E14易経を読むー12〔23〕衰兆を察して備える〔24〕一陽来復、吉兆を育む

 

〔23〕山地剝(さんちはく)100000 衰兆を察して危難に備える。退き際を知る

剝は、剥ぐ(はぐ)、剥ぎ落とすこと。陰気が上昇して陽の力が限界に達しています。今になって発展を望んでもどうにもならず、退き時を測り大難にならないよう対処することが大切と教えます。

季節は収穫を終えた晩秋の頃、新たな種をまく時期ではありません。

剝のいう衰兆とは、組織的には秘かに失脚を画策され、身体的には秘かに重い病が進行し、金銭的には楽観的に散財し有事の備えができていない状況です。

卦象は上卦の山が浸食されている状況で、まだ表面的には一陽が食い止めていますが、遅からず最後の一葉が落ちて冬が訪れます。

このような状況は収穫後の季節のように一見一段落したのどかなムードがありますが、今後は新たな実りは望めず、蔵の中の収穫が冬を越すための全ての財産です。
人も好調な時の努力は繁栄を導き、多くの実りや収穫を獲得して終息に向かえば、十分な備えがあるので寒い冬も暖かく、安らぎと休息をもたらします。
それでも冬は予期せぬ災難が降りかかることが多く、有事に備えるさらなる余力が大切です。

余力とはあなたの人生の蔵の中身、お金など財産だけでなく良い人間関係・家族円満・健康などでしょう。

季節の晩秋は一見豊かで、危機感も少なく冬支度にもまだ焦らないのが現実です。

互卦の坤為地000000は保存と包容、育成に吉で、発展的な行動の扉は閉じられます。そこで内面を磨き、心を育てよというのですが、天地重合するときでもあり、陰陽男女が睦みあい、子宝(春の芽)を授かる意味もあります。

賢人は衰兆を察して下が少しでも楽になるよう速やかに配慮して、地位を守るとあります。そうできるなら天地和合して共に耐えて春を待てるのですが…

現代なら厳しい冬を乗り越えるために何をするか…今ある物を吟味して十分な蓄積をし、あるいは若い力を育成し託して退く時に備え、体の不調を放置せず、人や家族に絡む諸問題に決着し、あらゆる気がかりに対処しておく…そして静かに時期(春季)を待てば、また陽気が復活すると錯卦の地雷復000001が教えます。

全ては巡りの中でおきる終息の結果です。究極、無一文で仕事もないなどの惨状であるとしたら、相当の覚悟をして、守るものは「命」そのものでしょう。今日を招いた原因を考え、他を恨まず、潔くSOSを発信し、助ける手があれば感謝して握り、何としても命を守るのです。

そして誤りをリセットして初心に戻り、新たな希望の芽を育む心に切り替えることです。
良い事に日本には八百万の神々がおり「捨てる神あれば拾う神もあり」なのです。

〔24〕地雷復(ちらいふく)000001一陽来復、原点回帰、育成の時

復は復活を意味し、破壊の後の復興や新たな建設が始まるなど、土の中で春の芽=吉兆(雷)が育っている様です。季節は冬至を示し、天地の創造する易は地雷復に始まります。山地剝の一陽(落ちた実の種)が、次世代の生命として復活しますので「一陽来復」です。

行き詰まりや苦しみを抱えた心に一筋の光明が差し、新たな希望が生まれます。でもまだ冬の真中にあり、焦って外に出れば枯れてしまいます。機を見て元気に発動するために、計画を立て、学びや修養に励み、準備に励み力を蓄えておく時期です。互卦も坤為地000000で、まだ発展の扉は開いていません。

古代、君子は冬至の日には斎戒沐浴して身を清め、遊びや俗事に関わらず、欲望を慎んで安静を保ち、陰陽の定まるのを待ったとあり、冬至は初心に返り、正しい道に戻り、原点回帰するための厳粛な日だったのですね。

