E21易経を読むー19〔37〕風火家人 信愛〔38〕火沢暌 背反

〔37〕風火家人(ふうかかじん)110.101家内安全と信愛について

家人は文字通り家の人です。家族が心を一つにして寄り添えれば、たとえ貧しくても家庭は心から親しみ安らぐ場所になるでしょう。その中心は夫婦=父母であり、特に一家の主婦の役割は大変大きく、家庭の中の女性の立場はとても重要です。

母と娘や嫁などの関係では、主婦である母(風)に娘や嫁(火)が素直に従う円満な関係があれば、外で働く夫であり父や息子を支え励まして一致協力することができます。

家内安全・安泰とは家族が心を合わせて外敵から家族を守り、苦しみの時にはその悩みを共有して、心を通わせ寄り添い集う家庭の有り様だといいます。

外の社会でも、信愛で結ばれた同志はとても大切です。一人で苦難を乗り越えることは容易ではありませんし、逆に守るべき大事な人がいることが、短気を抑え忍耐力を養います。家人は火の上に風が吹く象形です。小さな火を丁寧に消さないと大火になる危険があり、日常の小事を侮ると大事に発展していきます。

信愛で結ばれた家族や仲間など守る者があると、自ずと用心深く慎重に行動するようになるものです。このような関係は共に協力して苦労を乗り越えていく過程で生まれ、乗り越えたときに真の信愛で結ばれた家族、同志となります。

家内安泰の原則は、大きくは組織や国の安泰にも通じます。

そこで賢人は日常の小事が大事を呼ぶのだと知って、言葉や行いを慎み、嘘を言わず、常に原則に従って行動するのです。
互卦は火水未済(かすいみさい)、錯卦は雷水解(らいすいかい)で、用心して火を消しても後からまた新たな火種が生じるように、発展を目指していけば苦労の種は尽きないことを示します。
例え人に背かれ、理不尽に泣いても、短気に争いに走れば命まで危険にさらすのだと警告し、苦難の時は家族や同志を思い、また忠告を聞き、助け合って忍耐して春を待てば、やがて雪が解けるように解消していくだろうと諭します。

 

〔38〕火沢暌(かたくけい)101.011背反しながら協力する矛盾した関係

暌は背くことで、家内安泰の「家人」の卦を逆さまにした象形です。

火101は上に昇り、沢011の水は低きに流れて上下が和合しないことで、嫁と小姑がいがみ合うような、家内で女同士が背きあう関係に例えています。
内部にいがみ合いや反目する状況があれば、一致団結して行う事業や大きな問題には取り組めません。
錯卦の水山蹇(すいざんけん)は、強行すれば往く手を塞がれて行き悩む。極力平坦で安全な道を進めと警告します。

例え話ですが、「ある時、繁盛している団子屋の長男が嫁をもらいました。店は長男の妹が看板娘で頑張っていましたが、そこへ美しい兄嫁が参入したことで、妹は兄の愛情もとられた上に、店も兄嫁に仕切られてしまうのではと疑心暗鬼になります。そこから小姑の兄嫁いびりが始まり、兄嫁も負けじと反目し、それぞれに雷同するものも現れて家庭の中にいざこざが絶えなくなりました。当然険悪な雰囲気はお客にも伝わり、売り上げにも影響します。結局志を立てて家業を守る長男を苦しめることになりました。そこでようやく反目する二人も家の危機と気付きます。反目しつつも長男の思いを察し、家を守るという共通の意識でこつこつ働くうちに、徐々にお互いを家族として認め合えるようになっていきました」…いがみあっても共通の利益や危機に対しては協力もできる…このような矛盾した関係を示すのが火沢暌です。

家の危機に気付き、とりあえず火種を消すことができましたが、このような関係では、日常のことはできても、大きな事業に発展させるのは難しいでしょう。

例えば会社は社員に共通の利益をもたらしますが、内部では足の引っ張り合いがあることはよく耳にする話です。内部のもめごとが会社が傾く原因になるともいいます。

そこで賢人は志を変えず付和雷同しないように努めるのです。

 

