陽のはたらきは欲求を原動力に発展し、分化を促進します。健全な欲望は元気な生命力を示しますが、過ぎればどうなるか…そこに陰のはたらきである省く力、分別を必要とします。分化の反対にある統一へ向かう陰のはたらきは省きの力で、自然界の淘汰の現象が同じです。
草木を例にとれば、一粒の種を地中で育むのは陰のはたらきです。丁度母の胎内で育つ胎児と似ています。
しかし生命の種は成長する過程で様々な省きや淘汰を経験することになります。まず始めに全ての種が生命として地上に誕生できないという淘汰があります。存在も知られず省かれる命です。
一時「ど根性大根」がニュースになりましたが、アスファルトのすき間に生まれた大根の、たくましくも強い生命力に皆が感動したのですね。
通常でもめでたく発芽した後に間引かれる若葉があり、元気に伸びれば枝葉は風通し良く剪定され、良い花を咲かせるために花芽を摘まれ、また他の生き物に食されることもあります。開花した後花は枯れ、花芽には可愛い実が結実します。実は人や鳥を始め多くの動物を養う自然の宝物ですが、ここで果断という厳しい省きが待っています。桃の花芽には三つの実が成るそうですが、桃農家は甘く良い桃を育てるために、やむなく二つの実を切るのだそうです。
文字通り「実を切る=果断」はとてもつらいことなのですが、人にも「身を切る思い」というつらい状況があります。永田町の方々は身を切る思いで定数削減を約束されましたが、これも果断で、やはりいざとなるとなかなかできないのでしょう。これらの省きは未来に続く次世代を滅ぼさないための厳しい淘汰であり、みな陰のはたらきです。
草木の熟した実は多くの他の命を養うために、その命を提供しますが、鳥や動物たちは食べた後の種を地に落として、次世代の子を還元します。季節が変わり残った実も熟し切って落下し、地中に次世代の命を残すことも同様です。
葉も実も落ちることで、成長と進化のために栄養を送り続けて枯渇が進む地中の根の養分となります。ここで草木の一年が終わる…ようにみえます。しかし沢山の次世代の命=種が地に還元されています。
易が説く無限の循環とは、一粒の種がやがて森を創るような生命の循環と同じです。自然淘汰は健全な生命の循環には不可欠で、地球の天変地異も生命活動の証である淘汰の現象です。人も様々に淘汰されるのですから、せめて戦争などの人為的な淘汰は無くなってほしいものです。大化の改新以来、国のお役所は「○○省」です。省庁は本来国民の久しい繁栄のために「欲求や無理無駄を省く」役割がありますので、せめて省きが偏らず健全公平に成されなくては「省庁」とはいえませんね。(次回 陰陽の相対的なはたらき)
啓山易ブログ
B17 陽のはたらきについてー1
陽は進化発展を促す力という捉え方があります。そして人が進化発展するための原動力は「欲望」です。欲っすることで人は行動を起こし、行動することで進化していきます。欲求が進化して発展していくことは、一つの細胞が分裂して増殖するように分化していく現象です。植物の生長を見ると、進化し発展していくことは分化の現象であることがよくわかります。
一粒の種が地下で育まれ、やがて発芽の季節を迎えて地上に芽を出します。小さな芽は双葉になり、茎がすくすくと伸びて枝を伸ばし、その枝からいくつもの葉が芽をだします。さらに枝葉の間に可愛い花芽が宿り、蕾となり、太陽と空気と雨を栄養にして成長した草木はやがて開花の時を迎え小さな芽の正体を堂々と披露します。
このように植物の進化発展を促すのは「陽」の力、創造のはたらきによるものです。
欲求し進化するための草木の行動は、生きるために根や枝葉から栄養を吸収することといえます。動物の赤ちゃんは生まれるとすぐに母親の乳を求め鳴き声を上げ、目も見えず教えもしないのにたくましく乳を吸いますが、これも本能的に生きるための進化の行動の始まりです。
本能的な欲求に始まり、成長と共にさまざまな能力が進化し、知性を吸収し、心身を発展させてやがて立派な成人になります。親から自立することは、草木の開花と同じで、易は離=火を開花現象としていますが、親から離れ自立することは文字通り「離」の現象です。
易の説く陽のはたらきの原動力は様々な「欲求」であるということで、元気を失くし、欲求を失くすと、生命力はどんどん衰えていきます。欲求の始まりである食欲を失くし、食べられなくなると生の世界と決別する時がくるのですね。
しかし陽のはたらきが極まるとどうなるかというと、それは発展し分化が進み、分けが分からなくなって動きが停滞し自滅する組織のように、生命も滅んでしまいます。そこで果てしない欲望を抑える「分別」が大切となります。陽を抑制し生命の寿命を全うさせて、さらに次世代へつなげるために陰の働きがあります。分化の反対にある統一のはたらきです。陰は要所要所で省きを促します。
食欲旺盛は元気な生命力の証ですが、過ぎればどうなるか…そこに陰の省きの力・分別がはたらいて健康が保たれます。
分別を別の言葉でいえば「ほどほど・良い加減」ということになりますね。(次回。陰のはたらきについて)
C7 卯月 四月
