B6 自分を愛しみ尊ぶことは易の根本精神

謙虚であると同時に少々の自惚れは元気を出すためには有益です。生まれてきた自分に絶対的な価値があると自覚することはとても大事なことです。大事な自分だからこそ、「自己=我」と向き合い、誤りを修正して延ばしていくために変化していくことを望み、変化を受け入れることができます。それは生命を愛しみ尊ぶ易の根本精神と共通しています。

生命の愛しさ尊さを学び知ることは、知性を豊かに育てます。そして育まれた知性を日常に実践し行動することで、生命のもつ力が延びてゆきます。しかし理屈だけ学ぶことは役に立つより逆に他人の迷惑にもなり得ることで、頭で学び体で知ることがとても大事なことです。知性と行動は陰・陽の関係であり、知行・陰陽一体となってこそ易は真価を発揮します。人は前に進むために歩き行動してその人の道となりますが、易学の道は易の学びを実践することで人を延ばし前進させる道理です。人生のいつの時点でも、易を知る機会があることは幸運なことです。六十で知れば六十化して以後の人生を活性し、十代、二十代で知れば、自分を修め延ばして、無限の未来の可能性を拓く知性と行動力を育むでしょう。全ての人は天命を受けた尊い命だからこそ、その人生を生き抜くことが天道をゆくことといえましょう。

 

B5 自分・自己とは・・・続き

…続き…
性別や年齢など変わらないものはあります。逆に自分を取り巻く環境は皆異なるものです。女だから、若いから…年寄りだから…、またお金がない、理解されない、仕事がない、など恵まれない環境を嘆き、あきらめて何もできない自分がいるのでは?自分を「こんな状況だから」「こんなもんだ」と限定し固定化させてしまえば、易を理解することは難しく思われると思います。なぜなら易は限りない変化を説くものだからです。しかしその中には不変の固定したものがあることが不可欠の要素なのです。
今の自分を正しく素直に見つめなおしてみれば、過去からのさまざまな変化(運命)があることは間違いありません。あの時違う選択をしていたらと思うことがあります。反省はともかくこれは無駄な後悔です。時は一時もやむことなく続き、今の自分を取り巻くすべてが、その時その時の選択の結果です。過去を否定したままなら自分はいなくなってしまうでしょう。
そう考えれば、今から、これからの未来に向かい、誤りを修正し、延ばしていくことができると思いませんか?
易は今の自分から未来に向かい変化していくための道しるべです。ブログの初回に、私自身の七転び八起きの人生からまた復活を誓った体験を書きました。誤りは生ある限り何度でも修正できます。易は限りなく変化する未来の自分を正道へ導く水先案内人のようでもあります。
安岡正篤先生の書の教えですが、中国、前漢の淮南王・劉安(りゅうあん)が編纂した思想書である『淮南子』に、孔子も尊敬していた「蘧伯玉(きょはくぎょく)」の有名な言葉があります。「行年五十にして四十九の非を知る」。さらに「六十にして六十化す」と続きます。昔の人生五十年は今ならリタイアする老年期で、良くも悪くも達観するような時期といえますが、相当な地位に就きその徳を認められた蘧伯玉をして、わが人生を非であると反省して、さらなる変化と進歩を目指そうという言葉です。
自分自身を否定して観念したらもう終わりですが、六十は六十化す、七十は七十化す…のが人生なのだと、私自身は相当勇気づけられた言葉です。また謙虚であることはとても大事ですが、元気を出すには「うぬぼれ」が少し必要かもしれません。捨てたものじゃない、まだまだ大丈夫と自分を励ますことも大事なことと思います。今日はどんな一日になるのか、願わくば良い変化がありますように…とつい願ってしまう凡庸な自分ですが…

B4 自分・自己とは

「自分」は自己(おのれ)を表す言葉で、私たちは何気なく自分といいます。今回のテーマは自分とは何か?…易が説く「自分=自己」について考えてみます。

人の天命は、無限の創造主である天の命を受けた生命が限りなく変化していくこと、つまり運命=人の人生そのものが天命であると述べました。

天には太陽があり、太陽の周りには太陽系の子供たち惑星がいます。無限の天を陽とすれば、対する有限の星、太陽は陰・地であり、天を父とすれば太陽は母といえます。そして太陽系の惑星は地球を含め、みな陽陰・天地・父母の子供です。さらに限りない創造変化をもたらす天地=天と太陽の働きを、陽=天=父とすれば、形ある星・地球は陰=地=母となります。そして母なる地球に生まれた人を含むあらゆる生命は、陽陰・天地・父母から生まれた子供です。宇宙自然界の法則とは、陽は陰を陰は陽を含み成り立ち、無限に進化と衰退を繰り返し変化していく生命そのものです。ではその子供である人は宇宙自然の法則に則れば、陰陽を含み成り立つ小さな宇宙を具現しているものです。その一人、自分とは地球に生まれた自己・自分(我)=天命なのです。