そこで地雷復は厳しさや困難に耐えて、内面を鍛え磨き、強い体質を育成する好機で、新たな計画を始動し達成へ導くために、強い種子を育てることが大切です。

社会的には、志を受け継ぐ若い力が台頭して復活の希望が生まれます。復縁や仲直り、失くし物発見などに吉とされるのも吉兆を示しています。

次世代の希望となる土の中の種子は、やがて春に地上に芽を吹き、すくすくと枝葉を伸ばして開花の夏を迎えます。
また人は困難を乗り越えて新たな希望を育み、それを実現するために果敢に行動し、努力して夢を叶えます。
行動力や成長力がみなぎる春を過ぎ、夏を迎えて目標の成就する開花の時を錯卦・天風姤111110が示しますが、下に陰気が宿り、熟成に向かい新たな苦労が始まります。
成功の後は慢心や油断が生まれやすく、自ら滅びのきっかけをつくることも多いのです。

衰退や生みの苦しみを経験したことを忘れず、初心の志を保ち、同じ過ちを繰り返さないことが大切です。毎年の冬至の日に身を清め、原点へ返ることを戒めた古代の賢人は、人は常に慢心や油断をしやすいことを知っていたのでしょう。

〔解説〕

春夏秋冬、季節は巡り、春が来れば冬の寒さを忘れるものです。

花が咲き秋に実りを収穫して、また余力のない冬を過ごさないために、成果を蓄積することの大切さを説く山地剝。
また厳しい状況にあっても志を立て、希望を育くんで静かに復活する力強さを説く地雷復。

この二つの卦は、終わりと始まりを説いています。

終わり良ければ全て良しといいますが、一日の終わり、一ヵ月の終わり、一年の終わり、そして十年、二十年…六十年…と繰り返す人生の節目の終わり方は、また新たな次の始まりに通じています。
大みそかに終わり、元旦に始まる一年の節目を過ぎましたがまだ間に合う正月のうち。一年をどう過ごすか、改めて目標をもち、きちんと計画を立てなくてはいけないなと思います。

 

E13易経を読むー11 〔21〕責任と罰について〔22〕繁栄は頽廃を招く

21〕火雷噬校(からいぜいこう)101001責任と罰を明確にして和の道へ導く

噬校(ぜいこう)は噛み合わせること。上卦の火101は歯と歯の間に物が詰まって噛み合わせを妨害しています。互卦の水山蹇(すいざんけん)010100も障害に足止めされると警告します。でも、上卦の火は燃え盛る炎の内面に冷静な徳を秘めており、下卦の雷001は旺盛な活動力で、噬校は太陽と雷鳴のような力強さを表します。

そこで噛み砕くとは、ひるむことなく責任と罰を明確にして果敢に障害を排除するとあり、それぞれの爻は、色々な肉をかむことに例えて、足から首まで、枷(かせ)がどこにはめられるかという罰の程度が示されています。

とても解釈が分かり難い卦ですが、君子は刑罰を明らかにして法令を整え公正に施行したとありますので、要は責任と罰について明確にするとは法令を明らかにすることで、法により果敢にそして速やかに采配することが、上下がかみ合い和合する道という、厳しい国造りの状況が見えてきます。

因果を説く錯卦は水風井(すいふうせい)010110で、井戸の水が枯れ、釣瓶も壊れて人が去っていく状況から始まります。そこで行き詰まった時は寒泉(かんせん)を掘り起こせという言葉があり、もう一度井戸を修繕し清らかな水を湛えた井戸に戻せば、自ずと人が集まり繁栄の時が戻ります。そして蘇えった井戸の水を独占せず、衆人に分け与えることと教えます。

古代から人は水場を求めて集まり、集落を形作っていきました。「市井(しせい)」はこの卦から生まれた言葉で、人が集まり住みつくことで発展し繁栄していくのですね。

枯渇するような困難に陥ることがあります。その時こそ、自分の中の奥深くにある清らかな泉を探り掘り起こすように、純粋な志をよみがえらせること、そして志を遂げるために、まずは自他に公平であること、そしてルールを明確にして、妨げる者には正々堂々と責任と罰を問う強さが、繁栄を健全に導くために、大切だということなのでしょう。

