E24易経を読む-22〔43〕沢天夬・決行と排除〔44〕天風姤・達成と遭遇

〔43〕沢天夬(たくてんかい)011.111正しい決行とは・無用無駄を排除する

夬に氵をつけると決で、夬は現状を打開するための決断、決行のこと。

上の一陰(0)は、独裁者や支配者を操る奸臣のような権力者で、大勢(民意・11111)が結集してこれを排除しようとする象形です。権力とは恐ろしいもので、多くの権力者は段々傲慢になり、私利私欲を肥やし、権力を維持するために残酷にもなることは歴史が示しています。

現代は大分民主的ですが、リーダーとなるには多数の民意という強い後押しが不可欠で、そこに私利私欲や不純な動機が見えてくると支持を失い交代を迫られることは同じです。

個人の問題でいえば、発展するために重要な決断を迫られている状況で、それを実行するために妨害するものを排除し、無用無駄なものを省き、欲望を絞り込み、集中して向かう状況です。

欲望は行動と発展の原動力ですが、限りない欲望は身を滅ぼすことにもなり、どこかで絞り込むことがとても大切です。

草木でいえば間引きの時で、庭師も良い花を咲かせるために縦横に伸びた枝葉をチョキチョキと剪定します。風通しが良くなると、沢山養分を吸収して瑞々しい蕾が膨らみ、無事に花を咲かせることができるのです。

そこで賢人は水は下に流れてこそ万物を潤すことを知り、水の出口を造って下を潤し、私利私欲をむさぼることを深く慎みました。

また「余った水は田畑に回せ」という言葉があり、同様に切られた枝葉も生かし、排除したものの逃げ道も塞ぐことはしないのです。

 

〔44〕天風姤(てんぷうこう)111.110達成と新たな遭遇・正しく交わる

果敢に局面を打開した後に新たな問題が生じてきます。姤は邂逅=遭遇のことで、易に「女難」とあるのが面白い解釈だと思います。

功なり成し遂げて力を得ると、魅惑的な女性が近寄ってくるということで、英雄は色を好み、やがて傾国の美女となることも知らず魅了されてしまいます。

「女を娶るに用いるなかれ」とあり、例え魅了されても結婚はダメだぞと警告しています。
柔順な女性を吉とする思想下では、確かに男を骨 抜きにする有能な美女は怖い存在なのでしょう。

この卦を読むと唐の玄宗皇帝と楊貴妃の話が思い浮かびます。
立派な治政を行っていた玄宗が、絶世の美女・楊貴妃に溺れて安史の乱を招き帝位を追われたという話で、楊貴妃は傾国の美女の代表ですね。
例えば夫婦で苦労して会社を立ち上げてようやく大きくしたら、夫はやり手の若い美女に魅了されて糟糠の妻を捨ててしまい、やがて社内に批判と反発の勢いが起こる…現代版傾国の美女伝で、男はいつの時代も同じようです。

妻や愛人にするのではなく、公私混同せず有能な女性を起用するというのなら逆に良くなるのですが…

天風姤は女難の相という話に流れがちですが、卦の六爻の内容は、正しく出会うこと、交際の秩序を示すものです。
正しく出会うとは人の秩序に沿うことといえます。

現代なら交際術というのでしょうか。例えば新人の美人社員を気に入り、初めから社長秘書にすれば社内に妬みが起こります。実力や立場を飛び越えて、上位になることは波乱を招く原因で、上位の人も私欲で実力のない人を三段跳びで引き上げることは慎む方が無難です。

妬みは脳の中枢の感覚で、きっかけがあれば人は妬むものなのです。

男女を問わず出会いにより新たな戦力を得ることや、土台を安定させることができれば、新たな遭遇は大変重要な意味を持ちます。

そこで賢人は偏ることがなく、広く隅々に行き渡るように公正な秩序を伝え実行するのです。

 

