E31易経を読む-29〔57〕巽為風・柔軟な風〔58〕兌為沢・語り合い和合する

57〕巽為風(そんいふう)110.110そよ風のように柔順、柔軟に。

「巽」は「風」で、巽為風は風が二つ重なる卦。巽は巳と共にあると書くように、仲の良い夫婦のように、心が通じ合う人と人の関係にも通じます。

そよ風は優しく枝葉をそよがせ、人のほほを撫でて吹く心地よい風です。人なら謙遜の姿に例えられるでしょう。

物に当たっても柔軟によけて吹き過ぎる風は、争うことなく物事を柔軟に采配する優れた指導者の姿です。このような人に従っていくなら、行く先は順調に開けていくのだと説いています。
心地良いそよ風の吹く巽が示す南東は、順調に進展し活気を生むとされ、商売人に好まれる方位です。

優しく平等に接する優れた指導者には、皆喜んで従う一見平和な状況です。でも内部に女同士の妬みや嫉みのような揉め事が生まれることを、互卦の火沢暌(かたくけい)が警告します。

柔順なそよ風は、一変して屋根を吹き飛ばすような強い突風・大風にもなります。
兄嫁と小姑の勢力争いのような身内のいざこざが、進展の足を引っ張るような状況ではとても大事業はできないでしょう。内部の安定はとても重要です。

そこで賢人は、常に謙虚に事を行い、何ごとにも冷静に、慌てず恐れず、和合と親睦を心がけるのです。

 

58〕兌為沢(だいたく)011.011誠実に語りあい親しみ和合する。

「兌」は「説」であり「悦」を示します。言葉で語り合うことは心が喜び、親しみ和合することにつながります。沢は少女を表しますが、二人の少女が楽しそうに語り合う様子は、見ている者も思わず微笑んでしまうように心が和むものです。

人は、悦び、楽しく暮らすことがとても大切で、正しく事を行い、自然な悦びの心を貫き保つことは天命に適い、やがて人と人の心が通い合い、皆悦び、親しく和合するだろうと説いています。

「沢」はまた言語の力を示し、言葉は人と人をつなぐ潤滑油です。でも誠意や誠実な心がなければ、その言葉は逆に不信と不和を招くことにもなります。言葉はもろ刃の剣になるものです。

互卦の風火家人(ふうかかじん)は、心から信じ、親しみ、寄り添い合える家族の象形です。このような家族は強い味方であり、外敵に対しての強い守りの力となるでしょう。家人は家族であり、切磋琢磨して結ばれた同志でもあります。

悦び楽しみ集う状況が永遠に続くことはなくても、心を一つにして支え合える家族や同志がいれば、艱難辛苦をじっと耐えていく力となり、現状を守るために無欲無心の強い心が生まれるのです。

そのような同志ともいえる関係は、共に学び鍛えあい、向上を目指す中で生まれるのだと説きます。

そこで賢人は友と集い語り合い、共に志を立て、向上するために真剣に学び心を磨きあうのです。

 

〔解説〕

巽為風(そんいふう)と兌為沢(だいたく)は、真の和合の道へ導く指導者の資質と共に、心が通じ合う、真の同志・家族の大切さを説いています。

また人が和合するために言葉の力は大変重要で、また逆に人を傷つけ不和を招くこともあり、言葉はもろ刃の剣でもあります。

柔軟な風は、争いを嫌う謙虚で公平な指導者の姿であり、そのような人の導く未来は、人々が悦び、親しみ、語り合って和合する、美しい社会となるでしょう。そのような人と人が心を通じ合い、信頼し合うために、語り合う言葉の力はとても大切です。しかし、その言葉に誠意誠実や真実の思いがなければ、逆に不信や不和を招く力ともなります。

また真に信頼し合う関係は、真剣に学び、誠実に語り合い、様々に切磋琢磨する中で生まれ、それはどんな時も支え合う、強い信頼のきずなで結ばれた家族と重なります。

兌為沢の賢人の言葉の原文訳は「君子以て朋友講習す」で、今は当たり前に使われている「講習」という言葉の語源です。

「講習」とは、友と集い、学び、心を磨き、切磋琢磨して、共に向上を目指すことで、そこに真の友・家族ともいえる心が育っていくのですね。

遊び友達も悪くはないですが、楽しい時だけの友達では、艱難辛苦の時に、守り支え合うことは期待できないでしょう。

若い方たちには、真剣に語り合い、鍛え学びあって、良き友情を育んでほしいと心から思います。

 