求めるものを供給して人を集めても、供給が枯渇し困難に陥れば人は去っていきます。例え私欲を捨てて公平に行なうとしても、明確なルールと違反への罰がないと、人は従わないものだというのですが、これが普通の社会なのでしょう。でもこのような経験から善の行動が人の日常に定着し、やがて刑罰のいらない世の中になるのが理想というのですが…なかなか難しそうですね。

 

22〕山火賁(さんかひ)100101文明や繁栄は頽廃を招く。虚飾の戒め

賁は飾ること。困難を克服し繁栄が築かれると、成功者は地位や名誉や財産を得るようになります。山火賁は山を照らす夕日(火)が間もなく沈んで暗くなる状況です。頭上を照らした日は沈み夜が来るのは当然ですが、人が成功で得た名誉などは夕日の輝きだというのです。

そして多くの人は成功し地位や富を得ると外見を華やかに飾り、志も忘れて内面の深み=明徳(火)が失われていきます。夕日が沈むように、繁栄は終息に向かう束の間の輝きで、明日のために余力を残して眠ることが健全な人の暮らしです。でも中には沈む夕日の輝きを維持することに躍起となる人もいて、何とかごまかそうとして、粉飾・文飾・虚飾が行われます。そこで賁は破れるという意味もあります。人も眠らないと壊れますね。また文明も発展し進化すると素朴な生命力が失われて、頽廃的になります。

山火賁は繁栄のときこそ外見の華やかさに捕われず、飾ることなく内容を充実させて、闇夜にうろたえることのないよう対処することが大切という教えです。

互卦は雷水解001010で、雪と氷に閉ざされた寒い冬も、やがて時が来れば雪が解けて春が訪れる。暖かく明るい春を迎えるために、冬支度をして静かに待つ時があると注意を促します。

ありのままに…というヒット曲のフレーズがありましたが、自分を隠さず正直に生きることはとても勇気がいることです。

同様に自然の営みに逆らうことなく、季節に応じ、時に応じて生きていくことは簡単なようで難しく、その時々にやるべきことがあり、変化に応じる備えがないと穏やかには過ごせません。

夕日の輝きに魅了されても、もうすぐ日が沈むことを察知して夜を迎える心構えに変化することが、ありのままに生きる術でしょう。いくら外見を飾っても内容が充実していなければ虚飾の世界です。粉飾・文飾も同様で、沈む勢いは飾っても隠しても止められません。発展と頽廃・繁栄と終息・通じれば窮し、窮すれば通じる自然の摂理に逆らっても、結果として錯卦の沢水困100010という八方ふさがりの枯渇した状況に至ると警告します。

そこで賢人は今やるべきことを察知して速やかに処理し、賛否を測る重要な問題は軽率に行わず、熟慮して時を待つのです…

 

〔解説〕

火雷噬校(からいぜいこう)と山火賁(さんかひ)の二つの卦は、困窮から志を立て、繁栄を導くために強く厳しく行動する時期があること。
そして繁栄の後の油断と慢心を戒め、日が昇る勢いの時にやるべきこと、日が沈む時にやるべきことの違いを説いています。
繁栄に驕り華やかに飾ることは夕日の輝きのようなもの。ともすると陥るのが、「成功すると初心の志を忘れる」「お金がもうかると身を飾り見栄を張り贅沢をする」「外見を維持するために粉飾・文飾・虚飾に陥る」 そして枯渇し困窮しても、「生命の泉を掘り起こせばまた蘇える」「冬を耐えて超えれば必ず雪解けの時が来る」など希望と救いもあり、「窮すれば通じ、通じれば窮す」繰り返しが、易の説く無限の生命の循環の働きです。

