易経を読むー17〔33〕一時避難は賢者の知恵〔34〕勢いで動く危険

33〕天山遯(てんざんとん)111100 賢者は避難して危機を乗り切る

豚は逃れ(遁れ)隠れることで、即ち「隠遁」です。逆風に逆らわず、離れて客観的に眺めることで道を開くという賢者の知恵ですが、他に「逃げる・遯ずらする」という意味もあります。責任を回避するという点でこちらは少し情けない結末ですが、形勢不利なとき、新たな勢力が台頭して主流が入れ替わる時は、例え正しい事でも流れに逆らって強引に行えば、自分の首が飛ぶ危険が生じます。

古代から現代まで体制に逆らう時は命がけです。しかし多くの人々が体制の善悪を決めかねる時に、正面から逆らってもうまくいくことはないでしょう。

そこで賢人は潔く表舞台から退いて、難を逃れ力を蓄積して大勢の変化を待つのです。

衰運の時には波風立てずに渦中を離れるのが賢明であり、離れることで健全な心身を育て、善悪を見極め、力を蓄えることができます。

「離れるとよく見える」と私たちも言うことがありますね。

茂る木の下で見上げても木の全容は見えませんが、離れて見ると全体がよく見え、また悪いところ良いところ、問題点や改善点が見えるものです。

さらに離れることで人の本質や信頼関係を確かめることができます。

「遯」の意味はとても重要で、表面的には放棄して逃れることですが、単に逃げる「遯ずら」と区別して、現状を逃れることで問題点や善悪を見極め、人を見直し、再生する機会を得るのだととらえます。

普通の日常でも愛情や好き嫌いにかかわらず、夫婦、家族、親子、また学校や会社などの人間関係に疲れを感じることがあります。一時離れる、一人になることは、日常生活の倦怠期を乗り切る知恵といえます。 そこで人は、休みを取る、旅をする、避暑に行く、自分の部屋を持つ、趣味に没頭する、喫茶店でお茶を飲むなど、小さな小さな「遯」を無意識に実践して心身を再生しているのでしょう。

 

34〕雷天大壮(らいてんたいそう)001111 勢いだけで動けば行き詰まる

大壮は大いに壮んと書き、下から陽気が伸び栄えて上の陰気を付きあげる勢いを表しています。天に雷鳴がとどろきますが未だ雨は降らずの象形で、勢いはあるけれどまだ地を潤すほどの力がないことを示します。草木なら茎がグングン伸びて、人なら背丈がグングン伸びる成長期ですが、茎が伸びても花や実がつくのはまだ先で、背丈が一人前になっても経験知識が未熟という状況なので半人前の勢いといえます。

そこで大壮は、その発展の勢いを内面に向けて、自分磨きに励むことを説きます。

「自分」とは「由」と「別・限・際」であり、分を知ることは自分は社会の一部分であることを知ることです。

自分を知るために知識や教養も大事ですが、大事なのは命を尊いと思う謙虚な心を養うことだと説いています。自分や他の命は天から頂いた命で、その天命に礼を尽くすことを「礼儀」といい、人が正しく礼の心(大)をもてば真の勢い(壮)となるのだと教えます。

若い時は意欲や勢いだけで動きがちで、経験もなく社会の秩序や人間関係の機微を知らずに突っ走って蔓草に足を取られ紆余曲折する危うさがあり、下手をすれば命を失うぞと戒めます。

大壮の卦を例える話があります。ようやく角が生えた若い牡鹿は早く一人前の男と認められたいと望み、親たちが軽々と安全地帯の柵を乗り越え広い草原を走る姿を見て、自分だってと勢い込んで突っ走ります。飛ぶ練習も危険に対処するすべも知らず、あげくに飛びそこなって柵に角が絡まり身動きが取れなくなってしまいます。もし野生であれば飢えて死んでしまうでしょう。