E-30 易経を読む-28〔55〕雷火豊 豊かさの中の衰兆〔56〕火山旅 人生は希求の旅

55〕雷火豊(らいかほう)001.101 豊かさの中の衰兆

豊は文字通り「豊かさ」を示し、その繁栄は盛大で、まるで王者のように満ち足りている状況です。まさに日が中天にありますが、これ以後は徐々に日が傾いていく状況です。

満ちれば欠けるのは自然の摂理で、天地は四季の移り変わりに従い、消長・盛衰していくものです。

繁栄に至るまでの苦労と努力の成果は、それを守るだけでも相当のエネルギーを必要とするでしょう。体力も消耗しているはずで、このようなときは、現状を守り、土台を固めていくことが大切です。
まして、さらなる拡張拡大や新規の事業に挑むことは厳しく戒めることとしています。

震=雷と離=火は仲睦まじい中年の男女の姿ですが、そろそろ衰えが始まる年代です。火(101)の上の雷(001)とは、やがて変動が起こることを示します。

互卦の「沢風大過」は荷を積み過ぎて傾きかかけた船を示します。因果を説く錯卦の水沢節は、節度・節制・節操で、中庸の大切さを説いています。

そこで賢人は、繁栄の時にこそ様々な問題や争いの種となることを洞察し、規則やルールの中で「公正」を基準にして、賢明に対処し解決をしておくのです。

 

6〕火山旅(かざんりょ)101.100 人生は希求の旅

旅は文字通り旅のことですが、山(100)の上の火(101)が示すのは、日が山頂にあるうちに、安全を確保することを警告しています。例えば日のあるうちに宿をとらないと危ないぞということでしょう。

旅が今のように楽しみや慰安となったのはまだ最近のことです。

古代の旅は、新天地を求め、また現状の発展をめざし、また窮地を逃れるために、まさに命がけの覚悟で「水杯を交わし」臨んだものと思います。

現代と違い、見知らぬ土地、未知の人々の中で過ごす不安は想像を絶するものだったでしょう。そのような不安な状況は人生の中でも起こります。転居や転職などもその一つです。

人生は希求の旅であるといい、様々な変化と出会いの中で、夢と希望を求めて時を経ていく、我々の人生に重なります。

時には流浪し流転する苦難もあり、良い人に出会い、良い場に行き着き、人生を大いに進化発展させることもあります。

旅に目的があるように、人生の旅も理想や志を忘れずに保って行けば、困難を乗り越える力となるでしょう。

「郷に入っては郷に従え」という格言がありますが、これはまさに旅における戒めです。

錯卦の「水沢節」も節度・節操を守り節制し、原則に固執せず柔軟に状況や立場に応じ、正しい道を求めなさいという「中庸」の道の教えで、互卦はバランスを崩して船が傾くことを警告する沢風大過です。

そこで賢人は、内には信念や理想を守り、外には行動や言動に注意し、時を読み、場に応じて速やかに明快に対処するのです。

 

〔解説〕

雷火豊は、豊かさや繁栄に満たされている時を衰兆の始まりと捉え、変化変動に備えておくことを説き、火山旅は長く険しい人生の旅を無事に生きぬくための教えが説かれています。

共に注意すべきこととして、限りない欲望がバランスを崩し、船を沈め、屋台骨を傾ける原因になることを、互卦の沢風大過が警告をしています。

易の説く現代は山頂からの下りが始まっている時期です。大きな国や組織も、小さな個人も、抱え過ぎた荷の整理をする時期と思われます。欲望は発展の原動力ですが、果てしない欲望はすべてを崩壊させる原因にもなります。

苦労を乗り越え発展へ努力する時があり、無理無駄を果敢に省いて終息へ向かう時があります。
また新規の挑戦や拡大拡張をする時期と、現状を見直し果敢に果断して、再生から結実へ歩む時期があります。