変化を受け入れさらにより賢明に進化するために、時に応じ状況に応じてやるべきこと、心構えなどの違いを説いています。

 

 

E12易経を読むー10機を見て動く〔19〕地沢臨、ものの見方〔20〕風地観

〔19〕地沢臨(ちたくりん)000011世に出るために、機を見て敏に動く

臨は元々上位から下位に在るものを見る意味でした。臨席や来臨などの言葉がありますが、本来臨は敬いを込めて使用するもので、このたびは臨席させていただき…などと自分で言うのは恥ずかしい事です。

下卦が二陽となり、植物なら土の中の芽があと少しで地上に発動する希望にあふれた状況です。

そこで、人も世に出るために頑張るのですが、何を頑張るかと言えば、初心の志(地雷復000001)であると互卦が示します。

隆盛であっても、季節感は現在の一月頃のため、まだ外界は厳しく安易に進めば滅びてしまいます。そこで出るタイミングがあり、機を見る慎重さは必要ですが、動く時は俊敏に行動しないとそう長く好機は続かないと教えます。

臨の始め(初爻)に咸臨(かんりん)とありますが、これは江戸末期に勝海舟の指揮の下、福沢諭吉等九十余名の若者が遣米使節として、始めて太平洋を横断した船・咸臨丸の名に使われています。咸は感応することで、大いなる志を抱き感応する同志が、新たな世界に臨む船出にふさわしい船名と思えます。

そして帰国後の勝海舟等は日本の新たな夜明けである明治維新に深く関わることになります。

反対は錯卦の天山遯111100で、退いて難を避ける意味があり、季節は夏の土用、ここを過ぎれば秋です。そこで初心の志は、機を見て敏に正しく実行しないと進展する時機を失うと忠告します。

賢人は目に見えない変化の兆しを感じとり、どこまでも下のものを導き包容することを願うのですが…伸びようとする変化の勢いを止めるのは容易ではありません。

〔20〕風地観(ふうちかん)110000物事を深く観ぬく力。物の観方。

観は単なる見方ではなく、凝視する、奥底まで見抜く観方です。地上に風が吹き荒れる象形ですが、世の中を治める人は八方の風をよく感じて、それぞれに応じて必要な政(まつりごと)を行うべきなのだと説いています。

観光というと今は物見遊山のような響きがありますが、本来、賢明な国王は国の光(繁栄)を観るために領地をくまなく巡行したことから、「観光」という言葉が生まれました。その時に人々の上辺の歓迎を見て安心する様なら賢明な王ではなく、表に出ない人々の苦しみや嘆きをその仰ぎ見る姿から見抜き(上観)、自ら天を仰ぎ人々の災いを除く祈りを捧げます。その姿を衆人が観て(迎観し)、柔順な心を失わず付き随うのだと説いています。

そこで上位の者が台頭する変化の兆しを見抜けないと、自らが剥がされるのだと、互卦の山地剝100000が警告します。また退くべき時を知り終息の時に備えることの教えでもあります。

観の卦は下の陰(大衆)が台頭して上の陽(支配者)を押しのけようという勢いがあります。

いつの世も民の苦しみが極限に近づく時が革命の兆しです。それを知らずに支配者が私利私欲に走り、栄耀栄華を尽くせば大きな革命が訪れるということですね。

因果関係を説く錯卦の雷天大壮001111は、逆に下から陽気が壮んになっている上昇の卦です。どのように壮んな勢いで繁栄を極めても、いつかは負の勢いが台頭してくるものです。でも自分の繁栄のために賢明に努力した日々を思えば、苦しむ人々の改革を望む勢いを想像することは可能です。若い力が伸びてくることは止めようもありません。

そこで別の解釈では、伸びようとする若い人々に深いまなざしを注ぐ良き指導者の姿でもあり、努力や苦しみを見抜く思慮深さにより人々を教え導くことができる人物像といえます。