〔解説〕

風火家人(ふうかかじん)と火沢暌(かたくけい)は、どちらも家族や家庭の円満の大切さを説いているのでしょう。
火沢暌の例え話の中で、嫁に長男がつき小姑に姑などがつけば家の中はぐちゃぐちゃになります。

団子屋の長男は賢いですね。家業を守ることは家を守ることと、身をもって示して反目する二人に気付かせましたから…
風火家人の卦は、男たちが困難に遭遇したときに理性的に対処する道を選ばせるのは、家族が心が通い互いを大切に思う気持ちに支えられているのだと説いています。
例えば夫が会社で左遷など不当な処遇を受けたと仮定します。感情的には夫は辞めてやる!と思いますが、家族を守るために唇をかみしめて耐え、妻や家族は夫を理解し励まして協力して共に耐え抜く状況です。
そうであればやがて公正な人間の手で復権する時が来るだろうという結末ですが、やはり家内安全はともに困難を乗り越えて、信愛を築いた円満な家族がもたらすものなのでしょうね。

神社で家内安全を祈願する時にそのことを思い出すことにします。

 

E20易経を読むー18〔35〕日の出・上昇の勢い〔36〕日没・夜明けを待つ

35〕火地晋(かちしん)101000日が昇る・上昇と発展へ向かう勢い

「晋」は「進」で、進むこと。地000の上に火101がある象形で、暗闇に光明がさすように辺りがどんどん明るくなる日の出の勢いを示します。

徳の高い賢人・「火」に、衆人・「地」が柔順に従って進めば未来は光明に包まれるとも読めます。

暗い夜が明けて昇る朝日には強い勢いがあり、その勢いに従い積極的に仕事を引き受けて働けば、順調に進展して認められるだろう。大いに力を発揮して活躍することだ。時の利に恵まれているのだから…と説いています。

しかし朝日は日の出というように日の始まりで、未経験の一日に向かうために、様々なリスクを想定することが大切です。四大難卦の一つ、水山蹇(すいざんけん)が互卦にあり、障害に遭遇したら焦らず熟慮して、極力平易な道を探らないと、八方塞がりに陥るぞと警告します。そして因果関係を説く錯卦は、水天需(すいてんじゅ)で、何にでも飛びつかず、本当に求めているもの、待望するものを吟味していくことで、有意義な一日となることを示しています。

そこで賢人は人々が希望に導かれる朝日のように、自分の内面を磨き徳を磨いて自らが輝く光となる努力をするのです。

日はやがて必ず沈むことを知って、与えられた時を有益に活用する時を示しますが、次の地火明夷は火地晋を逆から見た綜卦で、日没を表しています。

 

36〕地火明夷(ちかめいい)000101 日没・夜明けを待つ・逆境を乗り切る

明夷は明が夷(やぶれる)意味で、「火」101が「地」000の下に落ちる象形です。

明が夷(やぶれる)とは、明るさや光が消えること、火が消えること。朝が来ればまた夜が来て一日が終わりますが、夜を安息の時でもあり、不用意に動けないのは当然です。そこで明夷は暗愚な者「地」が、有能で明徳のある人「火」を抑え妨げている状況とも読みます。

賢人は闇夜のように勢いが衰えた時は、危険が及ばないように有能さを隠し、外見は平凡で愚かな人に見せて夜明けの時を待ちます。そしてどのような逆境の時も、内面の徳を磨き、希望の光を絶やさないのです。

朝の来ない夜はなく、雪に閉ざされた冬もやがて雪解けの春が来るように、苦しみや悩みを解消する時が来ると、互卦の雷水解(らいすいかい)が教えます。

そして因果関係を説く錯卦の天水訟(てんすいしょう)は、理不尽な状況に陥っても、勢いのない時や弱い立場の時にいたずらに争いを起こしても勝ち目がなく、

また公正な裁きにより勝つことができても、そこで得た名誉や利益などは永続性がないのだと説きます。そこで、日が昇るような勢い・時の利が味方する時を待って行動することが賢明なのだと静観し忍耐する時を教えます。