現状を正しく見て、時に応じて節制や節度を重視し、再生へ向かい、次世代に残すものを見極める時が来ているのではないでしょうか。

E29易経を読む-27〔53〕風山漸・漸次進展〔54〕雷沢帰妹・順を踏まぬ逆行

53〕風山漸(ふうざんぜん)110.100漸次進む伸展成長の道

漸は漸次であり徐々に進むこと。遠い(山)の上の木(風)が、気付かぬうちに着実に成長している象形です。また雁のヒナ鳥が徐々に実力をつけてやがて大空へ羽ばたいていく様子に例え、良縁を得る女性の結婚の道を説いています。

水鳥の雁は渡り鳥ですが、ヒナの時代は親の後を追いだんだんに成長していきます。まず水辺に上がり、次に手近の枝に飛び移り、さらには遠い山の木にも自在に飛び回れるようになり、徐々に実力をつてやがて仲間の鳥たちと共に大空へ羽ばたいていきます。

このように、幸せな結婚を望む女子は、妻となる修養を積みながら落ち着いて待っていれば、やがて立派な未来の夫の目に留まるだろうということで、手順や秩序を踏んで進むことの大切さを説いています。

正しく進み正しく行えば、道を正して功績となり、国家をも正す力となり、その道は新たな発展と創造の世界へと導かれていくが、もし功利的作為的に手順を踏まず逆行するならば、行く末は凶となるだろうと互卦や錯綜の卦が示します。

そこで賢人は順序や秩序を守り、常に内面を磨き技能を習得して実力を養うので、次第に実力者となり周囲を善に染めていく力を得るのです。

54〕雷沢帰妹(らいたくきまい)001.011順を踏まぬ逆行は凶だが終始全うすれば吉となる

帰妹は末娘のこと。若い娘、それも末の娘が姉を飛び越して中年の男性に嫁ぐ様で、順を踏まず逆行する道だから、このような結びつきは凶なのだと説いています。

また中年男性(雷)が少女(沢)の上で動く(震)ことから、肉体的な結びつきを強調して、地位や財力のある熟年男性が若い女性の肉体に溺れることや、親の政略的な意味合いで嫁がされる結婚などが当てはまります。

歴史上ではよくある話ですが、ことさらに凶と戒めています。しかし、終わりを全うすれば吉となるということで、例え功利的、政略的な結びつきであっても、互いに心を通わせる努力をして、終わりを全うするならば、それは風山漸と同じであり、やがて有終の美を飾るだろうと、互卦や錯綜の卦が示しています。

そこで賢人は一時的な現象や状況が弊害になることでも、永続し全うすることを心がけるので、やがては周囲も認め納得して治まっていくのです。

例えアンバランスであっても、終始を全うすれば周囲も治まり吉となるということなのでしょう。

〔解説〕

風山漸と雷沢帰妹は女性の結婚に例えて、対照的な道を説いています。

「漸」は漸次進むことで周易の説く道徳観では女性に限らず望ましい姿です。
上に柔順で、落ち着いて自分自身の修養に努めて待っていれば、やがて道が開け、大いに活躍する場ができるということですが、逆に雷沢帰妹は順序や段階を踏まず一足飛びに有利な結びつきを求めます。

男女の結びつきでいえばアンバランスでも愛情より条件や実利を取るということになるので、卦辞では凶としていますが、現実には多く行われていたことと思います。

現代もセレブ志向の風潮で、恋愛と結婚は別と考える人も多く、雷沢帰妹を望む傾向があるようです。

支配層と庶民の格差が厳しい歴史の時代背景の中で、政略結婚や女性を献上して有利な立場を得ようとすることは当たり前に行われていたと思います。
逆行を凶としても、終わりを全うすれば吉となるとしていることを戒めとしたのではと思います。

徐々に実力を磨いて成長進化する「風山漸」を美徳とすることは、逆も真なりで、功利的でも有利な立場を得たいとする「雷沢帰妹」が、普通であることを示しているのかもしれません。