別名、卯の花月・花残り月、鳥月ともいい、卯の文字は柳を表し若い枝葉が長く伸びて成長し、春の風に吹かれて枝と枝がこすれあって自己主張を始めているようにも見えます。又、桜も散り、葉桜にちらほらと花残る月というのも季節感がよく表れています。雁は北の国に旅立ち、代わりに燕が飛来して可愛いヒナを育てる姿があちこちに見られ、鳥たちの活動が活発になることから鳥月とも…
ヒナは生長しやがて親の手を離れ大空へ飛び立って行きますが、四月は人間の世界も職場や学校などで、巣立ちのようなピカピカの一年生の姿が見られますね。
易は巽=風の卦を配して、春から初夏へ移行する春の土用の季節で、十二支は辰の月。上昇に向かい未知への期待と希望に胸ふくらませ、心身に活気が満ちる半面、様々な淘汰の現象期でもあります。子供たちも小学校から中学、また高校へと進むことで、新鮮な刺激を受けると同時に、得意不得意や身体的な違いなどが気になりだし、比較したり優劣を気にしたりするようになります。
精神や心の発達が著しい思春期は、些細なことで傷つき悩みを深めますが、多くは自分の個性を自覚して、自分の方向を見出し潔くかじ取りをしていきます。自ら選び個性の開花を目指しても、ふるい落とされて悔しさを味わうこともあるでしょう。上に進むほどふるいの目は大きくなり、新たな人生の淘汰を経験することにもなります。
植木屋さんは良い花を咲かせるために、枝葉をチョキチョキと剪定しますが、切り落とされた枝葉はどうなるのでしょうか。
易に「余った水は田畑に回せ」という言葉があります。余った水を無駄に流してしまうのではなく、田畑に回せば作物を育てる役に立つ…ということで、無駄や無用と思って切り捨てるのではなく、他に生かす道をつくることが大切と説いています。まして私利私欲や自己中心に他を切り捨てることは、君子の行いではないということなんですね。
四月は、新たな始まりを経験する人たちが沢山います。比較や優劣などに悩まず、色々な刺激を前向きに受けて早く自分の個性に気づき、長所を生かし延ばせる方向へ果敢に進んでいってほしいと願います。
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生年月日のもつ干支の性質・〔天生〕天命・人命・地命
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今年の消長現象〔運勢〕の注意点
A8 礼について…礼は命を尊ぶ心
礼という文字は神にひざまずき祈る姿を表しています。
そして礼の心を学ぶのは子供時代がとても大事と易の卦が説いています。
易経の34番目に「雷天大壮・001111」という卦があります。
大壮というだけに陽気(1)が壮んに上に向かい伸びていく元気の良い象形で、人の小学生時代のように体の生長が著しく、背丈がどんどん伸びていく成長期のようなイメージです。中には大人以上に背丈の伸びる子もいますが、雷天大壮の爻辞に面白い表現があります。
「小人は壮んな勢いに任せ突き進むが君子はしない。……牡羊が頭から突っ込んでいき垣根に角をひっかけて苦しむことになる」
例えれば、子供の牡羊は早く立派な角が生えて、父さんや兄さんのように野山を駆け巡りたいと思っています。やがて体が成長し角も立派に生えてきます。
そうなると、僕だってもう一人前と自信過剰な心が芽生え、経験も知識も技術も十分でないまま突っ走ってしまいます。すると父さんや兄さんが軽々飛び越えていく垣根を、「僕だってできるさ」と勢いのまま飛び越えようとして越えられず、垣根に角をひっかけて身動き取れない状況に陥ってしまいました。
もし野生の牡羊であれば、自ら角を抜くことができないと死も覚悟しなければならない状況になります。
易経は単純で比ゆ的な言葉ですが、この例えは、吸収力もあり元気壮んな少年期にこそ礼の心を体得することの大切さを説くものです。
礼は神にひざまずくこと…神とは天地の創造の力です。天地・父母により創造された子である自分は、神から天命を受けた尊い命であることをまず実感できることが礼を体得する始まりです。折に触れ命の大切さを子供に伝えることで、その知識は知性となります。自分の命の尊さを知ることから、他の命を愛しむ気持ちが芽生え、自分を創造し育んでくれた天地・父母への自然な感謝の心が育ちます。そして師や年長者を敬う心が育ち、友と親しみ、やがては小動物や小さな虫たちの命の尊ささえ実感でき、他を愛しめるようになっていきます。
他者を愛しみ慈しむ「仁」の心は、礼の知行といえます。人は常に他と共にあることを実感し、他を慈しむ心は知性であり、実践する事を行といい、知行となってこそ陰陽の統一した働きとなります。
昔々、子供の頃に読み聞かせられた様々な童話には、「礼」の教えが沢山ありました。礼が仁を育て、仁は義を行う精神力を育み、そのために真(理)を探究し知(性)を育むこと…その根本は「礼」の心、命を尊ぶことにあります。礼の心は、勢いがあり意欲も盛んな子供時代にこそ吸収すべきことで、命を愛しみ、自信過剰を戒め、他の命を尊ぶという、人としてとても大事な根本の知性であると教えられます。小動物を平気で殺める子どもたちを心から案じてしまいます。