〔解説〕

日の出は、今日という日を希望に導く光となって人の活動を後押しし、また日没は人の活動を収束させ夜の眠りに誘います。

夜は安息の時であり、また次の日の活動力を充電する時間です。特に古代の人々には日の出と日没は、時を知る重要な目安であったでしょう。

火地晋と地火明夷は日昇と日没の「時」の処し方を示しますが、日の出のような勢いのある時と、衰退し逆境に落ち込んだ時とも捉えます。

日の出の勢いがある時は大いに活動して繁栄に努力することが大切です。しかし勢いに慢心せず、明確に望む方向や目的意識を持ち、極力リスクを避けて進まないと、思いがけない障害に苦しむことになると警告し、日没後のように勢いが衰えた状況では、闇雲に動かず、まして争わず、危険を避けて力を蓄え、また日が昇る時を待って備えることだと諭します。

人が発展に向かい行動する時には、目的や願いに向かう意欲と共に、極力リスクを避ける冷静さが必要ですが、何より勢い=時の利が成功に導く大切な条件なのだと気づかされます。

又反対に、衰退し逆境に陥っても、日はまた昇り、温かな春が来ると励まされます。そのために時の勢いを知って、時に応じる処し方が大事なのですね。

発展と終息の道中にある時の変化を知ることが、希望の光を生かし、希望を失わない秘訣なのだと改めて思います。

E19 易経を読むー17〔33〕一時避難は賢者の知恵〔34〕勢いで動く危険

33〕天山遯(てんざんとん)111100 賢者は避難して危機を乗り切る

豚は逃れ(遁れ)隠れることで、即ち「隠遁」です。逆風に逆らわず、離れて客観的に眺めることで道を開くという賢者の知恵ですが、他に「逃げる・遯ずらする」という意味もあります。責任を回避するという点でこちらは少し情けない結末ですが、形勢不利なとき、新たな勢力が台頭して主流が入れ替わる時は、例え正しい事でも流れに逆らって強引に行えば、自分の首が飛ぶ危険が生じます。

古代から現代まで体制に逆らう時は命がけです。しかし多くの人々が体制の善悪を決めかねる時に、正面から逆らってもうまくいくことはないでしょう。

そこで賢人は潔く表舞台から退いて、難を逃れ力を蓄積して大勢の変化を待つのです。

衰運の時には波風立てずに渦中を離れるのが賢明であり、離れることで健全な心身を育て、善悪を見極め、力を蓄えることができます。

「離れるとよく見える」と私たちも言うことがありますね。

茂る木の下で見上げても木の全容は見えませんが、離れて見ると全体がよく見え、また悪いところ良いところ、問題点や改善点が見えるものです。

さらに離れることで人の本質や信頼関係を確かめることができます。

「遯」の意味はとても重要で、表面的には放棄して逃れることですが、単に逃げる「遯ずら」と区別して、現状を逃れることで問題点や善悪を見極め、人を見直し、再生する機会を得るのだととらえます。

普通の日常でも愛情や好き嫌いにかかわらず、夫婦、家族、親子、また学校や会社などの人間関係に疲れを感じることがあります。一時離れる、一人になることは、日常生活の倦怠期を乗り切る知恵といえます。 そこで人は、休みを取る、旅をする、避暑に行く、自分の部屋を持つ、趣味に没頭する、喫茶店でお茶を飲むなど、小さな小さな「遯」を無意識に実践して心身を再生しているのでしょう。

 

