C8 皐月 五月

早月・菖蒲月・早苗月ともいい、新暦の季節は初夏。五月雨(さみだれ)は、『五月雨を集めて早し最上川』と芭蕉の句にも詠まれ、旧暦の五月は梅雨時です。
田畑が雨で潤い、いよいよ田植えの季節が来たことから早苗月といい、早苗月が詰まって早月(さつき)となったというのが定説です。
万葉集や日本書紀では五月をさつきと読ませていて、皐月の字を当てはめたのは後世になってからと伝えられます。

五月晴れは快晴に恵まれた行楽シーズンのようなイメージですが、本来は梅雨の晴れ間の澄み渡った青空が五月晴れです。五月五日は端午の節句。月の端(はじめ)の午の日に、男子の出生を祝い邪気を払う行事が始まり、その日は菖蒲湯に浸かり夏衣装に衣替えをしました。一説に、昔は幼子が育ちにくかったため、無事三歳(数え五歳)を迎えた端午の日に、天に感謝するお祝いとして家門に昇りを立て、供え物をしたことが今の鯉のぼりになったという話も伝わっています。五日に定着したのは三世紀ごろで、相当古くからの習わしだったのですね。それだけ当時は男子が貴重だったのでしょう。

易の八卦は「巽=風」の卦を配して、十二支は巳(み)の月で二十四節気は「立夏」。五行は火で、火が生じる熱のような意味があります。
巳は蛇に例えられ、巳の性質は、筋道を大事に粘り強く誠実ですがこだわりや思い込みが強く、しつこさ執念深さに例えられます。蛇は東洋では神聖な生き物として扱われ、日本の氏神信仰にも深く根付いていますが、崇り神にもなりますね。
若葉が繁り夏の華麗な花の蕾が膨らみ、瑞々しく生気溢れる季節ですが、虫たちには格好の餌ともなるため害虫駆除が必要な頃です。
人も五月病といい、新年度を意欲に満ちてスタートした若者が、自己の思いとは違う現実に直面したり、未来の道筋を見通して虚しくなってしまうなど心の病が心配されます。情熱が純粋なほどもろく傷つきやすいものですが、青年期は自己愛が強いのが当然で、個性の違いや能力の違いに気付くと自信を失ったり自信過剰にもなります。心が成長するための過渡期でもあり、良い師や仲間や友を得ることがとても大切で、助け合い他を思いやる心も磨かれていきます。
そこで巳は「養心・養生」の時を示し、十二支は六番目の真ん中の折り返しに巳を置きます。五(巳)月の消長卦は陽気ばかりの乾為天111111で最高の卦ですが、満れば欠けるようにもろく傷つきやすいのです。強風や害虫に負けずに花を咲かせる草木のように、弱点を修正し改善するために心身の中休みをとり、今後の方向を確立して道筋を整える大切な一年の節目です。
連休には心と体に栄養と休養を十分とって英気を吸収しましょう。
行楽や旅行もとてもよいですが疲労困憊しては休養になりませんね。普段できないような読書や芸術やスポーツに親しむなども良い過ごし方と思います。

B19 陰陽の相対的はたらき〔中・中庸〕

陽極まれば陰を生じ、陰極まれば陽を生じて進化衰退していく循環が、無限に繰り返されているのが自然界です。
明と暗、昼と夜、寒暖などの陰陽の変化は季節を生じますが、人にも季節のような生命力の変化があります。生命力を元気とすると、動き続ければ元気は明らかに衰退します。そのため一定の安息とエネルギーを補給する静の時を必要とします。人が眠るのは元気を維持するための健全なはたらきです。
このような動と静のはたらきも相対的な陰陽の関係です。
天地・昼夜・動静・明暗・寒暖・発展衰退・分化統一・発動終息……
など万物万象は互いにぶつかり合い引き合って時の流れの中で変化し、進化衰退し循環する陰陽の相対的な関係です。
易は相対的な陰陽が生み出す健全な有様を〔中〕という言葉で表します。
時には陰が勝り、時には陽が勝りますが、自然のはたらきはその時々に新たな進化と次の生命を生むための絶妙な中の実現を行っています。
真中でも折半でもない〔中〕とは、易が探究し続けた〔中庸〕の世界でもあります。
陰陽の変化による無限の循環は中の実現の連鎖といえるでしょう。
種→根→芽→茎(間引き)→枝葉(剪定)→花→花枯れる→結実(果断)→完熟→落下(次世代の種)→葉枯れる→土に還る→次世代の種育む…この一つ一つが健全な中の実現です。
中庸を人の世界に表現するのは難しいのですが、私は、その時々に応じ建設的な進展を促し、新たな命につなげる「実現」の世界と考えます。次世代の命を生む陰陽の発展的なバランスは、決して折衷や折半ではありません。
生命の存続のための実現でなければ中とは言えず、もし支配者が目先の私利私欲に従えば確実に滅亡を速める実現になるでしょう。
発展と繁栄を極めても必ず衰退する時が来ます。そこで繁栄を永続するために賢人はさまざまな策を講じてきました。
『中庸』という書物が著され、王の学問の筆頭に位置付けられたのもそのためと思います。
古代から不足や抑圧に苦しむ人々は変化を望み、多くの戦いや革命をして発展してきました。半面ひとたび繁栄をつかむと変化を望まず、かの始皇帝の詔書にも「始皇帝の世は千万世に続く」とあり、永久に繁栄が続くことを望みます。でも相対する関係がある以上、必ず亡ぶ時が来ることを歴史が証明しています。
現代でも既得権益を永続したい人たちは変化を望みません。しかし勇敢かつ賢明に変化の時を受け入れ対処しなければ、その繁栄は衰退へ加速するのが道理です。そしていつの時代も、相対する不足と抑圧に苦しむ多くの人々(民)がおり、変化を望んでいることも確かでしょう。

