〔苦しみを超えて始まる新たな人生‥そして始めに成すべきことは…〕
〔3〕水雷屯(すいらいちゅん)010001(水上雷下) (生みの苦しみ)
屯・ちゅん・と読み、往き悩み停滞する様を表します。上卦の水は陽気が中に閉じ込められて困難に陥ることを示し、下にある新たな命や活動の勢いが上昇できずに苦しむこと、また草木の芽の勢いが弱く固い地面を突き破れない状況です。
そこで、水雷屯は「生みの苦しみ・創生の悩み」を説きます。まさに新たな命の誕生(お産)に伴う生みの苦しみであり、困難な状況で何かを始める時の戒めでもあります。混乱に苦悩しながらも、耐え抜く強い思いを保ち続ければ、必ず生まれ出る時が来ます。賢人は秩序を守り計画し準備を整えてその時を待つのです。
(互卦)〔23〕山地剝(さんちはく)100000 注意すべきこと
焦って動けば剝がされると警告している。剝は困難が隠れていることを暗示して、最悪は命が剝される=生命の危機もある。じっと春が来るのを待つように困難が和らぐ時を待つことを忠告している。
(錯卦)〔50〕火風鼎(かふうてい)101110 反対にあるもの。因果関係。
鼎=かなえは三本足の器で、三で立つ、動きの始まりで発展的で安定した状態を示す。屯の苦しみは建設的な未来を創るため。屯を超えればその時が必ず訪れることを示す。
(綜卦)〔4〕山水蒙(さんすいもう)100010 他(天)から見れば
他から見れば、生まれた後の幼子は無知蒙昧な状態であるから、正しい教えで導かなくてはならない。その始まりが礼を学ぶこと。苦しみ生まれた命を尊び、その命への思いが他にも及ぶこと。そのために蒙昧を開き知性を正しく導くことを啓蒙という。
〔4〕山水蒙(さんすいもう)100010(上山下水)(泉を清流に導く=啓蒙とは)
蒙はつる草に覆われて辺りが暗い状況。下卦の水は困難を示し、上卦の山がさらに留めています。でも清水が山から漏れ出ようとしています。生まれたばかりの幼子は無知蒙昧な危うい状態です。蒙を啓くことを啓蒙といい、正しい道筋に従い時期がくれば必ず栄える時がきます。まず大切なのは自らの命を尊いと思うこと。その先に生を授けた父母への感謝が生まれ、自ずと他を慈しみ愛する心が育ち、自らを啓いて道を求めてゆきます。
賢人は地から漏れ出る泉を見て、心の稚ない純粋なうちに、泉が自ら湧き出るように正しく導くのです。
(互卦)〔24〕地雷復(ちらいふく)000001 注意すべきこと
一陽来復の語源。新たに生まれ出る命や初心を一陽として、その発動の兆し。屯の苦しみを乗り越えて生まれた命は、まだ小さい草木の芽のように力が弱く経験も知識もない。発展するためには熱意や意欲だけでは伸びられず、無知蒙昧を正しく導き心を養う辛抱の時間が必要。
(錯卦)沢火革(たくかかく)011101(上沢下火) 反対にあるもの・因果関係
革は改革、革命、革新のこと。革命は一度破壊することから始まる。上の沢(水)が下の火を消そうとするが、自ら正しい導きを得て修めた知性は、未来の革新・改革の光となって輝く。泉がわき出て清流となるように、私利私欲のない思いが破壊する力となる。勢いが高まる時に潔い果断と新たな改革の時が来る。
(綜卦)水雷屯(すいらいちゅん)010001 他(天)から見れば。
他(天)から見ればまだ生まれて間もない幼子のように心もとなく危うい様子が見える。生まれた命は天の授けたもの(天命)と思い、大事に慈しみ育てなくてはならない。常に生みの苦しみを思いだし、生まれた命を尊ぶことが大切だ。知識や技能を詰め込む前に、慈しみ愛される命であることを体得させ心に沁みこむようにすることが啓蒙の始まり。
☆易経は天地に続き3〕水雷屯、4〕山水蒙となります。
天地の営みが次世代の命を宿しますが、地上に生まれることは母の胎内の外へ出ること、次元を変えた世界へ生まれることです。新たな人生の始まりは相当の苦しみが伴い、また動き出したところでまだ幼く蒙昧な時期があることの教えです。この二つの卦は、子を産み育てる始まりや、困難な中で起業や何かを始める時の状況に似ています。
何より大事なことは、生みの苦しみから生まれた命の尊さを知り、他の命を慈しむ知性が育ちます。始めの心が純粋な時にこそ、命の尊さを常に体感する経験が大切で、そこに礼の心が育ちます。啓蒙は自らの意志で師(道)を求め目覚めていくことで、やがては改革や革新を行う人材になり、また事業も発展していきます。虐待など他の命への慈しみに欠けると、やがては自分の命(天命)をも大事にできなくなるでしょう。
次回は〔易経〔5〕〔6〕要求と争いの関係について〕
子供も成長に従い様々な要求をするようになります。会社や仕事でも同じですね。その時どうするか?そして争いに発展した時どう対処するか?などのお話です。