34〕雷天大壮(らいてんたいそう)001111 勢いだけで動けば行き詰まる

大壮は大いに壮んと書き、下から陽気が伸び栄えて上の陰気を付きあげる勢いを表しています。天に雷鳴がとどろきますが未だ雨は降らずの象形で、勢いはあるけれどまだ地を潤すほどの力がないことを示します。草木なら茎がグングン伸びて、人なら背丈がグングン伸びる成長期ですが、茎が伸びても花や実がつくのはまだ先で、背丈が一人前になっても経験知識が未熟という状況なので半人前の勢いといえます。

そこで大壮は、その発展の勢いを内面に向けて、自分磨きに励むことを説きます。

「自分」とは「由」と「別・限・際」であり、分を知ることは自分は社会の一部分であることを知ることです。

自分を知るために知識や教養も大事ですが、大事なのは命を尊いと思う謙虚な心を養うことだと説いています。自分や他の命は天から頂いた命で、その天命に礼を尽くすことを「礼儀」といい、人が正しく礼の心(大)をもてば真の勢い(壮)となるのだと教えます。

若い時は意欲や勢いだけで動きがちで、経験もなく社会の秩序や人間関係の機微を知らずに突っ走って蔓草に足を取られ紆余曲折する危うさがあり、下手をすれば命を失うぞと戒めます。

大壮の卦を例える話があります。ようやく角が生えた若い牡鹿は早く一人前の男と認められたいと望み、親たちが軽々と安全地帯の柵を乗り越え広い草原を走る姿を見て、自分だってと勢い込んで突っ走ります。飛ぶ練習も危険に対処するすべも知らず、あげくに飛びそこなって柵に角が絡まり身動きが取れなくなってしまいます。もし野生であれば飢えて死んでしまうでしょう。

そこで賢人は自他ともに命を尊ぶことが礼の基本であると悟り、礼を外さないことを第一に行動したのです。

逸る意欲を内面に向けて謙虚に礼(命の大切さ)を学ぶことは、経験と知識の未熟さを補う大きな力となります。

若い時に命を大切にする心が根付くと、慈み守る心が育ち、賢明な判断力が養われ、やがて人の上に立つ人物に成長するだろうと互卦・錯卦が示します。

 〔解説〕

天山遯と雷天大壮は対照的な動きを示します。「遯・とん」は勢いを抑えて危機を回避する大人の知恵ですが、「大壮・だいそう」は逆に若さの勢いに任せて突っ走り危機を招きます

発展している状況で、誤りを指摘しても危機感を持てませんが、現場を離れて客観的に見ると、大事なもの、問題点や改善点、真に信じられる人か否かなどを見極めることができます。自分の志や信念や本心を確認することもできるでしょう。

隠遁は地位や名誉や報酬を捨てることでなかなか勇気のいることです。それに表面的には現場や責任から逃避する「遯ずら」と似た行為です。

賢者の隠遁は、志や信念を曲げないためにあえて避難し退くことで、命を大切にする「礼の心」に叶い、自分や周囲の命を無駄にしないためする賢人の知恵なのです。

大壮は少年期や青年期の勢いで、熱意や意欲だけで飛び出せば、若い命を無駄にすることがあると戒め、命を尊ぶ礼の心を磨くことを諭します。

私たちの日常でも小さな遯をすることで円満を保ち、また互いの良さを再認識することがあります。夫婦や親子や恋人にも倦怠期が訪れるもので、そんなときは、あえて離れる時間が必要なのでしょう。

離れてなお一層、変わらない信頼や愛情を確認することができるなら、遯はまさに賢者の知恵といえます。元々信頼がなければ離れる勇気は持てないのではと思うのですが…

一度離れたら最後、二度といやだと思うなら、さっさと遯ずらすればよいので、それもはっきりして良いのかもしれません。

E-18易経を読む16 〔31〕心が触れ合う関係・恋愛〔32〕変わらぬ平和と安定・結婚

〔31〕沢山咸(たくざんかん)011100触れ合い感応する心・恋愛

咸は感じること。感動や感激、感謝、感涙など、人と人の関係は、感応して心が触れ合うことで親しみ和合していきます。男女の関係では下の「山・100=若い男性」が変わらぬ熱い想いを告白し、上の「沢・011=若い女性」が悦んで受け入れている象形です。ひざまずいてプロポーズをしているような情景ですね。