賢人は奥深い観察眼を働かせ、それぞれの望みや苦難を見抜き、適切な教えを立てて導くのです。

 

〔解説〕

地沢臨000011と風地観110000の卦は天地(180度)逆転した綜卦の関係ですが、どちらも深く変化に応じて行動するというところで共通点があります。

臨は上昇する生命力で、機が熟せば自ずと世に出ていく若い力です。しかし大きな志を立てても、機を測り俊敏に行動しないと、好機は一転して衰退に導かれてしまうのです。また観は逆に熟成した大人の静かな力です。深く観ぬいて、衰退の兆しに早く気付き、自ら率先して模範を示し教え導くことの大切さを教えます。

例えとして、希望にあふれて誕生した玉のような女の子は、やがて可愛い少女に成長していきます。そんな愛娘を見て、見上げるような高見に昇る幸せをつかんでほしいと望むのが親心ですが、幼い時から蝶よ花よと甘やかすと、往々にして年頃になると不純な交友に走り、不良娘にもなりかねません。そのような失敗をしないためにしつけや教育が大事であり、親は正しく道を示すことが大切なのだという話にも共通します。

素晴らしい素質を、道を誤り台無しにしてしまうことはとても残念なことです。また素質を伸ばし教え導く人に恵まれることは幸せですね。

機会を自ら求めていくと同時に良い指導者に導かれることは、未来を大きく開くためにとても大事なことなのだと気づかされます。

 

 

E11易経を読むー9正しく随い、災いを福に転じる道〔17〕沢雷髄〔18〕山風蠱

〔17〕沢雷髄(たくらいずい)011001順応し正しく随う道

繁栄をつかんだ後に謙虚さと余裕をもち、あらかじめ警戒して準備することが大事と、この前の卦(15地山謙16雷地豫)が示していました。もし謙虚さを失くし警戒心を忘れたとき、人はどのようになるのか…

「沢雷髄」は上の沢が若い女性、下の雷は中年男性です。若い女性に中年男性が随っている形で、アンバランスで間違った方向に人が動いていることを示しています。

欲望を燃やして間違った方向に人が集まっていくとどうなるか…間違いなく世の中が乱れて衰運がはたらきだすでしょう。

この卦は秋の果実が実る頃の季節感ですが、秋は植物の成長が止まり根の枯渇が進みます。根幹から送られる養分で枝の実が熟成しますので、実の方は根幹の働きに任せて熟成を待つしかない状況です。

そこで互卦の「風山漸(ふうざんぜん)110100が徐々に順序を踏んで実力を養い進んでいけば、必ず着実に進展していくのだと注意を促します。

繁栄を築くために苦労を共にしてきた人を排除し、甘言に乗って間違った方向へ人が動けば衰退が進むのは当然です。それを責任ある中年男性が若い女性に夢中になって随っていると例えているのですね。

そこで陰陽逆転して因果関係を示す錯卦が「山風蠱(さんぷうこ)100110です。この卦は皿に虫が三匹乗っている象形で、食物に虫が湧くように腐敗が始まっている状態を表します。綜卦の天から見ても同じ「山風蠱」が見えます。

 

秋の果実が熟成を待つような時に、逆行を望んでも夏の繁栄に戻ることはありません。

築いてきた土台・根幹を守ることを忘れずに、環境に順応していけば、やがて熟した実を収穫することができるのです。

しかし今も昔も往々にして、成功すると慢心して衰退を早める人が多い、ということなのでしょう。でも早く気づいて対処すればまだ何とかなると次の「山風蠱」が教えます。

 

〔18〕山風蠱(さんふうこ)100110問題を処理して災いを除く

蠱は皿の上に虫が三匹のっている文字です。ウジ虫がわいてきているような状況ですね。

山風蠱の卦は山のふもとに風が吹き荒れて災害を起こす象形です。また山は若い男性で風は熟女を表しますので、今度は反対に熟女が若い男性を「蠱惑」する様子です。

この例えは、繁栄に慢心し謙虚さも警戒心も無くして進む道を誤れば、腐敗が進み世の中が乱れてくることを暗示します。

現実に、度々災害に襲われ、様々な問題が発生して多事多難に陥る時が来るもので、平和な繁栄の時代は長くは続きません。台風が襲い農作物に多大な被害を与えることは珍しい事ではなく、害虫が発生して収穫を台無しにすることもあるでしょう。