〔解説〕

沢天夬011.111と天風姤111.110は天地が逆転した関係(綜卦)です。

沢天夬は権力者の話だけではなく、草木を扱う人はこれを日常的に行っています。
間引きや剪定は立派な花を咲かせるために不可欠で、花が咲いて実が付くと、立派な実をつくるために実の数を減らします。これを果断といい、文字通り身(実)を切る思いで行いますが、このような省きの作業はすべて沢天夬といえます。

断舎利という言葉が流行しましたが、大事なものを見極め選び整理しないと、頭も家の中もごちゃごちゃになりますので、これも良くなるための沢天夬といえそうです。

天風姤の女難は陰のマイナス面で、プラス面は安定と守りの力です。男・陽だけではすぐ滅んでしまいますから…

欲望と発展の中に収束と守りの働きを取り入れて安定に向かいます。
そのときに、正しく行うこと、これが世の中や自然の秩序に添うことなのですね。
脳科学者の話では、妬みや人の不幸を喜ぶのは脳の帯状回や線状体の働きで、誰でも常に持っている感覚なのだそうです。

人の懲りない闘争の根元はどうもその辺にあるようで、その感覚を抑制するために知性を発揮して、宗教や哲学や易などに様々な倫理を表現してきたのではと思えるのです。

 

E23易経を読む-21〔41〕山沢損 損して得とる〔42〕風雷益 利益還元

41〕山沢損(さんたくそん)100011  理想のための抑制・損して得取る道

損は文字通り損失、損害など損をすること。それも単純な損ではなく損を承知で、喜んで損をすることです。それは自分の利害損得を考えない無償の奉仕に近い行為であり、意志を貫く自己犠牲の姿にも見えます。

なかなかできる事ではありませんが、この損は世直しや革命のような大きな目的の下に、我欲を捨てて頑張る人々を民衆が支え奉仕する姿勢を示しています。

目的達成は身分や立場の上下に関わらず、同じ志をもつものの成果となり、結果的に民衆の利益になる損失です。そのような行いを山沢損が説きます。

身近では、家庭という運命共同体の中で主人を支える妻の役割でしょう。

若い夫(山)は志が高く、夢の実現に向かって頑張っていますが、収入はまだ少なく出費は嵩み苦しい生活です。そこで若い妻(沢)は自分の貯金や衣類や宝石を夫のために放出し、自分も働いて生活を支えます。そこには目先の利害損得の気持ちはなく、愛して信じる夫の夢を成功させたいという一念しかありません。

…夫の理想を叶えるために妻が進んで苦労して支える…昔からこのような話は私たちの身近にいくらでもありました。その根底には信頼と愛情と夫の成功が希望だったのでしょう。

この無償の奉仕や献身を国レベルで考えると、革命的な状況といえます。

戦後の日本でも大半の国民は貧しく困窮していたと思います。でも新しい時代を夢見て皆が我慢し助け合い、上も私財を放出し私欲を捨てて取り組んだ一時期もあったと思います。そのような上下、官民一体となって作り上げたのが自由で民主的な平等の社会でした。そして経済発展は目覚ましく、辛抱我慢をした国民にも等しく恩恵がもたらされた時期がありました。

このような同じ志に向かう民衆の損失は、やがて利益として還元されると次の風雷益(ふうらいえき)が示します。これが「損して得を取る」ということです。

賢人は損も益も「高い理想」のために、「低い欲望や目先の欲」を抑えた結果であるとして、人々の損失、我慢や奉仕はその目的と時期に共感してこそ生かされ、共に努力してこそ悦びと平和へ民衆を導けるのだと考えます。このような一体感の結果、人々の損失に対し利益を還元する喜びを見出すのです。

我慢や奉仕も喜びと平和が訪れるならきっと多くの人が頑張れるでしょう。

望まない世の中のための我慢や奉仕や制約は苦しみでしかありませんから。

 

42〕風雷益(ふうらいえき)110001自由と平等・利益の還元

益は損の逆で、利益を得ること。それも上が損をして下が益を得るので山沢損の逆です。民は恩恵を受けて喜び感謝し、君子の道も輝くとあります。

上が下を潤すことは損と同様に我が身に返り、損と益は繁栄をもたらす上で不可分の関係です。若い時の妻の苦労はやがて報われ、熟年となった夫(雷)が今度は妻(風)を支え守る象形が風雷益です。