B18 陰のはたらきについてー1

陽のはたらきは欲求を原動力に発展し、分化を促進します。健全な欲望は元気な生命力を示しますが、過ぎればどうなるか…そこに陰のはたらきである省く力、分別を必要とします。分化の反対にある統一へ向かう陰のはたらきは省きの力で、自然界の淘汰の現象が同じです。
草木を例にとれば、一粒の種を地中で育むのは陰のはたらきです。丁度母の胎内で育つ胎児と似ています。
しかし生命の種は成長する過程で様々な省きや淘汰を経験することになります。まず始めに全ての種が生命として地上に誕生できないという淘汰があります。存在も知られず省かれる命です。
一時「ど根性大根」がニュースになりましたが、アスファルトのすき間に生まれた大根の、たくましくも強い生命力に皆が感動したのですね。
通常でもめでたく発芽した後に間引かれる若葉があり、元気に伸びれば枝葉は風通し良く剪定され、良い花を咲かせるために花芽を摘まれ、また他の生き物に食されることもあります。開花した後花は枯れ、花芽には可愛い実が結実します。実は人や鳥を始め多くの動物を養う自然の宝物ですが、ここで果断という厳しい省きが待っています。桃の花芽には三つの実が成るそうですが、桃農家は甘く良い桃を育てるために、やむなく二つの実を切るのだそうです。
文字通り「実を切る=果断」はとてもつらいことなのですが、人にも「身を切る思い」というつらい状況があります。永田町の方々は身を切る思いで定数削減を約束されましたが、これも果断で、やはりいざとなるとなかなかできないのでしょう。これらの省きは未来に続く次世代を滅ぼさないための厳しい淘汰であり、みな陰のはたらきです。
草木の熟した実は多くの他の命を養うために、その命を提供しますが、鳥や動物たちは食べた後の種を地に落として、次世代の子を還元します。季節が変わり残った実も熟し切って落下し、地中に次世代の命を残すことも同様です。
葉も実も落ちることで、成長と進化のために栄養を送り続けて枯渇が進む地中の根の養分となります。ここで草木の一年が終わる…ようにみえます。しかし沢山の次世代の命=種が地に還元されています。
易が説く無限の循環とは、一粒の種がやがて森を創るような生命の循環と同じです。自然淘汰は健全な生命の循環には不可欠で、地球の天変地異も生命活動の証である淘汰の現象です。人も様々に淘汰されるのですから、せめて戦争などの人為的な淘汰は無くなってほしいものです。大化の改新以来、国のお役所は「○○省」です。省庁は本来国民の久しい繁栄のために「欲求や無理無駄を省く」役割がありますので、せめて省きが偏らず健全公平に成されなくては「省庁」とはいえませんね。(次回 陰陽の相対的なはたらき)

B17 陽のはたらきについてー1

陽は進化発展を促す力という捉え方があります。そして人が進化発展するための原動力は「欲望」です。欲っすることで人は行動を起こし、行動することで進化していきます。欲求が進化して発展していくことは、一つの細胞が分裂して増殖するように分化していく現象です。植物の生長を見ると、進化し発展していくことは分化の現象であることがよくわかります。
一粒の種が地下で育まれ、やがて発芽の季節を迎えて地上に芽を出します。小さな芽は双葉になり、茎がすくすくと伸びて枝を伸ばし、その枝からいくつもの葉が芽をだします。さらに枝葉の間に可愛い花芽が宿り、蕾となり、太陽と空気と雨を栄養にして成長した草木はやがて開花の時を迎え小さな芽の正体を堂々と披露します。
このように植物の進化発展を促すのは「陽」の力、創造のはたらきによるものです。
欲求し進化するための草木の行動は、生きるために根や枝葉から栄養を吸収することといえます。動物の赤ちゃんは生まれるとすぐに母親の乳を求め鳴き声を上げ、目も見えず教えもしないのにたくましく乳を吸いますが、これも本能的に生きるための進化の行動の始まりです。
本能的な欲求に始まり、成長と共にさまざまな能力が進化し、知性を吸収し、心身を発展させてやがて立派な成人になります。親から自立することは、草木の開花と同じで、易は離=火を開花現象としていますが、親から離れ自立することは文字通り「離」の現象です。
易の説く陽のはたらきの原動力は様々な「欲求」であるということで、元気を失くし、欲求を失くすと、生命力はどんどん衰えていきます。欲求の始まりである食欲を失くし、食べられなくなると生の世界と決別する時がくるのですね。
しかし陽のはたらきが極まるとどうなるかというと、それは発展し分化が進み、分けが分からなくなって動きが停滞し自滅する組織のように、生命も滅んでしまいます。そこで果てしない欲望を抑える「分別」が大切となります。陽を抑制し生命の寿命を全うさせて、さらに次世代へつなげるために陰の働きがあります。分化の反対にある統一のはたらきです。陰は要所要所で省きを促します。
食欲旺盛は元気な生命力の証ですが、過ぎればどうなるか…そこに陰の省きの力・分別がはたらいて健康が保たれます。
分別を別の言葉でいえば「ほどほど・良い加減」ということになりますね。(次回。陰のはたらきについて)