このような時に最も困窮するのは民、庶民です。そこで腐敗した状況を正して根に巣食う虫を退治するように、根本から解決することを望む民の力が改革の火種となることは歴史が示しています。

互卦の「雷沢帰妹(らいたくきまい)001011は、アンバランスな矛盾した状況は常に不吉な未来を予感させるものだと警告します。当事者は早く気づいて志を取り戻し、精神性を高めて永続するために努力すれば、「災い転じて福となす」こともできるのだと教えます。

因果関係を示す錯卦も天から見た綜卦も「沢雷随」で、順を踏まず道を誤れば腐敗が始まると警告しています。

「山風蠱」は災害や様々な問題を放置すれば、腐敗が進むことを教え、男女のアンバランスな関係に例えて、道を誤ったことに早く気づいて修正し、精神性を高めて適切に対処すれば、まだ何とかなる時期なのだと説いています。世の中が乱れて腐敗が進み、さらに様々な災難や問題が発生すれば、その被害は必ず庶民に及びます。そして根本からの変革を望み、改革へと時が動いていきますが、そうならないよう賢人は適切に対処し善処するので、なんとかなる時期なのです。

真摯に根本から解決するよう対処すれば、災いを教訓にして福(熟成の時代)に転じることができることを説く卦です。

今は戦後に始まった春から夏の時代が終わり、繁栄のピークを過ぎて様々な災害や諸問題が発生しています。沢雷髄・山風蠱の示す季節感とよく似ています。

人としても人生が華やかな時にこそ謙虚さを忘れずに、あらかじめ警戒して備え、誤った道に進まないよう、適切に対処していけば、熟成した人生が訪れる…そのために繁栄を築いてきた土台・根幹を守ることが大事なのですね。

 

 

E10 易経を読むー8 繁栄を持続するために〔15〕地山謙〔16〕雷地豫

〔15〕地山謙(ちざんけん)000100 繁栄を持続する道・謙虚公平であれ

繁栄を示す火天大有の後に続くのが地山謙。文字通り謙虚・謙譲・謙遜を説き、成功した後こそ私欲や慢心を抑えて、周囲にお返しをする気持ち、奉仕の精神が大切と説きます。

誰でも築いた繁栄を長く持続したいと願いますが、行動は奉仕とは程遠い私利私欲に走り、自分の財産や名誉や権力を増やし守ることに汲々とすることが多いのです。名誉や地位、才能や美貌などは謙虚さがあってこそ光るものです。
実るほど頭を垂れる稲穂のように謙虚であれば、信頼され敬愛されて繁栄が長く保たれるでしょう。

賢人は終わりを知り、満つれば欠ける道理を知って、繁栄の後こそ下に厚く、弱者を守り、謙虚で公平に振る舞うのです。

互卦 雷水解(らいすいかい)001010 注意点・時のめぐりを知る
解は解ける、解消、解決のこと。自然界では春が訪れ雪が解けて生命の活動が一斉に始まる。繁栄に終わりあり、暗闇も冬の寒さもまた時が巡り、夜明けや春が来る。謙虚に努力しても繁栄に陰りが訪れ、苦難の時もあるが、周囲の信頼と敬愛を失わず機を持てば解消する時が来る。

錯卦 天沢履(てんたくり)111011  因果関係・実行して切り開く時が来る
果敢に行動し実行しなくては道は開けない。社会は厳しいが、先人への礼を尽くし秩序を守り、謙虚に行動すれば、たとえ失敗しても許され、逆に守られる。