誠意を尽くして努力した結果が周囲の人に利益を還元するのであれば、上下が共に喜び益々繁栄をもたらします。
そこには公明正大で私利私欲のない立派な社会が築かれるでしょう。

風雷益は自由で民主的な平等の社会を表す卦です。
損が益となるのは社会的な利益となるときに大吉となると説いています。

しかし成功すると若い女性に目移りして糟糠の妻を捨てる。また改革の後に私利私欲におぼれて民衆を置き去りにするようでは、損益バランスは崩れ大凶に転じます。

損も益も同じ志や目的を求めて、その時に応じて行われることが大切で、民衆の望まないことは、いくら上が望んでも喜びの繁栄はもたらさないなのです。

悪くすれば民衆により排除されてしまうかもしれません。

そこで賢人は常に民心に心を傾け、民衆に利益を還元する力を生むために、私利私欲に打ち勝つ修養を積むのです。

〔解説〕

山沢損と風雷益は〔31〕沢山咸=恋愛〔32〕雷風恒=結婚の二卦と深く関係しています。

〔31〕沢山咸=感応しあう心が信頼と愛情を生み、若い二人は結婚して、妻は夫を助け奉仕する=〔41〕山沢損であり、成功して熟年となった妻に利益を還元して守り支える夫=〔42〕風雷益となり、末永く変わらない夫婦となり豊かな老後を送る〔32〕=雷風恒です。

家庭も企業も国レベルまで、この関係に例えられます。

下を妻や社員や国民とすると、上が夫や経営者や元首になり、このような上下関係の間に、上の願いや思いに共感し、同じ未来や目的に向かう時には下は喜んで損をし、我慢し、奉仕し、支えます。上も私利私欲をもたず、下に利益を還元する喜びを糧に励みます。こうであれば自由で民主的な成功を導き、家庭も企業も国も立派になり益々繁栄するでしょう…ということになりますが、現状を見るとなかなか容易ではないように思えます。

易の言葉である損と益は、今では企業の損益、損益計算書などという言葉に当たり前に使われています。健全な損益とはなにかと考えるヒントになるのではと思います。

E22易経を読む-20〔39〕水山蹇・立ち塞がる障害〔40〕雷水解・雪解け,解決

〔39〕水山蹇(すいざんけん)010.100障害に行き悩む時は安全を優先する

蹇は字が示すように足を塞がれることで、往く手を険しい山や大河が塞ぎ遮っています。

前途を障害に阻まれ行き悩み、戻るにも戻れない八方塞がりの状況で、まさに「前門の虎・後門の狼」です。
易はこの水山蹇を四大難卦の一つとしており、焦って険しい山道に入ることや無理に急流を渡ろうとすれば命を危険にさらすのだと諭し、このような大きな障害に遭遇したら、まず止まることが最も大切なのだと説いています。

例えば夢と希望に溢れる新天地を目指す旅にも未知の危険や困難があり、未経験の苦労や難問に遭遇することが想定できます。

多数で動けば尚更意志を統一することが大切ですが、困難に遭遇して背く者や頑固に逆らう人も現れ、内部が混乱すれば益々危険が増して、多くの命が危うくなります。

水山謙の因果関係は火沢暌(かたくけい)で、内部で背きあえば水山蹇となることを示します。

そこで賢人は常に困難に直面した時に備え、内面の修養を重ね徳を積み、人々と心を通わせることを心がけるのです。

卦辞に東北は良くないが南西は良いとあります。東北は留める山を表して困難を示し、反対の南西は打開する道としているのでしょう。また東北に進むことは逆回りであり自然の流れに逆らう動きにも思えます。賢人は何より困難に遭遇した時に、慌てず焦らず止まる冷静さがあり、遠回りでも安全で平易な道を選ぶのだと説いています。

 