男性の気持ちが恋愛から結婚に動く時は、相手を理想的な女性と思い、純粋な心で永遠の愛を誓う謙虚さが生まれます。そこで男性の卦が下にあり、女性は待ち続けたその時を感動で迎え、悦んで求愛を受け入れ、共に感応の極みに到達して結ばれるという、恋愛のハッピーエンドの情景です。

陰陽の男女が感応し心を通わせて固く結ばれるなら、以後の人生は揺らぐことなく順調に進むとあり、それは平和な社会生活のベースとなる人の心の働きです。

沢山咸は恋愛に例えていますが、陰陽が感応して万物が生まれる、天地の道理を説くものです。

易経の後半、「下経」は沢山咸に始まりますが、平和な社会をつくるには、上下の心が感応し通じ合うことがとても重要ということで、下経の筆頭におかれているのでしょう。

互卦は天風姤(てんぷうこう)111110で、願望成就の喜びや、結婚披露宴のような晴れ舞台の訪れを示します。…しかし男女が出会い、恋をして結ばれても幸せになる人ばかりではありません。

天風姤には、例えば悪女や功利的な女性と知らず、外見や色香に迷い理想の女性と思いこんで結ばれるなら、築いた人生が足元から崩れ始める危険があるという戒めが含まれます。女性ではなく男性にも置き換えられますが…

でも易は、心が通じ合う真実の感応かどうかを見分ける方法まで教えます。

恋愛中の男性は、女性を喜ばすために高価な贈り物や豪勢な食事を奮発して頑張りますが、結婚して男性が大きな志に向かう時に、資金や労力など色々と困窮して苦労することがあります。そこで因果関係を説く錯卦の山沢損(さんたくそん)100011は、一転して若い男性が上に若い女性が下になる象形で、苦労する男性に自分のできる限りを貢ぎ、損をしても相手に奉仕する女性の姿を示します。
真の感応と愛情による結びつきかを測るチェックポイントなんですね。そしてこのような損得抜きの奉仕は「損して得を取る」結果になり報われるだろうとあります。

このように心が通じ合い感応して結ばれた二人が熟年になり、平穏無事な熟年夫婦となっていく象形が次の雷風恒(らいふうこう)001110です。そこで賢人は変わらぬ平和と安定を築くために、ありのままの人の心を素直に受け入れることの大切さを察するのです

 

〔32〕雷風恒(らいふうこう)001110不変の道は変わらぬ結婚生活に学ぶ

恒は恒常や恒久で、常に変わらず安定している結婚生活に例えます。

熱烈に感応して結ばれた若い男女も、やがて歳を取り熟年の夫婦になります。

上の雷・001は熟年の男性で、下の風・110は熟年の女性です。恋愛と違い、結婚生活は男性上位で、女性が支える立場に転じています。
恋をして結ばれた二人は幾多の山や谷を乗り越えて、今は平穏無事な日常を送り、人生晩年に向かっている状況です。

感応して男が女を求める時はとても低姿勢で謙虚ですが、結婚すると段々に男がふんぞり返るようになるもので、結婚生活はそれで円満ともいえます。

しかし、日々変わらぬ安定した生活を退屈と思うようになると、かつて感じた刺激やときめきをもう一度味わいたいと思い、波風を立てる方向に心が動きだします。さしずめ不倫の危機ですね。

このような状況や気分は誰にも訪れる時がありますが、純粋に感応して結ばれ、苦しい時を支え合ってきた夫婦は、心が揺れても誘惑に打ち勝ち、危機を退けて、変化はなくても安定した生活を壊すことがないのです。