始まりに問題があろうとも終わりを全うすれば吉に転じることは、地位や立場が人を育て実力を養うことが現実にあることも事実でしょう。

易経の説く世界は、苦難や衰退は希望の道へと続き、楽も繁栄もやがて終息していきます。この世の万物、森羅万象は変化して留まることがありません。

仏教の「諸行無常」も同じことを諭しているのでしょうか…

せめて若い人たちが未来に希望を見出して、実力を養う時間と心の余裕を持てるような環境であればと願います。

E28易経を読む-26〔51〕震為雷・鳴動に慌てず〔52〕艮為山・泰然と動ぜず

51〕震為雷(しんいらい)001.001鳴動に慌てないよう修養を積む

震は雷鳴を表して、いよいよ陽気が発動する状況です。そこで震は伸展成長する勢いを示します。雷雲が現れ雷鳴がとどろくと人々は驚き恐れますが、雷雲が通りすぎてしまえば、何ごともなく笑い合えるものだといっています。

また春雷は春の生命の活動を促すサインでもあり、雷鳴の響きと共に冬眠していた地中の虫たちがぞろぞろと地上に這い出してくる「啓蟄」の季節です。

革命の後の安定を示す〔50〕火風鼎(かふうてい)の後を受けて、恐れおののくような変動も、過ぎてしまえばまた平穏が訪れると続けます。

震の卦の象伝には、雷は確かに恐ろしいので、その時はお金や財物など気にせずまず命の安全に心をくだけ…財物などは七日経てば戻る(七日は六爻がまた繰り返すこと)とあります。

右往左往して家にお金や財産を取りに戻るようでは命も守れず、身命も全うできない。また財物に執着すれば身動きが取れなくなる。七日経てば戻るとは、逆風に逆らわず順風を待てば自ずと戻ってくるものだということでしょう。

これは君子たるものは危険が及ぶ時こそ、冷静に大事を見極めて行動せよという「中庸」の姿勢に通じます。、

そこで賢人は常に起こるだろう変動のたびに恐れおののきうろたえないよう、日頃から戒め慎み内面の修養を怠らないのです。

 

52〕艮為山(ごんいさん)100.100 泰然自若して動ぜず・無私無欲

震為雷から一転して、艮は止なりで、動かず留まる事です。

その留まり方は、例えその人の背後にいても顔を合わせず、庭先に赴くことがあっても会おうとしないと徹底しています。

ただ動かないのではなく、留まる時は何があっても動かず、行くべき時が来たら果敢に突き進むことで、常に時に応じ目的に応じていれば、必ず光明がさすだろうとあります。

「艮」は泰然自若、冷静沈着で安易に動かない。もし軽率に動くならば、「山」が行く手を塞ぐことになり全てが滞るだろうと説いています。

物事が容易に進まない状態である時に、たとえ孤独でも焦らず、耐えて現状を守り抜く姿であり、それは私欲を捨てた無私の行為、無心の働きでしかないのです。艮に徹すればやがて雪が解けて春が訪れ、会いたい人と会い、共に和やかに語り合う悦びの時が来るだろうと、錯卦綜卦が示しています。

そこで賢人は動きようのない山を見て、冷静沈着に自分の立場を考え、分を越えた欲望を戒め現状の守りに努めるのです。

 

〔解説〕

発動を示す震為雷と静止を示す艮為山は対照的な卦です。

古代から春雷は春を知らせ春の種まきシーズンの到来を示しますが、秋はまた雷光を受けて稲が結実すると信じられていました。そこで稲光、稲妻という情緒のある言葉が生まれたのですね。

雷は陽気・動の発動を示して力強い生命力を示しますが、同時に雷による被害もあり、雷神は稲妻(夫)であると同時に荒ぶる神ともなることを知って、古代から人々は敬虔に信仰していたのでしょう。

波乱の時は難を避け身命を守ることが大切で、お金や財宝などに執着しないこと。財物などはまた時が来れば取り戻すことができると説いています。

また艮為山は、どうにも動きようのない困難や力を前にした時は、泰然自若として動かず、無私無欲に徹して身命を守り抜くことだと説きます。

どちらも私欲との向き合い方に学びがあり、今やるべきこと、何が大事かを見極めることで、次の好機に臨むための道が開けるのだと思います。

お金や財物に執着せずまず命を守るために行動する…

困難な状況にいる時は、私欲を捨て分を守り、じっと好機の到来を待つ…

どちらも中庸に通じる君子の徳を説くものですが、普通人は、家が燃える危険があれば、うろたえて大事な物を取りに戻るかもしれませんし、会いたいと思い願う人が目の前にいたら声をかけてしまうかもしれません。