〔40〕雷水解(らいすいかい)001010雪融け・打開する道

解は解けることで、解消・解決を表します。固い氷が融け、雪解けの水は勢いを増して流れていきます。季節は早春の時を表して、動物は冬眠より目覚め、植物は地上に芽を吹き、あらゆる生命の活動期が訪れたことを示します。

悩み苦しんだ問題が解決し、往く手を阻んでいた障害が解消して、前進し発展へ向かう機会が到来します。易は環境や状況に恵まれることを「時の利」といい、成功や発展の最も重要な条件としています。

このような時にこそ果敢に切り開くために、行動を開始しなくてはせっかくの好機を生かせません。春が来たと喜んで、種まきもせずに怠けていれば秋の収穫は望めないのです。

次に来る厳しい冬を超え、困難を耐えぬくための蓄積を得るために、それぞれの役割に励み、機会を生かし大いに活動しなくてはなりません。

雷水解の反対にあるのは風火家人。家族・同志が心を合わせて困難を耐え抜くならば、必ず雪解けの春が来るのだという因果関係を示しています。「時の利」を生かすことがとても大切なのですね。

 

〔解説〕

水山蹇は足止めされて行き悩み、危険に陥って戻ろうにも戻れない八方塞がりを示す難卦です。その原因は家族や同志の絆のはかなさにあり、内部に揉め事を抱え背きあう関係のままでいれば、やがて蹇に陥るのだと諭します。

逆に雷水解は、困難な時にこそ家族・同志が心を一つにして支え合えるならば、やがて問題や悩みは解消し、厳しい冬を乗り越えて雪解けの春が来ることを示します。

二つの卦に共通する「時」の使い方は、いつの時代にも共通しています。

環境や状況が厳しい時は無理に動かず、強引に進まず、安全を優先する…

環境や状況が好転した時は、気を緩めず大いに活動し、必要な行動をして好機を生かす…

「蹇」は時の利が味方しない時、「解」は時の利に恵まれたときの対処法です。

良い時も悪い時も対処の仕方で逆転することがあり、正しく対処する方法の中で最も大切なことは「時」を知ることでしょう。
易は待つ時・生かす時・乗じる時・過ぎた時・動く時・止まる時・我慢の時…などの時を示し、そこに合う動きを教えます。

人や時代の時の盛衰は、易が得意とする自然の巡りそのものですが、人は自然に逆らい時の使い方を誤って苦労をすることが多いように思います。

時の利・人の利・地の利があり、このバランスが整えば順調に発展し成功に導かれるといいますが、時を知る素朴な感性を磨くために、我を抑える謙虚さが必要なのですね。

 

 

E21易経を読むー19〔37〕風火家人 信愛〔38〕火沢暌 背反

〔37〕風火家人(ふうかかじん)110.101家内安全と信愛について

家人は文字通り家の人です。家族が心を一つにして寄り添えれば、たとえ貧しくても家庭は心から親しみ安らぐ場所になるでしょう。その中心は夫婦=父母であり、特に一家の主婦の役割は大変大きく、家庭の中の女性の立場はとても重要です。

母と娘や嫁などの関係では、主婦である母(風)に娘や嫁(火)が素直に従う円満な関係があれば、外で働く夫であり父や息子を支え励まして一致協力することができます。

家内安全・安泰とは家族が心を合わせて外敵から家族を守り、苦しみの時にはその悩みを共有して、心を通わせ寄り添い集う家庭の有り様だといいます。

外の社会でも、信愛で結ばれた同志はとても大切です。一人で苦難を乗り越えることは容易ではありませんし、逆に守るべき大事な人がいることが、短気を抑え忍耐力を養います。家人は火の上に風が吹く象形です。小さな火を丁寧に消さないと大火になる危険があり、日常の小事を侮ると大事に発展していきます。

信愛で結ばれた家族や仲間など守る者があると、自ずと用心深く慎重に行動するようになるものです。このような関係は共に協力して苦労を乗り越えていく過程で生まれ、乗り越えたときに真の信愛で結ばれた家族、同志となります。