そこで賢人は自他ともに命を尊ぶことが礼の基本であると悟り、礼を外さないことを第一に行動したのです。

逸る意欲を内面に向けて謙虚に礼(命の大切さ)を学ぶことは、経験と知識の未熟さを補う大きな力となります。

若い時に命を大切にする心が根付くと、慈み守る心が育ち、賢明な判断力が養われ、やがて人の上に立つ人物に成長するだろうと互卦・錯卦が示します。

 〔解説〕

天山遯と雷天大壮は対照的な動きを示します。「遯・とん」は勢いを抑えて危機を回避する大人の知恵ですが、「大壮・だいそう」は逆に若さの勢いに任せて突っ走り危機を招きます

発展している状況で、誤りを指摘しても危機感を持てませんが、現場を離れて客観的に見ると、大事なもの、問題点や改善点、真に信じられる人か否かなどを見極めることができます。自分の志や信念や本心を確認することもできるでしょう。

隠遁は地位や名誉や報酬を捨てることでなかなか勇気のいることです。それに表面的には現場や責任から逃避する「遯ずら」と似た行為です。

賢者の隠遁は、志や信念を曲げないためにあえて避難し退くことで、命を大切にする「礼の心」に叶い、自分や周囲の命を無駄にしないためする賢人の知恵なのです。

大壮は少年期や青年期の勢いで、熱意や意欲だけで飛び出せば、若い命を無駄にすることがあると戒め、命を尊ぶ礼の心を磨くことを諭します。

私たちの日常でも小さな遯をすることで円満を保ち、また互いの良さを再認識することがあります。夫婦や親子や恋人にも倦怠期が訪れるもので、そんなときは、あえて離れる時間が必要なのでしょう。

離れてなお一層、変わらない信頼や愛情を確認することができるなら、遯はまさに賢者の知恵といえます。元々信頼がなければ離れる勇気は持てないのではと思うのですが…

一度離れたら最後、二度といやだと思うなら、さっさと遯ずらすればよいので、それもはっきりして良いのかもしれません。

E-18易経を読む16 〔31〕心が触れ合う関係・恋愛〔32〕変わらぬ平和と安定・結婚

〔31〕沢山咸(たくざんかん)011100触れ合い感応する心・恋愛

咸は感じること。感動や感激、感謝、感涙など、人と人の関係は、感応して心が触れ合うことで親しみ和合していきます。男女の関係では下の「山・100=若い男性」が変わらぬ熱い想いを告白し、上の「沢・011=若い女性」が悦んで受け入れている象形です。ひざまずいてプロポーズをしているような情景ですね。

男性の気持ちが恋愛から結婚に動く時は、相手を理想的な女性と思い、純粋な心で永遠の愛を誓う謙虚さが生まれます。そこで男性の卦が下にあり、女性は待ち続けたその時を感動で迎え、悦んで求愛を受け入れ、共に感応の極みに到達して結ばれるという、恋愛のハッピーエンドの情景です。

陰陽の男女が感応し心を通わせて固く結ばれるなら、以後の人生は揺らぐことなく順調に進むとあり、それは平和な社会生活のベースとなる人の心の働きです。

沢山咸は恋愛に例えていますが、陰陽が感応して万物が生まれる、天地の道理を説くものです。

易経の後半、「下経」は沢山咸に始まりますが、平和な社会をつくるには、上下の心が感応し通じ合うことがとても重要ということで、下経の筆頭におかれているのでしょう。

互卦は天風姤(てんぷうこう)111110で、願望成就の喜びや、結婚披露宴のような晴れ舞台の訪れを示します。…しかし男女が出会い、恋をして結ばれても幸せになる人ばかりではありません。

天風姤には、例えば悪女や功利的な女性と知らず、外見や色香に迷い理想の女性と思いこんで結ばれるなら、築いた人生が足元から崩れ始める危険があるという戒めが含まれます。女性ではなく男性にも置き換えられますが…