恒久不変の平和の道は、円満で安定した熟年夫婦のように、様々な危機に遭遇しても、それを退け、初心を忘れず変わることがなく、欲望や妨害するものを果敢に排除していくことだと、互卦の沢天夬(たくてんかい)011111が注意を喚起します。

因果を説く錯卦の風雷益(ふうらいえき)110001は、損得抜きで尽くし奉仕した妻(下の者)に益(利益)を戻す象形で、妻は「損して得(益)を取る」結果です。今当たり前に「損益」という言葉を使いますが、意義があると信じて奉仕する金品や労力の損失は、やがて報われて利益=恒久の安定・平和を導くことができるということで、その根底には上下が心を通じ合わせ、支え合う感応の心があると説いています。

そこで賢人は自分の立場をしっかりと定め、揺らぐことがないよう心掛けるのです。

 

〔解説〕

沢山咸と雷風恒の二つは、男女の恋愛と結婚に例えていますが、上下の関係、支配者と被支配者の関係についても同様であるといっています。心が触れ合い感応して結びついた関係が協力して築く世界は、安定した平和な社会を造りあげる土台となるのですね。

因果関係を説く山沢損と風雷益も同様で、人が誰かのためにできる限りの奉仕ができるのは、その相手への強い信頼と深い愛情があるからで、その土台には心が触れ合い通じ合い、感応し合って結びついた純粋な思いがあるということです。

恋愛中は男性がへりくだって女性を悦ばせ、結婚して時間が経てば男性がふんぞり返り、女性が支えることで平和が保たれます。でも平和に慣れると刺激がなく退屈と思う時があり、心がときめく誘惑に揺れ動くこともあります。しかし心を通じ合わせて結ばれ、苦難を支え合ってきた関係なら、そのような危機を乗り越えられるだろうということで、この二つの卦は心の触れ合う平和な社会を造る根本を説いています。

しかしこの頃は女性上位が多くなったのか志の持てない男性が増えたのか、女性の生き方も多様になって、安易に離婚する人も多いように感じます。

共に白髪の生えるまで、変わらぬ安定を保つことが結構大変になっているのかもしれませんが、心の通じ合いが強い人の結びつきにあることは、今も昔も変わらないのではないかと思います。
古い考え方かもしれませんが…

E17 易経を読むー15 〔29〕苦難を乗り越える道〔30〕情熱と理性について

〔29〕坎為水(かんいすい)010010苦難を乗り越える道

坎=水で、坎為水は水が二つ重なる卦です。八卦では水は冬を表して、基本的に困難や苦境を示します。

易経で四大難卦といわれるのは、次の四卦でどれも「水010」がつきます。

  1. 水雷屯(すいらいちゅん)生みの苦しみ ②坎為水(かんいすい)次々苦難が襲う
  1. 水山蹇(すいざんけん)道が塞がれる ④沢水困(たくすいこん)干上がる

「坎為水010.010」は「水010」が上下に二つ重なりますので、次々に困難・苦境に陥ることを表して、洪水のような苦難に襲われて、成すすべもないような状況です。
当然このような苦難は、すぐに解決できるような問題ではありません。

易は、このような困難や苦境の時こそ、勇気と信念の力が必要で、苦労は人の心を鍛え磨いて新たな勇気を生む力となると励まします。

例えば古代から人は水辺に集まり、水の恩恵により生活を営んできましたが、半面水の猛威により多くの命や生活を奪われる苦難も度々経験してきました。
それでも、苦難のたびに心を鍛え励まして、知恵と努力で改善改革に取り組み、たくましく生き抜いてきたのです。

「水」は様々な苦難を示しますが、どのような時にも低きに流れる「水」の性質は変わりません。

この性質を理解して水を制する方法を研究し技術を磨き、堤防や水路や水門を造り、避難場所や住居を高台に設けるなどの工夫をしてきたのです。

大きな災禍や危難を克服するには長い道のりが必要です。一人の力では無理な事ですが、一人一人が信念と勇気をもって立ち向かう姿は、やがて尊敬と信頼を得て人々の心を結集させ大きな力となります。