家内安泰の原則は、大きくは組織や国の安泰にも通じます。

そこで賢人は日常の小事が大事を呼ぶのだと知って、言葉や行いを慎み、嘘を言わず、常に原則に従って行動するのです。
互卦は火水未済(かすいみさい)、錯卦は雷水解(らいすいかい)で、用心して火を消しても後からまた新たな火種が生じるように、発展を目指していけば苦労の種は尽きないことを示します。
例え人に背かれ、理不尽に泣いても、短気に争いに走れば命まで危険にさらすのだと警告し、苦難の時は家族や同志を思い、また忠告を聞き、助け合って忍耐して春を待てば、やがて雪が解けるように解消していくだろうと諭します。

 

〔38〕火沢暌(かたくけい)101.011背反しながら協力する矛盾した関係

暌は背くことで、家内安泰の「家人」の卦を逆さまにした象形です。

火101は上に昇り、沢011の水は低きに流れて上下が和合しないことで、嫁と小姑がいがみ合うような、家内で女同士が背きあう関係に例えています。
内部にいがみ合いや反目する状況があれば、一致団結して行う事業や大きな問題には取り組めません。
錯卦の水山蹇(すいざんけん)は、強行すれば往く手を塞がれて行き悩む。極力平坦で安全な道を進めと警告します。

例え話ですが、「ある時、繁盛している団子屋の長男が嫁をもらいました。店は長男の妹が看板娘で頑張っていましたが、そこへ美しい兄嫁が参入したことで、妹は兄の愛情もとられた上に、店も兄嫁に仕切られてしまうのではと疑心暗鬼になります。そこから小姑の兄嫁いびりが始まり、兄嫁も負けじと反目し、それぞれに雷同するものも現れて家庭の中にいざこざが絶えなくなりました。当然険悪な雰囲気はお客にも伝わり、売り上げにも影響します。結局志を立てて家業を守る長男を苦しめることになりました。そこでようやく反目する二人も家の危機と気付きます。反目しつつも長男の思いを察し、家を守るという共通の意識でこつこつ働くうちに、徐々にお互いを家族として認め合えるようになっていきました」…いがみあっても共通の利益や危機に対しては協力もできる…このような矛盾した関係を示すのが火沢暌です。

家の危機に気付き、とりあえず火種を消すことができましたが、このような関係では、日常のことはできても、大きな事業に発展させるのは難しいでしょう。

例えば会社は社員に共通の利益をもたらしますが、内部では足の引っ張り合いがあることはよく耳にする話です。内部のもめごとが会社が傾く原因になるともいいます。

そこで賢人は志を変えず付和雷同しないように努めるのです。

 

〔解説〕

風火家人(ふうかかじん)と火沢暌(かたくけい)は、どちらも家族や家庭の円満の大切さを説いているのでしょう。
火沢暌の例え話の中で、嫁に長男がつき小姑に姑などがつけば家の中はぐちゃぐちゃになります。

団子屋の長男は賢いですね。家業を守ることは家を守ることと、身をもって示して反目する二人に気付かせましたから…
風火家人の卦は、男たちが困難に遭遇したときに理性的に対処する道を選ばせるのは、家族が心が通い互いを大切に思う気持ちに支えられているのだと説いています。
例えば夫が会社で左遷など不当な処遇を受けたと仮定します。感情的には夫は辞めてやる!と思いますが、家族を守るために唇をかみしめて耐え、妻や家族は夫を理解し励まして協力して共に耐え抜く状況です。
そうであればやがて公正な人間の手で復権する時が来るだろうという結末ですが、やはり家内安全はともに困難を乗り越えて、信愛を築いた円満な家族がもたらすものなのでしょうね。

神社で家内安全を祈願する時にそのことを思い出すことにします。

 