でも易は、心が通じ合う真実の感応かどうかを見分ける方法まで教えます。

恋愛中の男性は、女性を喜ばすために高価な贈り物や豪勢な食事を奮発して頑張りますが、結婚して男性が大きな志に向かう時に、資金や労力など色々と困窮して苦労することがあります。そこで因果関係を説く錯卦の山沢損(さんたくそん)100011は、一転して若い男性が上に若い女性が下になる象形で、苦労する男性に自分のできる限りを貢ぎ、損をしても相手に奉仕する女性の姿を示します。
真の感応と愛情による結びつきかを測るチェックポイントなんですね。そしてこのような損得抜きの奉仕は「損して得を取る」結果になり報われるだろうとあります。

このように心が通じ合い感応して結ばれた二人が熟年になり、平穏無事な熟年夫婦となっていく象形が次の雷風恒(らいふうこう)001110です。そこで賢人は変わらぬ平和と安定を築くために、ありのままの人の心を素直に受け入れることの大切さを察するのです

 

〔32〕雷風恒(らいふうこう)001110不変の道は変わらぬ結婚生活に学ぶ

恒は恒常や恒久で、常に変わらず安定している結婚生活に例えます。

熱烈に感応して結ばれた若い男女も、やがて歳を取り熟年の夫婦になります。

上の雷・001は熟年の男性で、下の風・110は熟年の女性です。恋愛と違い、結婚生活は男性上位で、女性が支える立場に転じています。
恋をして結ばれた二人は幾多の山や谷を乗り越えて、今は平穏無事な日常を送り、人生晩年に向かっている状況です。

感応して男が女を求める時はとても低姿勢で謙虚ですが、結婚すると段々に男がふんぞり返るようになるもので、結婚生活はそれで円満ともいえます。

しかし、日々変わらぬ安定した生活を退屈と思うようになると、かつて感じた刺激やときめきをもう一度味わいたいと思い、波風を立てる方向に心が動きだします。さしずめ不倫の危機ですね。

このような状況や気分は誰にも訪れる時がありますが、純粋に感応して結ばれ、苦しい時を支え合ってきた夫婦は、心が揺れても誘惑に打ち勝ち、危機を退けて、変化はなくても安定した生活を壊すことがないのです。

恒久不変の平和の道は、円満で安定した熟年夫婦のように、様々な危機に遭遇しても、それを退け、初心を忘れず変わることがなく、欲望や妨害するものを果敢に排除していくことだと、互卦の沢天夬(たくてんかい)011111が注意を喚起します。

因果を説く錯卦の風雷益(ふうらいえき)110001は、損得抜きで尽くし奉仕した妻(下の者)に益(利益)を戻す象形で、妻は「損して得(益)を取る」結果です。今当たり前に「損益」という言葉を使いますが、意義があると信じて奉仕する金品や労力の損失は、やがて報われて利益=恒久の安定・平和を導くことができるということで、その根底には上下が心を通じ合わせ、支え合う感応の心があると説いています。

そこで賢人は自分の立場をしっかりと定め、揺らぐことがないよう心掛けるのです。

 

〔解説〕

沢山咸と雷風恒の二つは、男女の恋愛と結婚に例えていますが、上下の関係、支配者と被支配者の関係についても同様であるといっています。心が触れ合い感応して結びついた関係が協力して築く世界は、安定した平和な社会を造りあげる土台となるのですね。

因果関係を説く山沢損と風雷益も同様で、人が誰かのためにできる限りの奉仕ができるのは、その相手への強い信頼と深い愛情があるからで、その土台には心が触れ合い通じ合い、感応し合って結びついた純粋な思いがあるということです。

恋愛中は男性がへりくだって女性を悦ばせ、結婚して時間が経てば男性がふんぞり返り、女性が支えることで平和が保たれます。でも平和に慣れると刺激がなく退屈と思う時があり、心がときめく誘惑に揺れ動くこともあります。しかし心を通じ合わせて結ばれ、苦難を支え合ってきた関係なら、そのような危機を乗り越えられるだろうということで、この二つの卦は心の触れ合う平和な社会を造る根本を説いています。