「自分」は天命ですから易でいう「数」であり、限りなく変化してやまない素質を持つものです。自分はいくらでも変化していくことができます。ですから「自分」を「こんなもんだ…」などと限定してしまうことは天命に背くことでもあり、宇宙自然界の生命の法則に反します。(続く)

A2 2013年(癸巳・みずのとみ)もあと三ヵ月

2013年も残すところ三ヵ月となりました。早くもお節料理のパンフレットが店頭に飾られ、やりきれていないことの多さを考えると、少々気持ちが落ち着かなくなります。

10月は毎年、元旦の新聞に掲載する原稿の納入期日が参ります。毎年もうそんな時期なのだなあと感慨にふけるのですが、前年に書く翌年の「今年の干支の運勢」を読んでみると、改めて年の干支はその年の傾向をよく示していると思えます。

2011年の辛卯(かのとう)の年は、噴火や地面の陥没や洪水などの災害を心配し、卯の国日本には辛い一年がくるなどと書きました。引き続き2012年の壬辰(みずのえたつ)の年は激震が走ることを示し、国のリーダーが変わる大きな変革期であること、そして今年2013年は人々が心の支えを求めていること、確かな筋道が示されなければ一揆すら起こりかねない状況と書き、ネット犯罪の多様化と、水産物の問題が深刻になること、水に流された後の大地に守るものが明確に示され、確かな測りとなる道筋が見えてくるなどと書きました。

あと三月を残し、守るものを明確にして確かな道筋が示されたのか、よく観察しつつ、来年の甲午(きのえうま)を読み説かなくてはと思います。甲午は表面的に明るく華やかな話題が多くなりそうですが、まだ根幹の勢いは強くありません。確かにオリンピックの招致など表面的には明るい話題ではありますが…

 

B3 易の三義・五義・六義

2の天と天命では、数を天の無限の創造変化のはたらきの動的な変化であり、数のもたらす現象や作用がいわゆる運命であると述べました。つまり運命は変化し続けてやまないものです。

このように変化してやまないということを「易」といいます。易は「変わる」という意味があり、エキと読めば変化を表します。易は変化という動的な運命を探り、創造変化の実体を究明する学問です。変わらない固定的な宿命というものは易の本質ではありません。しかし変化を探り認識するためには、変わらざるものが不可欠であることも事実です。固定した宿命が変化して動的な運命となるもので、変化のはたらきは「不変」の数(例えば年月日の干支数など)を含めて易といいます。易は「変易」であると同時に「不易」を探るもので、その変化の過程に天の持つ無限の創造変化が働いていることは明らかです。このように易は宇宙自然界の創造変化のはたらきに則しているため簡単明瞭な理論であるともいえます。易はこれを簡単で優しいので「簡易(カンイ)」であるといいます。易はやさしいというときに「イ」と読みます(安易・容易…)。

この易の根本を示す①変易②不易③簡易を「易の三義」といい、不変と変化の簡易な法則は宇宙自然界の創造変化のはたらきに則る「因果の法則」であり、万物万象の変化における因果関係を示します。

これを探り、認識することで誤りを「修め正す」ことができ、さらに生命(性命)を「延ばす」ことができると易は教えます。易の根本理論である三義に加え「修正する」「延ばす」を加えて易の五義といい、さらに宇宙自然界の創造変化という神秘の働きを解く易は神秘そのものであることから、この「神秘」を加えて易の六義といいます。易の三義・五義・六義は安岡正篤先生の説く易の根本理論です。

不変(宿命)を含む生命は無限に変化(運命)します。その因果の法則は、神秘ともいえる宇宙自然界の創造変化のはたらきに則り簡単明瞭でもあります。人はその本質を探り認識すれば、誤りを修正する知恵を持つことができます。そしてその知恵を生かすことができれば、生命の力をさらに延ばしていくことができるのです。易を学ぶ確かな意義がここにあります。