人をけん引しリーダーとなる人たちの資質はとても重要です。

そこで賢人の君主は常に徳行を行い、人々の教育に専心し、「誠意誠実を尽くし、他を思いやり、激流に立ち向かう勇気と信念を培った」とあります。

常に高い徳性と優れた知識や能力をもつ人材を育成することが、長い目で有事の備えなのだということですね。

事が起きてから想定外、経験がないなどと言い訳し慌てる事が多いですから…

目先の利益を優先して過少に被害想定する人に随うのは不安です。正しい知識と能力で公正な見識を持ち、人命を優先する徳性をもつ人に随いたいと思うのは当然でしょう。

互卦の山雷頤(さんらいい100001)も「常に養心養生を怠らず体と心を鍛えて備えよ」と喚起しています。

 

〔30〕離為火(りいか)101101情熱と理性について

離=火で、離為火は火101が二つ重なる卦です。八卦では水とは逆に夏の盛り、輝く太陽や燃え盛る炎を表し、知性に溢れて、燃えるような情熱などを示します。その火が二つ重なるので、炎が飛び火して激し過ぎるきらいがありますが…

華麗な花の開花も火の世界です。華麗の麗は(つく)という意味があり、華は根に麗いて華麗に開花します。人も自分に根付いたある限りの知性や能力を発揮して活躍するような状況を、開花または成就・達成などと言います。

「日月は天に麗き(付き)、百穀草木は地に麗き(付き)、柔は中正に麗く(付く)」とあり、
いいかえると太陽や月は天にあって安らかで、草木や穀物は地に根付いて伸び栄える。人も謙虚で柔順な心をもって公正に行えば大いに繁栄するということです。

離為火の反対は坎為水で、どのような困難・苦難にも立ち向かう、徳の高い勇気と信念の人は、やがて尊敬と信頼を得て発展します。このように見事に知性と情熱が花開いた状況が離為火です。

日月は天に付き草木は地に付きとあるように、付くべきところに根付いてこそ伸び栄えます。人も燃えるような情熱で絶大な成功と権力をつかんだときは、知性と明徳の人であることが大いなる繁栄を導く素質です。

あまねく天下を照らす賢人は、不幸な人に涙し、無慈悲や無道に苦しむ人に心を痛め、それらの元凶を果敢に排除する勇気と力をもちますが、最終的には元凶にさえ寛容であろうとします。これは深いですね…目には目をと繰りせば、元凶はなくならないということですから…

 

〔解説〕坎為水と離為火

易経の上経三十卦を締めくくる対照的な二つの卦です。

坎為水は立ち直れないような困難や危難に陥った状況ですが、離為火は反対に燃え盛る炎や華麗に咲き誇る花のように、輝くような繁栄をもたらします。

正反対な状況ですが、困難を克服し、大いに伸び栄える人の資質や条件は同じです。

知性と明徳に培われた勇気と信念は大きな力となって繁栄を導き、知性と明徳に根付いた寛容さと公正さが、あまねく天下を照らす賢人の道だと説いています。
困難を克服するのも繁栄を導くのも人の力であることは同じで、他を思いやる心と豊かな知性に培われた明徳の人、勇気と行動力の人が成し得ることだと二つの卦が説いています。

しかし権力をもつと往々にして様々なアンバランスを生み、やがてパイプが詰まるように行き詰まることを警告しています。

繁栄も衰退もいつかは収束しまた繰り返すものですが、過ちは繰り返さず、困難に備え、少しでも繁栄を永く保つために、心や肉体や精神を鍛え磨いて、養心養生に努めることが大切なのですね。そして明徳と勇気と行動力を備えた人たちは、大事な城を守る石垣となるのでしょう。

上経の終わりは、優れた人材の育成が危難を克服して繁栄を導く底力となるのだと結んでいます。やはり人なんですね~~