しかしこの頃は女性上位が多くなったのか志の持てない男性が増えたのか、女性の生き方も多様になって、安易に離婚する人も多いように感じます。

共に白髪の生えるまで、変わらぬ安定を保つことが結構大変になっているのかもしれませんが、心の通じ合いが強い人の結びつきにあることは、今も昔も変わらないのではないかと思います。
古い考え方かもしれませんが…

E17 易経を読むー15 〔29〕苦難を乗り越える道〔30〕情熱と理性について

〔29〕坎為水(かんいすい)010010苦難を乗り越える道

坎=水で、坎為水は水が二つ重なる卦です。八卦では水は冬を表して、基本的に困難や苦境を示します。

易経で四大難卦といわれるのは、次の四卦でどれも「水010」がつきます。

  1. 水雷屯(すいらいちゅん)生みの苦しみ ②坎為水(かんいすい)次々苦難が襲う
  1. 水山蹇(すいざんけん)道が塞がれる ④沢水困(たくすいこん)干上がる

「坎為水010.010」は「水010」が上下に二つ重なりますので、次々に困難・苦境に陥ることを表して、洪水のような苦難に襲われて、成すすべもないような状況です。
当然このような苦難は、すぐに解決できるような問題ではありません。

易は、このような困難や苦境の時こそ、勇気と信念の力が必要で、苦労は人の心を鍛え磨いて新たな勇気を生む力となると励まします。

例えば古代から人は水辺に集まり、水の恩恵により生活を営んできましたが、半面水の猛威により多くの命や生活を奪われる苦難も度々経験してきました。
それでも、苦難のたびに心を鍛え励まして、知恵と努力で改善改革に取り組み、たくましく生き抜いてきたのです。

「水」は様々な苦難を示しますが、どのような時にも低きに流れる「水」の性質は変わりません。

この性質を理解して水を制する方法を研究し技術を磨き、堤防や水路や水門を造り、避難場所や住居を高台に設けるなどの工夫をしてきたのです。

大きな災禍や危難を克服するには長い道のりが必要です。一人の力では無理な事ですが、一人一人が信念と勇気をもって立ち向かう姿は、やがて尊敬と信頼を得て人々の心を結集させ大きな力となります。

人をけん引しリーダーとなる人たちの資質はとても重要です。

そこで賢人の君主は常に徳行を行い、人々の教育に専心し、「誠意誠実を尽くし、他を思いやり、激流に立ち向かう勇気と信念を培った」とあります。

常に高い徳性と優れた知識や能力をもつ人材を育成することが、長い目で有事の備えなのだということですね。

事が起きてから想定外、経験がないなどと言い訳し慌てる事が多いですから…

目先の利益を優先して過少に被害想定する人に随うのは不安です。正しい知識と能力で公正な見識を持ち、人命を優先する徳性をもつ人に随いたいと思うのは当然でしょう。

互卦の山雷頤(さんらいい100001)も「常に養心養生を怠らず体と心を鍛えて備えよ」と喚起しています。

 

〔30〕離為火(りいか)101101情熱と理性について

離=火で、離為火は火101が二つ重なる卦です。八卦では水とは逆に夏の盛り、輝く太陽や燃え盛る炎を表し、知性に溢れて、燃えるような情熱などを示します。その火が二つ重なるので、炎が飛び火して激し過ぎるきらいがありますが…

華麗な花の開花も火の世界です。華麗の麗は(つく)という意味があり、華は根に麗いて華麗に開花します。人も自分に根付いたある限りの知性や能力を発揮して活躍するような状況を、開花または成就・達成などと言います。

「日月は天に麗き(付き)、百穀草木は地に麗き(付き)、柔は中正に麗く(付く)」とあり、
いいかえると太陽や月は天にあって安らかで、草木や穀物は地に根付いて伸び栄える。人も謙虚で柔順な心をもって公正に行えば大いに繁栄するということです。