綜卦 雷地豫(らいちよ)001000 天の教え・予見して警戒し備えて余裕をもつ
繁栄の時もいつか終わり、また動けない辛抱苦労の時もくるが、やがて解消し元気に活躍する時が来る。
良い時にはあらかじめ警戒し備えを整え、悪い時も焦らず慌てない余裕が大切。
悠悠自適は常に警戒と備えにより保たれる。

 

〔16〕雷地豫(らいちよ)001000 悠悠自適への備え

豫は予見、予裕、予断を意味します。また「あらかじめ」でもあり、予裕の中で遊び楽しむのは良いとして、慢心し油断すれば思わぬ失敗をするから、あらかじめ警戒を怠るなと説きます。

困難な状況では我慢辛抱はできても、時期がきて行動しなければ好機を逃します。余裕とは、常に警戒を怠らず備えた中にあり、備えあれば憂いなしです。
繁栄の時代にも季節のような波があり、常に下を労わり、謙虚で公平であれば人の心が離れず、共に苦しい時を乗り越える力となります。また新たな発展の時を予見し、好機が訪れた時は溜めた力を大いに発散することでまた発展できるのです。

運勢の波の動きに翻弄されず余裕を持ちすごすために、常に警戒と備えを怠らないことが大切と説きます。賢人は常に警戒し備えを怠らず、変化を予見して行動を起こすことができるので、悠悠自適に人生を楽しめるのです。

互卦 水山蹇(すいざんけん)010100 注意点・焦らず急がず無理をしない
蹇は足が止まること。バランスが崩れ行き悩む状況が訪れる。前途を塞がれるが、無理に動かず、見識ある人の意見を聞き、遠回りでも平易な道をゆっくりと進むことが大切。
動けない時は静かに我が身を振り返り、内面を整え修養して時期を待つことだ。

 錯卦 風天小畜(ふうてんしょうちく)110111 因果関係・まだ大事を行うには力不足
畜は蓄え留めること。小畜は蓄えが小さく大きな力を留めることはできない状況。
春がきて伸びる芽はまだ若く力がない。力の弱い者が強い者に勢いや意欲だけで立ち向かっても勝てない。
成長力のある時こそ、学び励んで内面を強く鍛え、力量を蓄積することが大切。

綜卦 地山謙(ちざんけん)000100 天の教え・謙虚で公平であれ
繁栄も衰退も繰り返すのが天のことわり。成功をつかみ繁栄の時にこそ、弱い者を労わり謙虚で公平であることが大切だ。
繁栄を長く持続するのは困難だが、謙虚さを保てば、山あり谷ありの時を乗り越えて長く支持され、また良い時を迎えることができる。

 〔解説〕
地山謙と雷地豫の二卦は、成功した後こそ人の内面の美徳を発揮することが大切と説いています。賢人は繁栄と衰退は繰り返すことを知っているのです。

世の中には成功をつかむと別人のように偉そうに振る舞う人がいて、私利私欲に走り益々力を拡大するために、冷酷にさえなる人がいます。

歴史の物語は、民衆の支持を得て戦い、変革を起こした後に権力を握ると、その力が千年万年も子孫に継続することを望む繰り返しです。

繁栄と衰退は繰り返し、いつか訪れる終わりを知る人は、驕らず高ぶらず謙虚に公平に励みます。そして衰退と苦境の時を乗り越えて、また発展の時を迎えられるでしょう。穏やかに時には激しく変わる時代の波の中で、民を慈しむ賢人が治めた良い時代もあります。でも時が巡り人が変わり滅亡の時は必ず訪れ時代は変化していきます。

そんな歴史物語の中の民衆は、誰が権力をもとうがそう期待もせず常に警戒し、日々の小さな楽しみに憩い、今日の糧のために励み、肩を寄せ合って苦難をしのぎ生きてきた、強い心の人たちだったのではと思えるのです。

本当の悠悠自適の生活は、権力をもつ人にはないのかもしれません…