とっさに大事を見極め、どう動くかはとても難しく、君子の道はそう簡単ではありませね。

E-27 易経を読む-25〔49〕沢火革 革命・改革の道〔50〕火風鼎 安定の道

49〕沢火革(たく..かく)011.101 革命と改革の道

革は革(あらた)める事で、革命や改革、革新の道を説いています。

上卦の沢(水)は、下卦の火と対立する関係で、古いものを新しく改めるには対立する関係を壊すことから始まります。その破壊の混乱を乗り越えてこそ建設的な未来を築くための革命が成立するのだと説きます。

私欲を捨て誠実に正しい道を進み、自ら無知蒙昧を啓き、寒泉を掘り当てる経験をしてこそ、行き詰まりを改める道が開きます。蒙昧を開き寒泉を掘り当てる経験とは、悩み苦しみの根元を正しく知るために自ら良い師を求めて啓蒙に励み、心の奥底に潜む清冽な思いや志に行きつくことです。

ただ勢いで思想に感化したり、頭だけの知識や理屈のみで革命に走れば、建設的な未来などは望めません。

志が大事であることはいうまでもなく、例え勢いと理屈で改革を可能にしても、平和や安定をもたらすことはなく、やがて迷走して長く暗黒の世界に落ち込んでいくことになるでしょう。

未来の建設が長く平和と安定をもたらすための革命の成功を鼎革(ていかく)といい、真の革命の道としています。次の卦、火風鼎(かふうてい)は革命の後に安定をもたらす未来の建設の過程を示します。

 

50〕火風鼎(.ふう.てい)101.110 鼎革(ていかく)は安定への道

破壊と革命の後に、新たな未来の建設が始まります。鼎(かなえ)は三本足で神に捧げる供物を煮炊きする大きな祭器で、その小さなものは香炉などにも用いられました。

「鼎(かなえ)の軽重を問う」という言葉がありますが、古代の鼎は国の権威を示す象徴でした。ましてその軽重を問うことは無礼であり、敵対する人物とみなされても仕方ありません。
鼎は三本足ですが、三は、奇数(陽数・動数)の基礎となる数で、発展をもたらす数を表します。三本の矢、三角形のピラミッド、くさびなどもそうですが、三は安定した動きを示す最小の数です。
鼎の1は根元数を表し、取っ手の2は陰陽を表す偶数の基本の数を示し、足の3で「立つ」という動きが生まれます。また3は天地人を包括する数でもあり、万物の順調な進展を示す数です。

革命の後に平和と安定の世界を切り開くために、元凶を除いて行き詰まりを打開し、無理無駄を取り除くために、果敢に決断決行することは生みの苦しみです。そこを乗り越えていけば、やがて水が地を潤うすように発展していくだろうと、鼎革(ていかく)の道を説いています。

 

 

〔解説〕

沢火革(たくかかく)と火風鼎(かふうてい)の二つの卦は、古代中国を中心とする東アジアの易姓革命が背景にあります。古より国を治める王は天命を受けて王となり、代々世襲で受け継がれました。
王が天帝の命を受けるという大義名分のもとで命を革めることを易姓革命と言い、当然王家の姓が変わります。

天帝の意に反すれば革命を起こして他の有徳の王が引き継ぐことを肯定する、儒教的な思想が背景にあります。

鼎(かなえ)については、古代の夏王朝の初代禹王は、天帝に供物を捧げるために九つの鼎を鋳造して国の威信を示したと伝えられます。やがて夏を滅ぼした次の殷の湯王はその鼎を継承してその威信を示し、殷を滅ぼした周の武王も革命成立の証として夏・殷の鼎を継承しました。
天帝の命を受けて行われる易姓革命の正当性を、鼎の継承を革命成功の象徴とすることで「鼎革」という言葉が生まれたのでしょう。

語源はともかく、前回の「沢水困たくすいこん」の干上がる苦しみから「水風井すいふうせい」へ転じて、ようやく清冽な寒泉を掘り当てて新たな未来を建設するための道筋が開けることを、この二つの卦から知ることが有益と思います。

八方ふさがりの苦しみの中で、心の奥に潜む清らかな泉(初心や志)を掘り当てることができれば、必ず改革への道が開き、新たな未来を開く力が生まれます。
大きな困難を乗り越えて光へと誘う道筋といえましょう。