離為火の反対は坎為水で、どのような困難・苦難にも立ち向かう、徳の高い勇気と信念の人は、やがて尊敬と信頼を得て発展します。このように見事に知性と情熱が花開いた状況が離為火です。

日月は天に付き草木は地に付きとあるように、付くべきところに根付いてこそ伸び栄えます。人も燃えるような情熱で絶大な成功と権力をつかんだときは、知性と明徳の人であることが大いなる繁栄を導く素質です。

あまねく天下を照らす賢人は、不幸な人に涙し、無慈悲や無道に苦しむ人に心を痛め、それらの元凶を果敢に排除する勇気と力をもちますが、最終的には元凶にさえ寛容であろうとします。これは深いですね…目には目をと繰りせば、元凶はなくならないということですから…

 

〔解説〕坎為水と離為火

易経の上経三十卦を締めくくる対照的な二つの卦です。

坎為水は立ち直れないような困難や危難に陥った状況ですが、離為火は反対に燃え盛る炎や華麗に咲き誇る花のように、輝くような繁栄をもたらします。

正反対な状況ですが、困難を克服し、大いに伸び栄える人の資質や条件は同じです。

知性と明徳に培われた勇気と信念は大きな力となって繁栄を導き、知性と明徳に根付いた寛容さと公正さが、あまねく天下を照らす賢人の道だと説いています。
困難を克服するのも繁栄を導くのも人の力であることは同じで、他を思いやる心と豊かな知性に培われた明徳の人、勇気と行動力の人が成し得ることだと二つの卦が説いています。

しかし権力をもつと往々にして様々なアンバランスを生み、やがてパイプが詰まるように行き詰まることを警告しています。

繁栄も衰退もいつかは収束しまた繰り返すものですが、過ちは繰り返さず、困難に備え、少しでも繁栄を永く保つために、心や肉体や精神を鍛え磨いて、養心養生に努めることが大切なのですね。そして明徳と勇気と行動力を備えた人たちは、大事な城を守る石垣となるのでしょう。

上経の終わりは、優れた人材の育成が危難を克服して繁栄を導く底力となるのだと結んでいます。やはり人なんですね~~

E16易経を読むー14 養生とは・重荷に行き詰まる

27〕山雷頤(さんらい・い)100001 欲望を加減して真の養生に励む

頤は「あご」で、噛み砕くことから養うという意味があります。

易の卦100001を見ると両側の陽の間に陰が四つあります。陽は上あごと下あごを表して口の中の食べ物をよく噛むことを示します。噛む時は上あごは止まり(山)、下あごが動き(雷)ますので、「山雷頤」は食物や物ごとはよく噛む、噛みしめることで人を養う力となることを説きます。そこで頤は「養う・養生」を表します。

頤の文字が使われた世界文化遺産に登録された中国の名園「頤和園」は、元々は皇帝の居所として造られたもので、皇帝の養生所ともいえますね。

頤=あごは口にあり、食べることは人を養うエネルギーとなり、学問や様々な経験をすることは人の精神を養う力となりますが、そのためには、何事も早呑みこみせず良く噛みしめ、噛み砕き、味わうことが大切です。

食べたい欲望のまま食べ、絶え間なく動き、際限なく欲望をかなえようとすればどうなるでしょうか…

病は口から入り、災いは口から出るという言葉があり、口が慎み深くきれいであれば災いを避けられるということで、賢人は欲望を加減して健全な生を養うため、言語を慎み飲食を節制するとあります。

人が心身共に健康に生きるために必要なもの、健全に生きるために必要なことを考えることは大切です。よく噛まず早く食いすると満腹の加減がわからなくなり、よく噛み腹に収まるのを待つと、食べ過ぎになり難いのも本当です。

養生は生を養うこと、生命にエネルギーを与えることですから、食べるだけでなく、止まる・考える・休む・眠るなどは全てが養生の時間で、腹に収めるための時間です。

また人の欲望は発展の原動力ですが、一旦腹に収め、よく吟味し見極めて欲望を加減をしないと、多くの問題を抱え過ぎてバランスを崩す厄介な事態になると、次の沢風大過(たくふうたいか)の卦が示します。