E20易経を読むー18〔35〕日の出・上昇の勢い〔36〕日没・夜明けを待つ

35〕火地晋(かちしん)101000日が昇る・上昇と発展へ向かう勢い

「晋」は「進」で、進むこと。地000の上に火101がある象形で、暗闇に光明がさすように辺りがどんどん明るくなる日の出の勢いを示します。

徳の高い賢人・「火」に、衆人・「地」が柔順に従って進めば未来は光明に包まれるとも読めます。

暗い夜が明けて昇る朝日には強い勢いがあり、その勢いに従い積極的に仕事を引き受けて働けば、順調に進展して認められるだろう。大いに力を発揮して活躍することだ。時の利に恵まれているのだから…と説いています。

しかし朝日は日の出というように日の始まりで、未経験の一日に向かうために、様々なリスクを想定することが大切です。四大難卦の一つ、水山蹇(すいざんけん)が互卦にあり、障害に遭遇したら焦らず熟慮して、極力平易な道を探らないと、八方塞がりに陥るぞと警告します。そして因果関係を説く錯卦は、水天需(すいてんじゅ)で、何にでも飛びつかず、本当に求めているもの、待望するものを吟味していくことで、有意義な一日となることを示しています。

そこで賢人は人々が希望に導かれる朝日のように、自分の内面を磨き徳を磨いて自らが輝く光となる努力をするのです。

日はやがて必ず沈むことを知って、与えられた時を有益に活用する時を示しますが、次の地火明夷は火地晋を逆から見た綜卦で、日没を表しています。

 

36〕地火明夷(ちかめいい)000101 日没・夜明けを待つ・逆境を乗り切る

明夷は明が夷(やぶれる)意味で、「火」101が「地」000の下に落ちる象形です。

明が夷(やぶれる)とは、明るさや光が消えること、火が消えること。朝が来ればまた夜が来て一日が終わりますが、夜を安息の時でもあり、不用意に動けないのは当然です。そこで明夷は暗愚な者「地」が、有能で明徳のある人「火」を抑え妨げている状況とも読みます。

賢人は闇夜のように勢いが衰えた時は、危険が及ばないように有能さを隠し、外見は平凡で愚かな人に見せて夜明けの時を待ちます。そしてどのような逆境の時も、内面の徳を磨き、希望の光を絶やさないのです。

朝の来ない夜はなく、雪に閉ざされた冬もやがて雪解けの春が来るように、苦しみや悩みを解消する時が来ると、互卦の雷水解(らいすいかい)が教えます。

そして因果関係を説く錯卦の天水訟(てんすいしょう)は、理不尽な状況に陥っても、勢いのない時や弱い立場の時にいたずらに争いを起こしても勝ち目がなく、

また公正な裁きにより勝つことができても、そこで得た名誉や利益などは永続性がないのだと説きます。そこで、日が昇るような勢い・時の利が味方する時を待って行動することが賢明なのだと静観し忍耐する時を教えます。

〔解説〕

日の出は、今日という日を希望に導く光となって人の活動を後押しし、また日没は人の活動を収束させ夜の眠りに誘います。

夜は安息の時であり、また次の日の活動力を充電する時間です。特に古代の人々には日の出と日没は、時を知る重要な目安であったでしょう。

火地晋と地火明夷は日昇と日没の「時」の処し方を示しますが、日の出のような勢いのある時と、衰退し逆境に落ち込んだ時とも捉えます。

日の出の勢いがある時は大いに活動して繁栄に努力することが大切です。しかし勢いに慢心せず、明確に望む方向や目的意識を持ち、極力リスクを避けて進まないと、思いがけない障害に苦しむことになると警告し、日没後のように勢いが衰えた状況では、闇雲に動かず、まして争わず、危険を避けて力を蓄え、また日が昇る時を待って備えることだと諭します。

人が発展に向かい行動する時には、目的や願いに向かう意欲と共に、極力リスクを避ける冷静さが必要ですが、何より勢い=時の利が成功に導く大切な条件なのだと気づかされます。

又反対に、衰退し逆境に陥っても、日はまた昇り、温かな春が来ると励まされます。そのために時の勢いを知って、時に応じる処し方が大事なのですね。

発展と終息の道中にある時の変化を知ることが、希望の光を生かし、希望を失わない秘訣なのだと改めて思います。