 

28〕沢風大過(たくふう・たいか)011110 荷が重すぎてゆき詰まる・欲望を省く

易の卦011110を見ると、山雷頤とは逆に両側に陰があり中に陽が四つで、大過は発展した問題(陽)が多すぎて支える力が弱い(陰)象形です。大過は濁流(沢)に沈む木(風)を表しています。

積み荷や定員がオーバーして沈みかけている船や、細い柱に似合わない重く立派な屋根瓦を乗せて柱がゆがんでいる家や、老人が少女をめとるようなサスペンスな状況を想像してください。

どれも身の丈に合わず・身の程を知らずアンバランスで四苦八苦しそうです。

そうならないように、前の山雷頤は欲望を加減するために養生の大切さを説きました。気付いたときにはあとの祭りですが、船が沈んでも、家が崩壊しても大変なことになります。

こんな時にどうすればよいのか…

沢風大過は、アンバランスを生じて危険な状態に気付き、乗り切るための知恵を説きます。

互卦の乾為天(乾為天・111111)は陽気が満ちて発展しすぎた状態で、満つれば欠けることを暗示し、急ぎ対処しないと危ないと警告しています。

起きてしまった状態を緩和することが急務で、食べ過ぎなら一日断食をする、草木なら枝葉の剪定や害虫の駆除などでしのげますが、人は一度つかんだ栄光や利権に執着するので省くことは容易ではありません。

例えば荷重オーバーの船なら、損害を受けても積み荷を捨てて人命を救うことが大切なはずです。人だけなら皆が極力荷物を捨てて船を軽くします。これを迷い誤ることは恐ろしいことで、目先の私利私欲が勝って現状に固執するようなら、船もろとも沈み、家もろとも崩壊します。

こうなる前に勇猛果敢に毅然として欲望を捨てること、放棄することが最善の解決策なのだと説きます。

アンバランスな状況は他にもあります。会社なら上と下をつなぐはずの中間が力をもち過ぎて行き詰まる。また組織が複雑に膨らみ過ぎて上の意志が末端に伝わらないなど、上はかじ取りに四苦八苦し、下は苦しみ喘ぐ状態を生みます。一度得た栄光や築いたものを失うことは実を切るように辛く難しい問題ですが、その欲望を自ら省くことができれば、最悪の状態を回避することができると教えます。

賢人は、毅然として失うことを恐れず、栄光を捨てることに悩まないとあります。 奥深い言葉です。

 

 

E15 易経を読むー13 〔25〕自然の流れに従う 〔26〕真の実力者とは

〔25〕天雷无妄(てんらいむぼう)111001
時の流れに順応し従う時がある

无は無、妄は望、无妄は無望ですが、人生には予期せぬ出来事がしばしば起こり、期待通りにはいかないことがあるという意味です。また妄は偽りも意味していますので、无妄は偽りがない真実とも読めます。

突如雷鳴が轟き予期せぬ土砂降りに見舞われたときどうするか…自然には勝てず、雷雲が過ぎ去るまで安全な場所で静かに待つことが安心です。もし無理に進もうとすれば落雷の危険を負うことになります。
そこで天雷无妄は、予期せぬアクシデントが起きたときは極力動揺せず、ひとまず状況に順応し成り行きに応じて対処する道を説きます。

例えば干ばつや洪水などの天災に遭遇したとき、苦難に耐えて取り組んでいく民の姿があります。
人生には予期せぬアクシデントや苦境が訪れることがありますが、状況が修復し改善するまでは、苦しみに順応して耐えるしかないことがあります。
そこで互卦の風山漸(ふうざんぜん)110100が徐々に漸次進むしかない。静かに努力し力をつけていけば必ず大空をはばたく時が来ると励まします。

因果関係を説く錯卦は地風升(ちふうしょう)000110。地下の芽が地上にすくすくと伸びていく上昇の卦です。しかし新芽が大いにに進展するために必要な三つの条件があるといいます。それは①季節(時の利) ②養分や光(実力養成) ③良い土壌や環境(後援者、支持者を得る)の三つです。成功の条件、発展の法則ともいうのでしょうか。そこで賢人は時に順応して万物を養い育てることに努めるのです。

綜卦の山天大畜(さんてんだいちく)100111はその三つを大いに蓄積している真の実力者の卦です。天雷无妄は、予期せぬ出来事は時として起こるが、蓄積のない状況では無理に動かず、時流に応じて成り行きを見ることを説きます。无妄は無謀の戒めでもあります。そして漸次実力を養い三つの力を蓄えて真の実力者となることだと、次の山天大畜が説きます。

〔26〕山天大畜(さんてんだいちく)100111真の実力者となるために

山天大畜の対照的な卦が〔9〕の風天小畜110111で、蓄積が小さく大を留める力が弱いことを示し、大畜の方は蓄積が大きいので楽に小を留めることができます。

大畜は「大いに田が茂る」大豊作を示し、蔵に穀物が山積みされた状態です。

偉大な君主は大いなる蓄積を独り占めすることはなく、能力と実績に応じて広く分け与え、また常に有能な人材に門を開き、それを育成し養うことを惜しまなかったとあります。

大望を抱くなら、また大事を成すなら、まずは自分自身の実力や徳を養い、資金や人材を蓄え、物心両面の充実に努めてこそ、時に応じる力を持つ真の実力者となるのです。

互卦の雷沢帰妹(らいたくきまい)001011は、純粋でない政略的な男女の結びつきに例えて、利害損得による作為的な人の結びつき戒めて注意を喚起しています。純粋に有能有益な人を見極め、育成し養うことが大事なのですね。

因果関係を説く錯卦は沢地萃(たくちすい)011000です。山天大畜が大いなる蓄積を持つ真の実力者となる卦なら、沢地萃は水辺に草木茂るように、水場には渇きをいやしに自ずと人が集まる象形です。人が集まればそこに物のやり取りが生まれて交易が発展して繁栄がもたらされることを意味します。徳と実力が備わる人は水場のようで、自ずと人が集まり繁栄し、繁栄すれば蓄積が増えることになるという因果関係です。ある先生の易経の訳文に、沢地萃を「砂漠のオアシス」と説く名訳がありました。

 

〔解説〕

物事が順調に進展している時でも、予期せぬ出来事が生じることがあります。
それを突然の落雷に例えているのが天雷无妄の卦です。
芽が出ようとしているときに、地上をアスファルトで舗装されたら、芽には予想外のアクシデントです。以前「ど根性大根」が話題になりましたが、コンクリートのすき間に力強く成長した大根に、生命の強さたくましさを感じ取って、妙に愛しく感動したものでした。災害や人災なども含め、人は予期せぬ苦難に襲われることがありますが、個人の力が及ばない時は当面順応し耐えてしのぐしかないことがあります。

大きな災禍でなくても「人生は无妄のごとし」で予期せぬ出来事が起こるものです。

無理な時は順応して時流に逆らわないことが大切で、状況が回復すればまた新たな芽が伸びていく時がきます。人も苦難に順応する中で徳を磨き実力を養い努めれば、多くの人が集まり繁栄する時が来るのだと説きます。

時の利・実力・支援者が整う発展の状況です。

そして山天大畜に至り真の実力者となれば、その繁栄を大いに蓄積し、独占することなく能力に応じて広く公平に配分し、常に人材を育て養ったので、大事を成すときもまた有事のときも大いに力を発揮することができるのです。また繁栄を謙虚に感謝して、常に予期せぬ出来事に備え、不穏な動きに対して警戒を怠らないように心掛けるのも真の実力者です。

大きな国の状況から会社や小さな組織まで通用する、発展の条件のように思います。